6話 異常
「タケルは、どこに行ったの……?」
震える声で尋ねると、血まみれのハサミを抱えたウサギは、不気味に首を傾げた。
「帰ったよ、、?」
そんな言葉を、こんな惨状を見て素直に信じられるわけがなかった。
目の前に広がる大量の血痕と、散らばった抜け毛。
奴がただ無事に帰れたはずがない。
けれど、喉の奥まで出かかった本当の疑問を口にして、答えを聞いてしまうのが、俺は死ぬほど怖かった。
だから、それ以上は何も問い詰めることができなかった。
ただ黙ってその場にしゃがみ込んだ。
タケルの血?で染まったハサミを隠すためだ。
夢中で地面を掘り、鋭い刃を土の底へと埋めていく。
冷たい土が爪の隙間に食い込み、周りに飛び散ったドロドロの血が自分の指先や手のひらにベタリとこびりついた。
汚らしい、なかなか消えそうにない汚れが肌に貼り付く。
「……よし」
呟いた私に、ウサギは満足げにうなずいた。
「さあ、おうちへ帰りましょ、なつき」
帰り道、私の足取りは奇妙なほど落ち着いていた。
けれど、頭のなかは不安でぐちゃぐちゃだった。
あんな血まみれの跡を残して、タケルは本当に家に帰ったのだろうか。
もしかしたらどこかで倒れているんじゃ、、そんな黒い澱が渦巻く。
家に帰ると、家族の顔を一切見ないように息を潜め、そのまま自分の布団にもぐりこんだ。
何かを企んでいることや、秘密がばれてしまうことが怖くてたまらなかった。
明日の登校が、どうしようもなく怖い。
いっそ学校を休みたい。
でも、休んだら怪しまれるかもしれない。
恐怖に怯えながら天井を見つめていると、朝が来た。
時間は一瞬で過ぎ去った。
朝日が昇り、最近すっかり日課になってしまった、母親の作る不器用な朝ごはんを無理やり胃に流し込むと、俺は重い足取りで学校へと向かった。
校舎に近づくにつれて、靴底に鉛でも入っているかのように足が重くなる。
教室の扉に手をかけると、冷や汗が背中を伝った。
ガラガラと引き戸を開け、教室に入る。
そこに立っていたのは、昨日、血を流して崩れ落ちたはずのタケルだった。
「おっ、おはよう、なつき! これまで、本当にごめん……! もう二度といじめたりしないからさ!」
え……? 信じられない言葉に、俺はただ
「わ、わかった……」
と、間の抜けた返事をするのがやっとだった。
昨日までの暴力的な面影は嘘のように消え失せ、彼は妙に明るく、媚びるような笑みを俺に向けていた。
放課後になり、驚くべきことにタケルの方から声をかけてきた。
「なあ、なつき。この後、一緒に遊びに行こうぜ」
一度は気味悪くなって断った。
けれど、タケルは凄まじい執念と異様な圧力を込めて誘ってくる。
何かがおかしい。
どこか狂っている。
あまりにしつこくつきまとわれる恐怖に負け、私は仕方なくその誘いを受けることにした。
「あのさ、他の奴らは誘わないのかよ?」
「ううん、今日はふたりきりで遊ぼうぜ」
違和感を覚えながら歩く道中、タケルが尋ねてきた。
「あのさ……、今日もウサギ持ってきてるのか?」
「うん」
その瞬間、タケルの顔が、ほんの一瞬だけ、ぞっとするほどみにくく歪んだように見えた。お母さんと同じ顔だ。
「とりあえず、公園行こうぜ」
行き道は終始無言だった。
にしても、やけに遠い。
もっと近くに公園はあるはずなのに、彼はどんどん足を進める。
やがてたどり着いたのは、遊具すらない、人気のない、人通りの少ないうらぶれた空き地のような公園だった。
そこでタケルは立ち止まり、すがりつくような、ねっとりとした目で俺を見上げてきた。
「なつき……お願いがあるんだ」
「……なに?」
「あのさ、ウサギと……ウサギちゃんに、会わせてほしいんだ」
――は?
わけがわからなかった。
校庭でランドセルを投げ捨て、「こんなごみみたいなぬいぐるみ持ってんだ」と散々汚い言葉で罵り、笑い者にしていたはずだ。
なのに、うさぎに会いたい?
昨日までいじめていた俺になんで頼み込んでくるのか。
でも、 こんなふうに人に乞われるなんて、人生で初めてのことだった。
気味が悪いはずなのに、なぜか心の奥が妙にざわめき、悪くない気分になる。
「……会いたいの?」
「うん、なんでもする! お願いだから、会わせてくれよ……いや、会わせてください、、!」
なんでもしてくれるんだよね
。 その甘い言葉に背中を押されるように、俺はランドセルから教科書を雑に掴み出し、一番の底に隠していたウサギを無理やり引っ張り出した。
瞬間。
俺の手からウサギが離れたのと同時に、タケルが狂ったように獣のような跳躍でウサギめがけて襲いかかった。
「っ……!」
ぎょっとして、ぐちゃぐちゃに引き裂かれる、、!昨日のやり返しだ!!!と直感した俺は、「やめろ!」と慌てて引き戻そうと手を伸ばしたが、遅かった。
タケルは奪い取るや否や、ウサギを両腕でしっかりと抱きしめ、自分の顔をその汚れた布地にぐりぐりと擦りつけた。
そして、ちぎれかけた耳や、ボタンの取れたウサギの鼻の部分を、まるで慈しむように、気持悪いほどねっとりと舐め回し始めた。
「あぁ……っ、会いたかった……会いたかったよ、うさぎちゃん……あぁ、ずっと、ずっとこうしてみたかったんだ……」
背筋の奥底から、寒気が這い上がってきた。
胃の腑がひっくり返りそうなほどの強い吐き気がこみ上げ、喉の奥がキュッと締め付けられる。
全身の毛穴という毛穴から冷や汗が噴き出した。
恐怖と生理的な嫌悪感が混ざり合い、脳が痺れたように思考を放棄する。
――人間が壊れていく音を目の当たりにしているような、ぞっとするほど気色が悪く、グッチョリとした身の毛がよだつ感覚が、私の全身を総毛立たせていた。
俺はそれを眺めているしかなかった。




