1. ハイン・リードの目覚め
―カンカンカンカン……
工業都市ベガの自室で、ハイン・リードは目が覚めた。いつも通り、毎朝決まった時間に鳴る工場の鐘の音と、鉄道のゴウゴウと走る音が室内まで響いている。
「よっしゃ、今日もおはようって感じだな!」ハインはガバッと体を起こし、ベッドの縁に腰掛けた。
デスクの上では、ハインのカスタマイズしたアンドロイドシープデバイス――ルナが充電モードで座っている。ポラリス・アカデミアへの入学が決まった際に、ネオステラ社からの寄贈品としてもらったものだった。
「うーん、ふぁーあ。」ハインはしっかりあくびをした。
伸びをしようと思ったが、場所を気をつけないと壁に腕をぶつける狭さだ。ベッドも、一般的には少し大きめのサイズだが、平均より身長の高いハインにとっては、足か頭が少しはみ出るぐらいの小ささである。その上少し、というかかなり硬いが、長らく使っているものなのでハインはすでに慣れていた。
いくらアンドロイドシープデバイスで眠りを管理されているといっても、ハインの硬いベッドの上にいては大して意味があるとは思えない。昨夜はバーチャル・ワールドでカイやソレアと別れた後も、自分は特に活動せずにスリープモードに移行した。
「俺には必要ないと、思うんだけどなぁ……。」ハインは首の後ろを掻きながらひとりごとを漏らす。
シープはあくまでも民間娯楽の一種として売り出されている商品だったが、今や生活必需品の一種になりつつある。それに先駆けてなのか、シープを無償で受け取る代わりに、規定量の使用とデータ提供が条件づけられており、使わないわけにもいかない。つまり、体のいいテスターにされているというわけだ。
「ふぅ。」こういうことを煩わしいと思いつつも、破格の待遇を受けられる特待生の実態なんてこんなものだ、とハインは思う。
しかしそこを差し引いたとしても、「特待生」という枠に収まりたいものはたくさんいるのだ。特に、ハインのようなベガ生まれの貧乏人なんかは。ハインは自嘲するようにニヤリと笑うと、シープの隣に置いてあったリンク・スフィアを耳につけた。
―ガチャ……キー……バタン
そうこうしているうちに、母親が帰ってきたようだった。ハインの両親はベガの工業特区にある食品工場で、朝早くから働いていた。まだハインや兄弟たちが寝ている間に仕事に行き、一度食事の支度のために帰ってくる。
ほとんど早朝・深夜の仕事であるため、昼間は家で寝ているとはいえ、顔を合わせることはほとんどなかった。ハインはそんな母親を休ませるために食事の支度を自分の担当にするよう伝えたのだが、頑固な母親に断られてしまった。
―ガチャ
「おはよう、母さん。」ハインは自分の部屋から出ると、台所で手を洗っている母に声をかける。
手を洗い終わった母は、台所用のタオルで手を拭き、作業用のジャンパーを脱いだ。ハインはそれを受け取ってハンガーラックにかけ、代わりにエプロンを手渡す。
「おはよう、今日も早いね。」母は疲れの滲んだ顔で微笑んだ。
「そりゃあな。もう今日から講義が始まるんだ。1限があるから結構早くてな。」ハインもまた自分のエプロンを腰に巻きながら母に答える。
「ふぅん……。入学式があったばかりでしょ?もう始まっちゃうなんて、早いわね。」ハインはもう大学2年なのだが、母としてはまだ慣れないらしい。
ハインは母を手伝う前に、BGM代わりのニュースをつけた。部屋にある旧式のモニターを起動し、リモコンでチャンネルを切り替える。指を止めたのは、最もポピュラーなニュース番組――ニュース・トライアングルだ。
―やはり最近はドライブ中毒の話題で持ちきりでしょうか?
―えぇ、まだ患者数はそこまで多くはないですが、功績の多いネオステラでしょ?やっかむ人だって大勢います。過剰に反応する人だって、少なくはないはずです。
―しかしもはや、社会現象になりつつあるのでは?
―そんなこと言ったらネオステラ自体が――。
―ピッ
ニュースのコメンテーターたちがドライブ中毒について話していたが、それを聞くと母は、すぐさまリモコンでチャンネルを変えた。ハインはそれを横目で見つつ、なんでもないかのように話を続ける。
「俺はもう2年生だぜ?2年生以降は、オリエンテーションが終わったら、すぐ講義があるんだよ。」ハインはつけ置きしてた食器を洗い、片付けながら母に答える。
「そうなのね?エレンの時は、もう少しゆったりしてなかった?それに母さん、大学いったことないからよくわからないし。」母は冷蔵庫から食事の材料を取り出していた。
「それにあんた、講義はついていけてるの?特待生だって言ったってね、母さん心配だわ?あんたってばあんまり賢そうに見えないんだもの。」母はいつものようにハインを心配している。
「それは大丈夫だって。成績表、見せただろ?」ハインは気にしていないように振舞った。
母があまり自分の経歴に自信がないらしいことはなんとなく察していたが、彼女がハインに対してまで似たような感情を持っていることには少しだけうんざりしていた。
「それに、エレンだって大学は卒業してただろ?」ハインの姉エレンは、母の数少ない誇りのようなものだった。
姉のことは尊敬しているハインだったが、母の中でエレンがいかに大きな希望だったかを思えば、自分の取るに足らなさに、少しだけ嫌になる。その姉はといえば、今はポラリス大学病院にいるのだが。
「でもエレンは……。なんでもない。あんたも頑張ってるなら、それでいいのよ。」母はまだ何か腑に落ちないような顔をしていたが、ひとまず話を切り上げた。
そろそろ弟妹が起きてくる頃だ。姉のエレンは成人しているが、下はハインよりもう少し小さい。思春期に差し掛かり、そろそろ2回目の反抗期へと突入しそうな高校生の妹と、エレンに似て人当たりのいい中学生の弟だ。その下はようやく1人で留守番ができるようになったくらいの、小学生の弟がいる。つまり、ハインは5人兄弟の長男だった。
母が卵焼きとウィンナーを焼いている間に、ハインは萎びたサラダを用意し、残り物のスープを火にかける。ベガではよく食べられている安くて硬いルグブロー(黒パン)を、サラダとともに人数分の皿に盛ると、母が焼けたばかりの卵焼きとウィンナーを乗せてくれる。いつも通りの簡素なワンプレートだが、朝の時間が少ない自分たちには、ちょうどいい量だった。
「おはよう……。」相変わらず無愛想な妹が寝ぼけ眼で起きてきて、ぶっきらぼうに挨拶をした。
いつの間に準備を済ませたのか、すでに黒いセミロングの髪は丁寧に櫛でとかされ、制服もカバンもきちんと用意されていた。妹はカバンをドンとダイニングテーブルに置くと、人数分のカップを出すために食器棚へと向かった。朝の食事の時には、冷蔵庫に作り置きしているバーレイティー(穀物茶)を飲むのが定番だった。
「ちょっとセレン?そんな風に物を置くのはやめてって言ってるでしょ。」母が妹のセレンの行動を咎めている。
「はぁ?変な置き方してないでしょ?こんな朝から、やめてよね……。」セレンは鬱陶しそうに返答する。
「テーブルにドンって置いたらダメでしょう!」
「うっさいな、わかったってば。」母もセレンもイライラしているようだったので、ハインはいつも通り2人を落ち着かせようと割って入った。
「母さん、セレンだってよくわかってるけど、今はまだちょっと眠いんだよ。な?そうだろ?セレン。」ハインの言葉に、セレンは一瞬うんざりしたような顔をしたが、すぐに彼の言葉に乗っかった。
「そう、そうよ、眠かったの。ごめんなさい。次からは気をつける。」セレンが言うと、母も納得したように頷いた。
「あぁ、いいのよ。わかってくれれば。」これで一旦は場が収まり、また元の平穏な日常に戻るだろう、とハインは思った。
しかしいつものこととはいえ、毎日のように繰り返されるいざこざに、ハインは少し疲れたように人知れずため息をついた。
「よっしゃ、まぁ何はともかく、朝ごはんにしようぜ!残り2人も起こしてくる。」ハインが弟2人の部屋に移動しようとすると、近くに移動してきたセレンが言った。
「助かった。ありがと。」ぼそっとした呟きは、母の耳には入らなかっただろうと、ハインも小さく返答する。
「あぁ、でもほんとに気をつけろよな。母さん、姉さんの件もあって気が立ってるから。」
「うん、わかってる。」セレンは素直に頷いた。
「ちょっと2人とも?何してるの?」母が2人の行動を訝しんでいるようだった。
「あぁ、なんでもない!」ハインの咄嗟のごまかしに、母は少しだけ眉根を寄せたが、すぐにスープを器に盛り始めた。
「2人を起こしてこないと。」
「あいつらならもう起きてるよ。」急ごうとしたハインに対して、セレンは淡々と言い放つ。
「気づいてないの、あんただけ。」
「あぁ、そうだったのか……。」肩を落とすハインに、セレンは肩をすくめながらこう言った。
「ほんとにさ、あんたももうちょっと器用に生きた方がいいんじゃない?」その言葉はセレンなりの気遣いだったかも知れないが、ハインにとっては、どこか心の奥深くに突き刺さるような響きがあった。




