9.趣味の時間
およそ三十秒前。騎士団の監視から逃れた俺──フラウは会場の壁際まで走ると、火属性魔術を使い壁を破壊した。
ここは地下だ。壁を破壊して露わになった土を土属性魔術で操り、学校の教室二つ分くらいの空間を作り出す。するとすぐにラスティは穴の中へ入っていった。
これで魔術を使えるのは後三回。
俺は、一斉に動き出す客たちに向かって声を張り上げた。
「皆さんこちらです! ここなら騎士団の連中に抑えられていない!」
これで後は、獲物が自分から檻に入るのを待つだけ……。
もうすぐ訪れるお楽しみの時間を想像するだけで口角が吊り上がる。
思惑通り、客たちは続々と穴に入っていく。認識阻害のおかげで、騎士団はこの声を俺のものだと認識できないから問題ない。
穴に入る客たちを捉えようと迫る騎士は風属性魔術で吹き飛ばした。
そろそろ限界だな。これ以上入れると中の異常に気付かれる。
五十人ほどが穴に入ったところで、俺も穴の中に入る。そして土属性魔術を行使し、壁の穴を塞いだ。
「ヒィィッ……!」
奥から聞こえる悲鳴。何が起こっているかを理解した客たちが引き返してくる。
「出口が……」
穴を塞がれ行き場を失くした客たち。先頭の男が魔導ランタンを起動すると、彼らの視線は自ずと、壁の前に立つ俺に集まる。
お膳立ては完璧……さぁて、どう料理してやろうかなァ?
***
魔導ランタンを手に穴に逃げ込んだ客の一人──ジスール子爵。彼が穴の奥で目にしたものは、地面に散乱する、先に逃げた客たちの死体。そして、その中心に佇むシスター服の少女だった。
(……ッ! こいつはヤバい! 殺し慣れてる……ッ!)
ジスールは元々騎士だ。多くの戦場を経験し武勲を上げ、前ジスール子爵の死とともに爵位を継いだ。彼は奴隷オークションに興じるまでに心が落ちぶれたものの、相手の力量を推し量る目は衰えていない。
そんなジスールだからこそ、瞬時に理解できた。
(近づけば殺される……! 殺しと戦闘の経験に差がありすぎる)
「……ッ!」
「ヒィィッ……!」
少女の赤く暗い双眸に自分たちの姿が映った途端、ジスールを始めとする客たちは戦慄する。気付けば、少女は裁縫に使うような細い針を三本、指の間に挟んで持っていた。次の瞬間──。
ヒュッ、と鋭い風切り音を奏で投げられた針は三人の客の眉間を正確に捉えた。間も無く、地面には新たに三つの死体が転がった。
赤目の少女は倒れた三人を見向きもせず、新たに針を三本構える。
「……う……うわぁぁあぁああああぁっ!」
恐怖に耐えかねた一人──人攫いのクラメルが悲鳴を上げ、元来た方へと走り出す。彼を発端に、パニックは伝播する。
「どけぇ! ワシが先だ!」
「こんな……わけもわからず殺されてたまるかああぁあぁぁ!」
恐怖のあまりランタンを投げ捨て、不格好に走って逃げる者。腰を抜かしてその場にへたり込む者。ジスールは前者だった。
「なっ!? 出口はどこだッ!!」
「さっきは確かここに……」
暗がりの中、必死に目を凝らし穴を探す客たち。彼らは皆呼吸を浅くし、体中の汗腺から大量の冷や汗を垂らす。そんな中ジスールはなんとか心を落ち着け、投げ捨てずに持ち続けていた魔導ランタンを起動する。
魔導ランタンによって照らされた壁際。そこには、悪魔がいた。
「いいねぇ……かなり仕上がってるなァ。やっぱラスティを従者にしたのは正解だったな」
誰だかわからない庶民服を着た金髪の女──いや、少女と言っていい年齢だろう彼女は、身の丈ほどの杖をぶら下げ、ご馳走を目の前にした狼のようにジュルリと舌なめずりをする。だが彼女の表情には、肉食獣が持ち合わせる獲物への感謝の念が欠けていた。
代わりに、獲物をいたぶり悦に浸るゴブリンのように歪んだ笑みを浮かべていた。
「皆さんは人の命をお金で買おうとしましたねー? なら当然、自分の命を狩られる覚悟もできてるよなァ?」
(こいつはヤバすぎるッ! さっきの奴とは比べ物にならない……ッ!)
すぐさま踵を返し、走り出そうとしたジスール。彼の足を止めたのは、客たちの集団のすぐ後ろまで迫っていた赤目の少女の存在だった。
誰もが怯み、八方塞がりな現状に心が折れ、膝から崩れ落ちる者も現れた。
その中の一人──客たちに紛れて逃げようとしていた人攫いのクラメルは、恐怖に駆られ怒鳴る。
「クソッ……! ここからだせぇえぇぇっ!」
クラメルはやけを起こして金髪の少女に殴りかかったが──。
「その焦りと恐怖の混ざった絶望顔……いいねぇ」
「舐め──」
一瞬のうちに光属性エンチャントを施された長杖によって、叫ぶ間も無く首を刎ねられた。
(おれたちは、ここで死ぬ……)
武の心得がない者でさえわかる、圧倒的な実力。全員が束になってかかっても五秒と持たずに全滅するだろう敵に挟み撃ちにされ、心が折れない者など一人もいなかった。
「あぁ……これだよこれェ……一人残らず絶望して、生きることを諦めて……死んだ魚のような目で俺を見上げるこの絶景! 最っ高ぉ……」
彼女は纏めた髪を解くと、金の髪が靡く。慈愛の光に満ち、女神の祝福でも受けたかのような透き通った金の長髪。それとは裏腹に、人の絶望顔に対し純愛とも呼べる笑顔を向けるという悪魔的な感性を、彼女は持っている。
この場にいる誰もが彼女の悪魔的で、しかし優しい微笑みにさらされたことで悟った。
(おれは、楽には死ねない……)
その上、少女は首を刎ねられた男の死体を見て楽しげに言う。
「この鞭にこの薄汚い服、こいつ人攫いだったのか。そんでこの鞭で日々奴隷をいたぶって愉悦に浸っていたと……うんうん。ならちょうどいいですねー。見せしめになってもらいましょう」
客たちににっこりと微笑みかける少女を不気味だと思わない者など、ここにはいなかった。
少女はしばらくの間天使の笑顔を保つと、すぐに悪魔の笑みを浮かべた。そして、クラメルの死体から鞭を取り上げる。
「こいつは生きてる人の尊厳を踏み躙ったんですよねー? でしたら、死んだ後に尊厳を踏み躙られても文句は言えない。そうだよなァ!」
言うや否や、少女は鞭でクラメルの死体を打った。何度も何度も、死体がボロボロになっても構わず打ち続けた。
「次はおまえらがこうなるんだぞ」
そう客たちに訴えかけるように。
これから自分が何をされるのかを想像してしまった客たちは、とうとう精神の限界に達し、次々と気を失っていった。
***
「あれ? 気絶したのか?」
急にバタバタと倒れ出す獲物たちを見て、天にも昇る心地よさに浸っていた俺は現実に引き戻された。
「そのようですね。あまりに絶望的な状況に、精神が耐えられなかったのでしょう」
俺の隣に来たラスティの推測を聞き、俺は後頭部を掻きながらため息を吐いた。
やりすぎたか……もっと、それこそ精神が壊れるくらいに絶望した顔を見たかったんだが、やっぱメンタル弱い奴らだと加減が難しいな。ま、視界一面絶望顔に埋め尽くされたあの絶景を拝めたからいいか。
「フラウ様。この者たちは如何しましょうか?」
「放っておく。俺は快楽殺人鬼でもなければ正義の味方でもないからな。処分は騎士団に任せる」
「あれだけのことをしておいてよく平然と、自分は快楽殺人鬼ではないなんて言えますね」
ラスティの呆れ果てた嘆息に、俺はジト目を返す。
「あのなぁ、俺はあくまで絶望顔を楽しんでいるだけで、殺しを楽しんでるわけじゃないぞ?」
「そうですか」
「信じてないだろ……」
「それよりも、早くここから出た方がいいのではありませんか? フラウ様はあのベオンという王子のことも狙っているのでしょう?」
話逸らしたな? ……ま、いいか。
「ああ。ラスティも俺がベオン狙いだと気付いてたのか。それなら話は早いな。俺が穴を開けるから、手分けしてベオンを探そう」
「承知しました」
俺はもう一度髪を纏め直し、ラスティに笑いかける。
「じゃ、行くぞ?」
「はい」
そうして俺は杖を振りかぶり、オークション会場へとつながる壁を殴り壊した。
「あ、それとラスティ」
「はい? なんでしょうか?」
「俺の趣味に付き合ってくれてありがとな」
そう言って俺は、粉塵に紛れて会場へと戻った。
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