取引(とりひき)
鉄錆城の正午。太陽の光はまるで刃の溢れた鈍刀のように、煤煙の雲層を辛うじて切り裂いているが、街を満たす濁った空気までを切り開くことはできない。
チャン・ヨウシー(ユウキ)は、駅館へと続く道を一人歩いていた。
灰色の革鎧は洗い古されて白く褪せ、腰には本戦への出場を示す暗金色の正賽徽章がぶら下がっている。それ以外には、身の回りに何一つ持ち合わせていなかった。
駅館の三階――『信仰交易所』。
階下にある静室の簡素な佇まいとは打って変わり、ここには見せびらかすような、剥き出しの贅沢が至る所に満ちていた。
床には東方から輸入された瑪瑙のタイルが敷き詰められ、壁には十二幅にも及ぶ巨大な絵画が掲げられている。そこには、富の神が主宰(主神)と共に世界を創造し、恩典を分け与える神話の一幕が描かれていた。
十丈を超える高さを誇る穹頂(ドーム天井)には、複雑な星図と聖痕が隙間なく描かれ、その中央には巨大な金色の天秤が鎮座している。
噂によれば、この金色の天秤は富の神の聖遺物であり、魂の質量を量ることができるのだという。
だが、チャン・ヨウシーの『洞微鑑業法目』は、大門に足を踏み入れた瞬間にすでに起動していた。
法目の視界を通せば、そんな神聖なフィルターなど綺麗さっぱり剥ぎ取られてしまう。
壁画の内部には細密な願力回路が編み込まれており、侵入者の情緒に【潜在的】な影響を与え、無意識のうちに畏怖と服従を植え付ける。
足元の瑪瑙タイルにも微型の監視法陣が組み込まれており、歩幅から体重の変化にいたるすべてのログ(記録)を精査していた。
「表面は神聖な殿堂、実態はただの【尋問室兼交渉テーブル】だな」
チャン・ヨウシーは心の中の裏帳簿にそっとメモを入れた。
ホールの中央には、楕円形の黒曜石で作られた長テーブルが置かれている。
その片側には、一人の人物だけが腰掛けていた。格利高里副主教である。
彼は暗金色の長袍を身に纏い、三重冠を傍らに置き、剥き出しになった禿頭と、鷹のように鋭い双眸をこちらに向けていた。
年齢を判別するのは難しかった。肌の手入れは行き届いているが、目尻の深い皺の奥には、ある種の疲弊と陰険さが隠されている。
彼の半歩後ろには、痩せ細った影のようにフェッシャーが佇み、片眼鏡の奥にある蛇のような冷たい眼で、入り口のチャン・ヨウシーを死に体で凝視していた。
「イファン・ヒューズ(エヴァン・ヒューズ)」
グレゴリーの声は、低く、そして平坦だった。
「掛けたまえ」
チャン・ヨウシーは長テーブルの反対側へと歩み寄り、椅子を引いて腰掛けた。
椅子は鉄樺の木で作られており、非常に重い。椅子の背もたれには複雑な茨の紋様が彫り込まれており、座ると、微弱な願力の波動が脊髄を伝って這い上がってくるのが分かった。
これも明らかに尋問設備の一部であり、対象者が気づかぬうちにその精神防壁を減衰させるための仕掛け(デバイス)だ。
チャン・ヨウシーは脳内の玉冊を駆動させ、一縷の清らかな光で霊台を走査し、侵入してきた願力のさざ波を瞬時に粉砕した。
「副主教大人におかれましては、日理万機(多忙を極める身)でありながら、私のような破産貴族のためにわざわざお時間を割いていただき、実に光栄の至りです」
彼はわずかに身を屈め、平淡なトーンで言った。
グレゴリーは笑わなかった。彼の指先が、不規則だがどこか一定の隠されたリズムで、机の表面をコツ、コツと叩いている。
「イファン少爷、君が選抜賽(予選)で見せたパフォーマンスは、教廷の【内務監査部】の関心を引くのに十分だったよ」
彼は前置きを省いて本題を切り出した。
「君がランス・ブルックやモリソンを撃破した手法は、既存のどの登録済み斗気流派にも属しておらず、教廷が正式に認可した神術体系にも該当しない」
彼は言葉を止め、鷹のような鋭い視線でチャン・ヨウシーの目を真っ直ぐに見据えた。
「教廷という組織はね、未知の力に対して、常に強い警戒を怠らないのだよ」
チャン・ヨウシーはその視線を受け止め、逸らさなかった。
「副主教大人のおっしゃる通りです。【未知】こそがリスクの根源ですから」
彼はわずかに目を伏せ、何かを回想するような仕草を見せた。
「ヒューズ家が破産した後、私は祖宅に残されたあらゆる資産を、自らの手で清算せざるを得ませんでした。来る日も来る日も帳簿とアセットに向き合ううち、いつしか、私は他人の見えない『データ』が見えるようになったのです。聖遺物の内部にある願力の紋様、法陣のノード(結節点)の安定性、そしてエネルギーの流向が健全であるかどうか……」
彼は一拍置き、顔を上げてグレゴリーを見つめた。
「人はこれを『鑑識の才』と呼ぶかもしれません。斗気でもなければ神術でもない。もちろん、邪術の類でもありません。ただ……窮途末路(どん詰まり)に追い込まれた時に、生き残るために【強制的に開かざるを得なかった目】なのです」
「追い込まれて開いた目、かね?」
「はい」
チャン・ヨウシーの声には一切の感情の起伏がなかった。
「ランス・ブルックの『烈風拳套』は、内部の願力回路が数箇所で破断しており、コアのノードはとうに耐久限界を超えていました。モリソンの『血紋短匕』にいたっては、精血と願力が異常混流を起こしており、長期運用すれば必ず深刻なバックファイア(拒絶反応)を招く状態だったのです」
グレゴリーの指先が、ピタリと動きを止めた。
彼はチャン・ヨウシーを長い間見つめ続けた。その沈黙の重さに、後ろに控えるフェッシャーすらも不自然に立ち位置を微調整するほどだった。
「イファン少爷、君は非常に【デンジャラス(危険)】な存在だ」
彼は言った。
「君が強いからではない。君が『見すぎている』からだ。信仰によって秩序を維持しているこの世界において、内部構造(裏側)を見すぎた人間は、往々にして長生きできないものだよ」
「ですが、真偽によって駆動している世界においては」
チャン・ヨウシーは極めて冷静にリターン(応酬)した。
「本質を見誤る(解像度の低い)人間から先に、市場(地獄)へと退場することになります」
二人の視線が激しく火花を散らす。
空気は文字通り、氷結したかのように凝固した。
その刹那、チャン・ヨウシーの瞳孔の深奥で、極めて淡い青色の光が閃いた。
――洞微鑑業法目、全開。
法目の冷徹な解析ログの下、グレゴリーが纏う暗金色の長袍という表象が、玉ねぎの皮を剥くように綺麗に剥離されていく。
表面上のグレゴリーは、三階位の頂点に君臨する教廷の高層であり、圧倒的な願力を有し、神威を撒き散らしている存在だ。
彼の右手の薬指には暗金色の印璽が嵌められている。それは高階聖遺物『信仰仲裁者の印璽』であり、豊穣之城教廷支部における最高権威のシンボル(マスターキー)だった。
だが、チャン・ヨウシーの視線はその印璽の表層を透過し、内部で複雑にうごめく願力回路を直視していた。
それは、極めて精緻かつ巨大な「送金(送力)システム」だった。
インプット(入力端)は豊穣之城の数万人に及ぶ信徒の祈り(ネットワーク)へと接続されており、金色の願力がまるで奔流となって、絶え間なく印璽へと流入している。
しかし、アウトプット(出力端)のデータを確認した瞬間、チャン・ヨウシーの眉が微不可察にピクリと動いた。
印璽のアウトプットには、三本の主要なパイプが存在していた。
* **第一ルート:** グレゴリー本人への還流。――全体の【約三割】。この願力が彼の修为と寿命を維持しており、安定して継続供給されている。
* **第二ルート:** 豊穣之城教廷支部の日常運営費。――全体の【約二割】。
* **第三ルート:** そして最も太い、メインのパイプ。それは一つの『秘匿ノード(隠し口座)』へと直結していた。
そのノードは多層的な暗号化迷霧によって厳重にカプセル化されており、法目をもってしても最終的なディスティネーション(目的地)を特定することはできなかった。だが、チャン・ヨウシーの目にははっきりと見えていた。
このメインパイプが、流入する願力総量の【五割(五十パーセント)】をそのままピンハネ(截流)している事実を。
「おもしろいな」
チャン・ヨウシーは脳内で瞬時に会計スプレッドシートを弾いた。
「豊穣之城教廷支部の信徒願力は、五割(半分)が上層部(親会社)によって吸い上げられている。グレゴリーは地域統括のCEOでありながら、個人報酬として三割、地方拠点の運営費として二割の予算しか与えられていないわけだ。つまり、この豊穣之城支部は、実質的に本部に利益を徹底搾取されている【ただのタコ部屋(子会社)】に過ぎない」
彼はさらにディープスキャンを続けた。
さらに奇妙だったのは、グレゴリー本人の経絡のコンディションだ。
彼の修为は一見安定しているように見えるが、丹田の奥深くに、古い暗傷が隠されていた――戦闘によるダメージではない。長期にわたる願力の供給不足が原因で発生した、いわばエネルギーの『栄養失調』だ。その暗傷は、高濃度の願力を強引にパテのように塗りたくることで隠蔽されていた。その手法はカイルのそれと完全に一致しているが、カイルよりも遥かに隠蔽の手際が良く、老練(巧妙)だった。
(グレゴリー自身も、すでに【債務超過(透支)】状態か)
チャン・ヨウシーは冷徹な監査結論を下した。




