3. デネブ
3人はそれぞれの荷物を持って、ポラリス・アカデミアのセントラル棟エントランスから外へ出た。2限と3限の間の昼休憩の時間はほとんど終わりかけているが、大学というものは高校よりもフリーダムだ。各自の履修に合わせて大学構内を行き交う学生たちは、それぞれの時間を楽しんでいた。
「それで、どこに行くんだ?」セントラル棟前にある広場を歩きながら、ハインが尋ねる。
セントラル棟の正面には、創立者の銅像が立っており、すぐ横手にある広場では、秋風の中くつろいでいる学生たちがいる。芝生の真ん中に立っている大きな樹は、アカデミア創立当時に植えられたシナノキで、まだ老木と言えるほどの樹齢ではないものの、広がる枝が大きく影を作っている。
情感的なものはよくわからないハインだったが、学園のシンボルとしても紹介されるその樹を見ていると、どこか胸がすっとするような気分になった。
「そうねぇ、ひとまずデネブのショップに行ってみようかしら。」真ん中を歩いているソレアが、何かを検索しながらそう言った。
基本的に、他者のリンク・スフィアの画面はマスター・ユーザーにしか見えないが、ソレアのスクロールするような指の動きで、何をしているかはなんとなくわかった。歩きながらのショップリサーチは推奨される動きではないはずなのだが、ソレアの端末はその辺の規制がゆるいらしい。
「調べ物するなら一旦止まるか?ベンチ、空いてるぞ?」それとなく注意を促したハインに対し、ソレアは一瞬だけ彼を見つめたあとで頭を振った。
「あぁ、えぇ、大丈夫よ。これ、そういう調査用のモードなの。問題ないわ。」何がどう問題ないのか、ソレアは説明しなかったのだが、これ以上突っ込むのはよくないと思って、ハインはスルーすることに決めた。
「そっか。まぁ、ソレアが言うなら大丈夫か。」
「うん、ソレアのは少し特殊だからね。」カイが補足するようにそう言った。
「そうそう。だから問題なっし!……で、マップ共有するわよ?」ソレアが空中に向かってタップするように指を動かすと、ハインのリンク・スフィアに共有ウィンドウが表示される。
共有者のネームはSorea。共有先はHeinとχ(カイ)。3人で一つのウィンドウを共有しているというわけだ。
「お前って、結構遊び心あるんだな。」カイのユーザーネームを見ながらハインが言う。
「あぁ……。視覚的にコンパクトだから。」カイは水のボトルを開けて一口飲んだ。
「人と混ざったりしないのか?」端末に登録するユーザーネームはSNSでも使用されるため、一意のネームを使用するのが基本のはずだ。
「そうだけど、これ、他の人は選択できないはずだから。」カイはボソリとそう言った。
「へぇ。」カイとソレアを見ていると、つくづくどこか住む世界が違うのだなと思わされて仕方がない。
ハインはほんの少しの気まずさを感じて、頭を掻いた。
「でも、メッセージチャットはフルネームだったよな?」
「あれはLINKチャットだったから……。それに学内のネットワークでは、学内サーバーに登録されているデータを参照して、学生ナンバーとフルネームが表示される仕様になってる。」カイは眉ひとつ動かさずに一息で説明したが、ハインはそういうものとして認識するのが精一杯だった。
「なるほど、そういうものか。」
「そういうものよ。」ソレアもハインに同意する。
「そうだね。世の中、そういうもの以上のことを認識する必要って、意外とないから。」カイはどこかぼんやりとした目でそう言った。
「そうやってすぐ飲み込んで受け入れられるのは、ハインのいいとこだと思うよ。」聞く人によっては皮肉にも取られかねないセリフだったが、ハインは肯定的に受け取ることにした。
「おう!なんかよくわかんねぇけど、ありがとな!」
「どういたしまして。」
「じゃあ目的地に向かって出発するわよ!」すでに向かっている途中ではあるのだが、ソレアは気分を入れ直すようにそう言った。
ポラリス・アカデミアは結構広い。端から端まで歩くだけでも1時間はかかるような広さで、人によっては実際そのぐらいかかるだろう、とハインは思った。体力のないカイを気遣いながらではあるものの、3人のペースはそこまで悪いものではなく、秋の透明な青空の下では、徒歩での移動も心地よかった。
「ここからはレールバスに乗りましょう?」ソレアの提案に従い、3人はバスストップに向かうことにした。
大学の正門付近にあるバスストップで待っていると、道路に埋め込まれたレールに沿って、自動運転のバスがやってくる。もちろん不測の事態に備えて運転手も乗っているのだが、運行ダイヤはシミュレータによって最適化されており、遅延も渋滞もほとんどない。
この仕組みもまた、表面上は動くバスの存在だけが全てなのだが、バスに乗った後でカイが説明してくれたため、ハインはすっかり覚えてしまった。
「えっと、デネブのショップに行くんだよな?てか、2人ともほんとに大丈夫だったのか?講義、少なくないだろ?」ハインが聞くと、2人はほとんど声を揃えてこう言った。
「問題ないわ。」
「問題ないよ。」
「お、おう。」自分で聞いておきながら、ハインは思わず驚いてしまう。
「単位なら1年次の時にだいぶ取ったし。人によっては課外活動で補える分もあるでしょ?そういうのの、積み重ね。むしろ、僕の学科は理論主体だから実験もないし、暗記テストとレポートだけだからそこまで大変ってわけでもない。」カイがまたつらつらと大変そうなことを言う。
「それはカイが優秀だからだと思うけど……。私の方はインターンシップや課外実習がメインになるはずだし、今はまだそこまで忙しくないのよね……。むしろ他の学部の授業や共通講義でも取ろうかなって思ってるぐらい。」ソレアはフォローしたように思えたが、その実カイと大して変わらないようにハインは思う。
「それに、テストは情報戦だってよく言うでしょ?過去問や教授の性格、出題傾向なんかを共有してくれる人には、すでに当てがあるのよね。」
「へぇ……、すげぇな?」ソレアのやり方は、1年次のハインには全く考えもつかないようなものだった。
「そうかしら。でもまぁ、私って首席入学生だからね……。結構目立ってやりやすかったわ。」ソレアはマップを見ながらさらっと言った。
3人が乗っているレールバスは、大きな振動もなくゆっくりと走行していた。目的のショップはポラリス・アカデミアと同じデネブにあり、学業区から商業区までは30分もあれば辿り着く。
「よし、バスが空いていて助かったわね。そろそろ目的地だし、降りるわよ。」ショップウィンドウが立ち並ぶエリアに入ったあたりで、ソレアは降車ボタンを押した。
「ご乗車、ありがとうございましたー。」バスの運転手の声を背後に聞きながら、ハインはバスストップに降り立った。
商業区は先ほどまでいた学業区とは様相が大きく変わり、秋服を展示する服屋のウィンドウや、秋の果物を使ったスイーツを売り出すカフェなどが道の両脇に並んでいる。しかし、3人でお茶をしたアルタイルの商業区とは違い、ここはもっと静かで洗練された印象を受ける。
ハインがあたりを見回すと、歩いている人々も皆どこか上品そうな装いで、よれたジャケット姿の自分はどこか浮いているようにすら感じてしまう。そんな心情を人知れず飲み込んで、ハインはソレアの案内に従い、メインストリートを歩いて行った。
「デネブって、なんか結構雰囲気違うな……。」普段あまり歩き回ることのない場所に、ハインは少しだけ居心地の悪さを感じて肩をすくめる。
「そりゃあね。デネブの中心は行政区と企業特区だもの。商業区中心のアルタイルとは、同じ商業区でも方向性が違うのよ。」道を歩きながらソレアが言った。
「よし、ここを曲がったらすぐのお店よ!」マップの示す道順は、左に回るように促している。
「なんか、少し緊張してきたなぁ。」良くも悪くも未知の経験を前に、ハインは思わず身震いをした。




