倒産神の底値買い(ディストレス・インベストメント)
下層地区の最南端。そこは神と世人の双方から同時に遺棄された、死の地であった。
ここの土地は不気味なほどに灰白く立ち枯れており、生命力が最も強靭な雑草ですら、その痕跡を絶やしている。
チャン・ヨウシーは砕けた石畳の道を歩み、今にも崩れ落ちそうな神殿の大門を力任せに押し開けた。
木製の軸が擦れ合って刺耳な軋み声を上げ、床一面の埃を驚き散らす。
守衛もおらず、信徒もいない。
穹頂は半分以上が崩落しており、冷ややかな月光と残された夕日の光が交錯しながら漏れ落ちて、真ん中に鎮座する、亀裂に満ちた無頭の神像を斜めに照らし出していた。
神像の表面は斑駁に荒れ果て、本来なら麦の穂を手にしていたはずの右腕は根元から断裂し、ただ粗糙な石礫の断面を残すのみだった。
チャン・ヨウシーは神台の前に立ち、霊台の深淵にある古巻を音もなく展開した。
暗色の因果の糸が竹簡から這い出し、幾筋もの糸となって、その残破な石像へと絡みついていく。
古篆が識海の中に浮現する。その字跡は暗淡としており、今にも消え入りそうな死気を漂わせていた。
『瀕死の神道基业を探知。本源は枯渇し、神格は崩壊寸前なり』
彼はこの生気の欠片もない死物を端的に見つめ、心の中でこの取引に独自のラベル(付箋)を貼り付けた。
「記念すべき最初の一件(初案件)だ。これからはお前を『零号不良道基』と呼ぶことにしよう」
――いや、流石にこの呼び方はマズいか?
零号不良道基。
口に出してはいけない、規約違反でBAN(アカウント実質消滅)されかねない!
チャン・ヨウシーは慌てて呼称を元に戻した。前世でトップクラスの空売り機関の操盤手だった彼は、無数の泥沼のような破綻案件(ロクでもない現場)を見てきた。
目の前のこの局面――市場シェア(信仰)は競合他社に貪り食われ、中核事業(権能)は完全に停止、最後の純資産(本源)すら流出している。
だが、彼にはこの支点が必要だった。
チャン・ヨウシーは階段を上り、神像のすぐ近くまで進むと、緩やかに右手を伸ばし、掌を亀裂だらけの冷徹な石座へと押し当てた。
接触した瞬間、霊台の中の古巻が激しく震破した。
あの無数の暗色たる因果の糸が一瞬にして張り詰め、深邃なる旋律(渦潮)へと化し、彼の神識の一縷を強引に引き剥がして、神明の残存する因果の潮流を逆流させていく。
周囲の残垣断壁が、剥がれ落ちる壁紙のように破片となって砕け散った。
視線が再結合した時、目の前の世界はすでに完全に転覆していた。
レンガもなければ、神台もない。
彼は見渡す限りの、果てしなく枯れ果てた麦畑の中に立っていた。
頭上の天空は、蜘蛛の巣のような黒い亀裂で覆い尽くされ、虚空の嵐がその亀裂に沿って、この世界の境界を絶えず喰らい尽くしている。
ここは神明固有の『精神領域(固有結界)』。今や崩壊の絶路へと至っていた。
麦畑の真ん中にある枯れ井戸の傍らに、ひとつの虚幻な人影が静かに丸まっていた。
彼女は元の色が判別できないほどボロボロになった麻のロングドレスをまとい、一面の銀髪は輝きを失って、枯れ草のように肩へと散らばっている。
その躯体は半透明の質感を呈しており、点々とした金色の光塵が彼女の指先から絶えず剥離し、砕け散った天空へと霧散していっていた。
生者の気配を察知し、その丸まっていた女が緩やかに頭を上げた。
それは、世に存在するあらゆる賛辞の言葉を色褪せさせるほどの美貌だった。
死に瀕した惨白さに透け、神域の崩壊による灰燼に塗れていようとも、その骨の髄に刻まれた清冷さと悲憫は、依然として直視を躊躇わせる威厳を放っている。極光のごとく眩いその瞳がチャン・ヨウシーを死に物狂いで見つめていた。そこには死への恐怖などなく、ただ裏切りを経験した後の、頑なな拒絶と防備だけがあった。
チャン・ヨウシーの呼吸が微かに滞り、心臓が本能的にドクンと半拍遅れた。
これは凡骨の肉体が、極限の美に直面した際の生理反応だ。
ウォール街の冷血動物である彼でさえ、脳裏に一瞬のアイデアが閃いた。
(この女、綺麗にパッケージングしてロードショー(投資家説明会)に投資すれば、確実に数百億規模の融資を騙し取れるぞ……)
「――轟隆!」
神域の今にも崩落しそうな穹頂に、前触れもなく一発の地鳴りのような雷鳴が炸裂した!
極めて覇道なる『紫霄神雷』の天威が空間の阻害を貫通し、ダイレクトにチャン・ヨウシーの神識をロックオンした。
霊台の古巻が刺目たる血色の古篆を爆発させ、煌々たる天威が眉心へと直逼する。世俗の妄念を生じて因果を褻瀆すれば、即座に斬って赦さずという警告だ。
チャン・ヨウシーは背筋を凍りつかせ、心の中で狂ったように清心咒を黙唱した。
(神は世人を愛し、俺は査帳を愛する! 彼女は今まさに絶賛減損処理中のコードに過ぎない! 再構築を待つ不良債権の山だ!)
天の威圧は、彼の瞳の奥が瞬時に死水へと凍りつくような冷漠さに変わったのを見定め、ようやく矛を収めて緩やかに霧散していった。
チャン・ヨウシーは、この清算法は遅かれ早かれ人を狂わせるなと内心で毒づき、視線を再び前方へと投じた。
アナスタシアは警戒の眼差しでこの不速の客を注視していた。
彼女はてっきり、これが教廷の送り込んできた、自分が完全に死に絶えたかを確認するための異端審問所の刺客だと思っていた。しかし、目の前の男の瞳はあまりにも異様だった。
信徒の持つ貪欲さもなければ、教廷の偽善もなく、その美貌に対する淫らな渇望すらない。
その黒眸は深邃で、理知的であり、高高上上でありながらも、無悲無喜の漠然さを宿している。
「凡人よ……」
アナスタシアは虚弱に口を開いた。その声は空霊でありながら、凄涼さを帯びていた。
「お前は、吾の崩御を看取るために教廷が遣わした者か? 戻ってウルバヌスに伝えるが良い。吾は例え神格が消滅し、この虚空の塵芥と化そうとも、最後の本源の一滴すら彼の十字架に捧げるつもりはないと」
チャン・ヨウシーはその悲壮なセリフを完全に無視した。
彼は無表情に歩みを進め、枯れ果てた麦の茎を踏み締めながら、彼女の三歩手前でピタリと足を止めた。その視線は精密なスキャナーのごとく、彼女を上下に一瞥すると、一切の温度を排した宣判を冷酷に言い放った。
「氏名、アナスタシア。旧名、豊穣と生命の女神。現在の気運帳目(財務状況)――債務超過(資不抵債)、香火断絶」
チャン・ヨウシーは手を上げ、指先で虚空に、他人には見えない数本の因果の糸をトレースした。
「天道司算による監査の結果、お前の信徒流出は自然減少ではない。教廷による悪質な空売り(ショート)だ。奴らは劣悪な神跡を用いて豊穣の法則を改ざんし、お前の願力プールを盗み取った。さらに、お前の神格の根底にバグ(脆弱性)を植え付けた。端的に言えば、お前は全財産を騙し取られた挙げ句、他人の黒い帳簿(黒幕)の身代わりにされた。今の貴女は、最後のパンツ(底金)まで毟り取られる寸前だ」
アナスタシアは呆然と硬直した。
彼女にはその耳慣れない奇妙な金融用語(言葉)の意味は理解できなかった。しかし、相手の言葉に込められた精密極まるプロファイリング(分析)だけは、痛烈なまでに理解できた。
この凡人、教廷が彼女の神格を窃盗した秘密を、完全に見抜いている!
「お前は……一体何者だ?」彼女の絶望に満ちた瞳の奥に、微小な波瀾が灯った。「お前の言うその言葉は、東方の古き呪文なのか?」
「俺が誰かは重要じゃない。重要なのは、この空間がもうすぐ完全に崩壊するということだ。そしてお前は、この空間の主宰として、これに伴い灰燼に帰す」
チャン・ヨウシーは彼女の絶え間なく虚像化していく指先を見つめ、これ以上の無駄話を切り捨てた。
彼は両目を閉じ、霊台の古巻を誘導する。
先ほど鉄砧会の不正を暴いて獲得した、あの純粋な『功徳』の一団が、竹簡から強引に抽出された。
これこそが、現在彼の手元にある唯一の持ち札(資本)だ。
チャン・ヨウシーは猛然と目を開き、指先から一滴の精血を凝縮させた。功德を墨とし、虚空を紙として、二人の間に蒼茫たる気配を放つ金色の契約書を高速で描き出す。
「吾を……救うだと?」
アナスタシアは凄惨に微笑んだ。
「吾の神格はすでに亀裂で満ちており、願力の回路は教廷によって完全にロックされている。信徒の祈りなき神など、ただの空殻に過ぎん。凡人のお前が、何を以て吾を救うというのだ?」
「誰が、運営の維持には『願力』なんていうハイリスクな違法クラウドファンディング(非法集資)しか使えないと言った?」
チャン・ヨウシーは冷笑し、右手を真っ直ぐに突き出すと、アナスタシアの今まさに消えかかろうとしている、冷徹で虚幻な細い手首をガシッと掴み取った。
「な、何をするのか――!?」
アナスタシアは血相を変え、本能的に振り払おうとする。
「動くな! 生き残りたいなら、大人しくこの因果を引き受けろ!」
チャン・ヨウシーの鋭い一喝が彼女を遮った。
次の瞬間、あの金色の契約書が一条の流光と化し、アナスタシアの眉心へと直撃した。
常軌を逸したまでに精純で宏大なるエネルギーが、チャン・ヨウシーの掌を伝って、決壊した大河のごとく、彼女の崩壊寸前の神格へと狂ったように流入していく!
それは『願力』ではない。
信徒の雑音もなく、欲望の執着もない。
その力は純粋で、覇道であり、天地の正道のごとく煌々としていた。それは西洋神話体系の穴だらけな信仰ルートを傲慢にバイパス(迂回)し、彼女の神格の亀裂を乱暴に埋め立てていく。
――東方天道、純浄なる功徳!
「――オンッ(嗡)!」
神域の中に、黄金色の極小の嵐が巻き起こった。
枯れ果てていた麦畑が、この金光の照過の下で、奇跡のように微かな緑の息吹を芽吹かせ始める。
頭上の砕け散りかけていた虚空は、その崩落を完全に停止した。
アナスタシアの虚幻だった身体が、肉眼で判別できる速度で実体化していき、惨白だった面容に一筋の血色が戻る。
金光が霧散した。
彼女は地面にへたり込んだまま、激しく喘息いでいた。体内の、全く異質でありながらも、この上なく堅固なエネルギーの存在を感じ取り、脳内は完全に空白と化していた。
彼女は生き残ったのだ。信徒の憐れみに縋ることなく、目の前のこの凡人によって、彼女の理解を遥かに超越した大いなる力で、死線から強引に引きずり戻されたのだ。
「お前は……吾に一体何を授けたのだ?」
彼女はその男を見上げ、声を微かに震わせた。
「俺の故郷(市場)じゃ、これを『功徳』と呼ぶ。だが、俺個人としては――『第三者割当増資によるブリッジローン(過渡的融資)』と呼ぶ方がしっくりくるな」
チャン・ヨウシーは彼女の手を離し、胸の内に生じた場違いな雑念を強引に圧殺すると、背筋を伸ばし、両手をパンパンと叩いた。そして、資本家特有の、極めてプロフェッショナルで冷酷なトーンで言い放った。
「これこの瞬間を以て、お前の因果は俺が全資買収した。お前はもう、教廷がいつでもゴミ箱に放り込める廃棄ペーパー(紙屑)じゃない。このチャン・ヨウシーの名の下にある、独占的パートナーだ。おめでとう、女神殿下。――貴女は今、資産再構築された」




