10. シープリンクドライブ
「それで、なんであんたがここにいるのよ……。」ソレアが何度目かわからないセリフを口にして、ため息をついた。
「なんでって?」ハインがきょとんと目を丸くしている。
「あ、それは僕が呼んだからだよ。」2人の間の空気を和らげるために、カイはすぐにことの次第を説明した。
今自分たちがいるのはバーチャルカフェ「アンドロメダ」。空中に浮いたランタンが星雲のように煌めいている、夜限定のおしゃれなカフェだ。シープリンクドライブ――通称ドライブにより接続できるバーチャルワールドの一つであり、カイとソレアがいつも落ち合う場所だった。
「2人はさ、いつもこのカフェで過ごしてんの?」ハインがあたりをキョロキョロと見回しながら質問する。
「そ、素敵でしょ?私のお気に入りなんだよね。」ソレアがメニュー表を眺めながら答える。
「本当はカイと2人で会う予定だったのに。」ソレアは少しだけ頬を膨らませた。
「ありゃ、お邪魔だった?」さすがのハインも申し訳なさそうな顔をしている。
「うそうそ、冗談だってば。お昼もお茶した仲でしょう?」ソレアがモニターに注文を入力しながらイタズラっぽく笑っている。
「それに、事前に言わなかったカイが悪いわ。」
「あ、ごめん。忘れてた。」
「おいおい。」ほんの少しだけ肩をすくめて謝るカイに、ハインはやれやれといった顔をした。
カフェ・アンドロメダは、いつも通り人で賑わっており、カイたち3人以外にも複数人のグループがそこかしこで談笑していた。カフェ内には、中央にあるバーカウンターをぐるりと囲むカウンター席と、一般的なテーブル席、そして今カイたちが座っているローテーブルのソファ席がある。
「あなたたちも何か注文しなさいよ。」ソレアがメニュー表を真ん中に置く。
「あ、ちょっと待って、流星群の時間じゃない?」ソレアがはしゃぐようにカフェの天井を指差した。
カフェ・アンドロメダの天井は、基本的には深い紺色の空を模している。バーチャルワールド内では特に珍しいことでもないのだが、現実の建築物ではできないようなデザインが積極的に採用されていた。
「へぇ、結構綺麗だな。」ハインが感心したようにため息を漏らす。
現在カフェ・アンドロメダの上空には、いくつもの流星の筋が走っている。現実にはホログラムの流星群をよく見るが、ここでは実際の流星観測データを元にモデリングした、かなり手の込んだものだった。
「そうそう、このカフェ、不定期で流星群が流れるの。」
「だからこんなに人気なんだな。」
「そういうこと。」ソレアとハインは楽しそうに流星群を眺めている。
「でも本物は一度も見たことがないな。」
「そりゃそうでしょ。誰だって本物なんか見たことないわ。」カイのふとしたつぶやきに対し、ソレアがソファの肘掛けに頬杖をつきながら小さく返した。
「それで、メニューはどうするの?私はもう入力したわよ?」ソレアは足を組み直した後、トントンとテーブルを叩いて促した。
「うーん、俺、バーチャルワールドでの飲食がどうもあんまり慣れなくってさ……。」ハインは腕を組みながら悩むような仕草をした。
そんなハインを横目に見ながら、カイはクッションを膝に引き寄せ、リンク・スフィアのホログラムUIを操作する。
「ん?何してんの?」カイの動きに気づいたハインが不思議そうにこっちを見ている。
「あぁ、ペットモジュールね?私も出そうかな。」
「え?何?」ソレアはすぐに理解したようだったが、ハインにはまだピンとこないようだった。
「ペットモジュール。ドライブに使ったシープをバーチャルワールドに呼び出す機能だよ。使ったことない?」カイがハインに聞くと、ハインは「いや?」と首を傾げた。
―キュキュキュ!
カイがペットモジュールを起動すると、空中からアルファが現れた。ソレアも起動したようで、彼女の膝の上にはクレアというネームのシープがいる。
「おぉ。」
「何よ、おぉって。」
「いや、初めて見たからよ。ちょっとびっくりしたんだよ。」ハインとソレアが言い合っているかたわら、アルファはカイの膝を降りて、ローテーブルの上で伏せをしている。
対してソレアのシープであるクレアは、ソレアがよくつけているリボンのようなピンク色の毛で、ホワイトパールのネックリボンをつけている。
「あんたも出せばいいじゃない。ここではこういうのも楽しみの一つよ?……てか持ってるわよね?シープ。」ソレアがクレアをもふもふしながらハインに尋ねる。
「あ?あぁ、いくら貧乏だって、さすがに持ってるぜ?それに俺、特待生でもらったからな、最新のやつ。」そう言うとハインもまたペットモジュールを起動して、自分のシープを呼び出した。
―キュー!
ぴょんと飛び出てきたのはメカのようなごつごつとしたデザインのシープだった。そのシープはハインの目の前のテーブルに飛び乗り、胸を張るように体を反っている。
「ちょっと、なんでそんな感じなの?」今度はソレアが驚いている。
「んー、なんかロボットってこんな感じだろ?」
「あんたがいいならそれでいいわよ。」首を傾げるハインに対して、ソレアはじっとメカ風シープを見つめている。
「まぁカイの初期設定シープよりはだいぶ個性的よね。」カフェのメニュー表を眺めていたカイに対して、不意打ちのようにソレアが視線を向ける。
「え?そうかな……。あんまり気にしたことなかったんだけど。」カイは目を丸くしながら、テーブル上で伏せをしているアルファを見た。
アルファは確かに初期設定からなんのカスタマイズもしていないノーマルスキンだが、羊らしい白い毛並みと、黒い耳や手足は普通に愛らしいと思っている。
「うーん、一周回ってカイらしくていいんじゃないか?」
「でもほら、アクセサリくらいつければいいのにって思っちゃうし。」ハインの謎の擁護に対して、ソレアは結構率直だった。
「まぁ、それよりさ、注文しちゃおうよ。僕ももう入力したからさ、あとはハインだけ。」カイは苦し紛れに話を逸らす。
「おう、つってもこれどうすりゃいんだ?」ハインは困ったように顔を顰めた。
「ここで飲み食いしたってリアルの体には影響ないんだろ?」
ハインの疑問はもっともだった。実際、バーチャルワールド内での飲食物は味覚や食感などの質感はあるものの、胃の中に何かが入るわけではない。
「なんでよ、それがいいんじゃないの。」ソレアはわかりやすく反論している。
「え?」
「食べても太んないけど美味しいものは食べられる。女の子には夢みたいな機能よね!」ソレアは日々の栄養管理や運動による体型管理を徹底しているため、そういう感想になるのも頷けるな、とカイは思った。
「そうかぁ?胃に入るものの方が俺は嬉しいんだけどな。」しかしハインは、まだ納得できていないように眉根を寄せる。
「うーん、それなら場所代だと思えばいいんじゃない?」ソレアが助け舟を出すように言った。
「場所代?」
「そ。データなんて物理的スペース取らないのになんで料金取るんだよって言う人いるけど、データ領域だって無限じゃないし、サーバーの維持にもコストがかかる。だから利用料金だと思って払えばいいのよ。ついでに体験が手に入る。そういうものだと思えばいいじゃない。」ソレアの言い分に、カイも同意を示すように頷いた。
「ふーん?そういう考え方もあるのか……。よし、それなら俺も入力するぜ!2人と同じ体験をしてみたいからな!」そう言うとハインは、にかっと笑ってメニューを入力し、3人分合わせて注文を押した。
2人と別れた後で、カイはドリームモードに移行した。ドライブ中、すでに体はポッドの中に横たわっており、意識以外はすでに寝ている。バーチャルシティ・トライアングルなどに行けば、眠りながらにして活動する人々の賑わいを、夜通し見ていることだって可能だ。しかしカイは、ドリームモードで入れる夢の世界に1人で漂っているのも好きだった。
―いらっしゃい、カイ。今日は楽しめましたか?
カイが座っているリクライニングチェアの前に、シーラのアバターが現れる。薄ぼんやりとした淡い光に包まれて、ますますカイには幻想的に見えた。
「楽しかったよ、シーラ。久々に日記を長く書いちゃった。」カイは、毎日つけているデジタルダイアリーのことを思い浮かべる。
―はい、とても良いことだと思います。ふふ、あなたの体は自力で眠ることができませんが、精神はすでにとても眠たそうですね。
「なんでかな、少し疲れちゃった。」
―疲労度をOFFにしましょうか?
シーラがイタズラっぽい笑みを浮かべる。システム的に妥当な案内なのだが、カイがそれを選択しないことを知っているかのようだった。
「いや、もうこのまま眠りたい。今日は夢も見なくていいや。」カイはぼんやりと霞む目で何度かまばたきを繰り返し、あくびを噛み殺しながらそう言った。
―はい、私は全てを見ています。おやすみ、カイ。……良い夢を。
カイの意識がゆっくりとスリープモードに移行する中、シーラが優しく包み込むような声音でそう言うとカイの額に柔らかいキスをした。長い1日の終わりの中で、カイは小さく喉を鳴らすと静かに意識を手放した。




