鉄砧会の終焉
チャン・ヨウシー(ユウキ)は掘っ立て小屋から出ると、反手で軋む木扉を閉めた。
すでに黄昏が色濃く沈み、鉄錆城の路地はまるで血を抜かれた血管のように、灰暗い空の下でうねりながら伸びている。彼はすぐには立ち去らず、入り口に佇んだまま『法目』を半開にし、周囲の環境を静かにスキャンした。
功徳のチャージ量がまだ足りない。もっと大きなターゲット(案件)が必要だ。
――『鉄砧会』。
首領であるハドンの右腕は、すでに自分が破壊した。組織は手痛い損害(大打撃)を被っているはずだ。
今チャージされている僅かな功徳の力を使い、レバレッジをかけて、小で大を制す(一発逆転を狙う)!
「病める奴(弱り目)には、致命傷を」
「今こそ殴り込みをかける、最高の【買収(M&A)ウィンドウ期】だ」
彼は踵を返し、鉄砧会の本拠地へと向かって歩き出した。
……
チャン・ヨウシーは、鍛冶屋の向かいにある屋根の陰に潜み、法目を全開にしていた。
彼の視界において、建造物全体が暗紅色の願力の霧に覆い尽くされている。その霧の下では、無数の因果の糸がまるで蜘蛛の巣のように複雑に交錯していた。
ハドンはホールの中心にいた。
その右腕には以前よりも分厚い包帯が巻かれており、布の隙間からは暗紅色の血がじわりと滲み出ている。
だが、チャン・ヨウシーの視線はその腕ではなく、男の目の前に設置されたデバイスへと注がれていた。
それは、グレイラット(灰鼠幫)のガラクタよりもさらに粗悪で劣悪な『願力抽出装置』だった。その中枢には、拳大の聖遺物の破片が強引に埋め込まれている。
装置のインプット(入力端)からは十数本もの太い暗紅色のラインが伸び、ホールの四方に設置された木製の磔台へと直結していた。そこには、身動きを封じられた鉄砧会の構成員たちが縛り付けられている。
彼らの顔色は死人のように白く、唇は乾きひび割れ、手首に接続された導管から、生命力が絶え間なく装置へとドレイン(吸引)されていた。
「典型的な【関連当事者による資金流用】だな」
チャン・ヨウシーは心の中で冷笑した。
「ハドン、お前は自分の部下にまで手を付けるか」
装置のアウトプット(出力口)は、ハドンの右腕へと接続されていた。暗紅色の願力流が導管を伝って包帯の下へと流れ込み、まるで貪欲なヒル(寄生虫)のように、彼の爆裂した経絡を強引に吸着・修復している。
だが、チャン・ヨウシーはそれ以上に致命的な【リスク】を検知していた。
聖遺物の破片が完全にオーバーロード(過負荷)状態で駆動している。内部の圧力は、すでに限界値の九割にまでビルドアップされていた。
これ以上使用を続ければ、破片が自壊するか、装置そのものが巨大な願力爆弾と化す。
そして、ハドン自身はその事実に全く気づいていない。
彼はただ、自分の右腕に力が戻りつつあること、その灼熱するような充満感のためなら、どんなコスト(代償)を支払っても惜しくはないと盲信しているのだ。
「愚か者が」チャン・ヨウシーは低く吐き捨てた。
彼は屋根から滑り落ち、落ち葉のように静かに鍛冶屋の裏庭へとランディングした。裏庭には二人の看守が壁に寄りかかってうたた寝をしていた。
チャン・ヨウシーは一人目の看守の背後に音もなく忍び寄り、そのボナペティ(後頭部)を軽く叩いた。看守は糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
二人目の看守が驚愕して目を覚まし、大声を上げようとした瞬間、チャン・ヨウシーの短刀の柄が閃き、二人目もそのまま意識をシャットダウンされた。
彼は裏門からホールへと潜入した。
屋内の光景は、法目でスキャンしていたデータ以上に凄惨なものだった。
負傷した十数人の構成員たちが木枠に拘束され、まるで屠殺を待つ家畜のように並べられている。
手首のチューブからは、暗紅色の血液と淡金色の願力が混ざり合った液体が、中央の装置へと絶え間なくポンピングされていた。
装置は鼓膜を削るような耳障りな駆動音を響かせ、コアの破片に走る亀裂が、暗紅色の光の中で怪しく明滅している。
ハドンは装置の傍らにある鉄椅子のシートに深く腰掛け、左手には新しい戦槌を握っていた。以前の『砕骨』より一回り小さいものの、表面の願力紋様はさらに高密度であり、まるで幾重にも編み込まれた投網のようだった。
「誰だ……?」
ハドンがゆっくりと振り返った。
チャン・ヨウシーはその時初めて、男の右腕が左腕よりも一回り膨張しているのを目撃した。皮膚の下には網目状の暗紅色の紋様がびっしりと浮き出ており、まるで焼き付けられた蜘蛛の巣のようだ。
指の関節は異形に歪み、爪は暗金色の鉤爪へと変貌を遂げていた。
「どこのどいつか知らねえが、」ハドンは下劣にニヤつき、粗悪な煙草で黒ずんだ歯を剥き出しにした。「わざわざ来ちまったからには、俺の融炉になってもらうぜ。ちょうど装置に『新鮮な魂』が足りてなかったところだ。お前の命は、そこらのゴミ共より遥かに純度が高そうだからな」
彼が右腕を持ち上げると、暗紅色の願力紋様が生き物のようにうごめいた。
装置の駆動音がさらに一段と跳ね上がり、コアにある破片の亀裂がまた一分広がった。
「お前のやってるそれは、いわゆる【不正集金】だ」
黒布の奥から、チャン・ヨウシーの低く篭った声が響く。
「原資は手下の命。実際のレバレッジ(過負荷)はすでに規制(安全)ラインを大幅に突破している。これ以上ドレインを続ければ、俺が手を下すまでもなく、お前自身が【強制ロスカット(自爆)】するぞ」
「御託はナシだっ!」
この蒙面の男の言葉は、あの没落貴族の坊主と同じくらい意味が分からん。
ハドンは激昂し、左手の戦槌を暴風のごとき咆哮とともに振り下ろした。
鉄椅子に座ったままの不完全なスイング。だが、その一撃の威力はチャン・ヨウシーのシミュレーション(予測)を超えていた――戦槌の表面の願力回路が膨張し、まるで点火された血色の火焔と化す。
チャン・ヨウシーは右側へと半歩スライドした。
戦槌が彼の側面の青石の床へと叩きつけられ、砕石が激しく弾け飛ぶ。床には三尺ものクレーターが穿たれ、その衝撃波によってチャン・ヨウシーは半丈ほど後方へとノックバックした。灰色の革鎧が石の粉で白く染まる。
(出力は上がっている)
(だが、安定性は最悪だ。右腕は強引に結合されただけで、経絡の構造が完全に歪んでいる。願力の変換効率は、せいぜい六割(六十パーセント)以下だな)
ハドンはインターバル(休息)を与えない。
猛然と立ち上がると、戦槌を暗紅色の旋風のごとく変貌させ、三連続の猛撃を繰り出してきた。一撃ごとに鋭い風切り音が炸裂し、ホールの空気は圧縮されて悲鳴のような音を立てる。
チャン・ヨウシーはひたすらステップ(回避)に徹した。
その挙動は決して速くはないが、すべてのスイングのデッドゾーン(攻撃の届かない安全圏)を正確に見極めて着地している。
しかし、回避し続けるわけにもいかない。
ハドンの四撃目が上空から垂直に振り下ろされ、左右への退路を完全にデッドロック(遮断)した。
チャン・ヨウシーは急速にバックステップし、ホールの石柱へと背中を預けた。
「逃げろ! ほら、もっと逃げ回ってみせろ!」ハドンは残虐に歪んだ笑みを浮かべ、戦槌を天高く掲げた。「いつまでその小細工が持つか、試してやろうじゃねえか!」
チャン・ヨウシーは顔を上げた。法目のフォーカスが、戦槌のコアへと完全にロックされる。
その武器の因果の糸の構造は、以前の砕骨戦槌よりも遥かに複雑化していた。
コアに埋め込まれた次級聖遺物の破片からは、三本の太いラインが伸びている。一本は槌頭、一本は槌柄、そしてもう一本はハドンの歪んだ右腕へ。
だが、その三本のメイン・ラインの交差点に、極めて細い一本の【灰白色】の糸が存在していた。それはまるで大木の幹に寄生する蔓のようであり、破片のコアと戦槌の外殻を接続することで、この構造全体の安定性を辛うじて維持しているシステムだった。
さらに、チャン・ヨウシーは法目のパッシブ(解析)により、その破片の『真実』を見抜いていた。
破片の亀裂は、すでに限界値の【九十五パーセント】に達している。願力を循環させるたびに、亀裂は一分ずつ拡大していく。あと一度でも最大出力を解放すれば、破片は内部から確実に自壊する。
(次が、ラストの一撃だ)チャン・ヨウシーは心の中でプロファイリング(判断)した。
(ハドンは全力でこの一槌を振り下ろす。その瞬間、破片はクラッシュし、戦槌のバックファイア(反噬)によってハドンの右腕は完全に消滅する。連動して彼の半身も機能停止だ)
本来なら、このまま待っていればいい。ハドンが勝手に自滅するのを傍観していれば済む話だ。
だが、ホールの周囲にはまだ十数人の鉄砧会のメンバーが木枠に縛り付けられている。破片が自壊した際の爆風の総量は、彼ら全員を巻き込んで消滅させるに十分な威力だった。
(やれやれ、悪党とはいえ【人的資源】だからな)
チャン・ヨウシーは右手の人差し指を突き出した。金青色の微光が指先に集束していく。
彼が切り裂いたのは――破片とハドンの右腕を繋ぐ、あの暗紅色の太いメイン・ラインだった。
戦槌コアの破片が、激しく共鳴(震動)した。
本来なら装置からハドンの右腕へとパッシング(供給)されるはずだった願力の流向が、一瞬にして制御を失ったのだ。
決壊した濁流のごとき願力が、一斉に戦槌のコアへと逆流する。
破片は、わずか〇・五秒の間に設計限界の『三倍』に達する圧力を受けることとなった。
――ドォン!!!
戦槌が中央から大爆発した。
暗紅色の願力の破片が散弾となって四方へと飛散する。最も至近距離にいたハドンは、歪んだ右腕に三発の破片をダイレクトに浴び、ボロ雑巾のように後方へと吹き飛ばされて、背後の鉄椅子へと激しく衝突した。
鉄椅子がひしゃげ、ハドンは歪んだ金属の残骸の中に崩れ落ちた。その右腕は奇怪なアングルへとねじ曲がっており、どう見ても完全に再起不能(永久欠番)だった。
チャン・ヨウシーは最初から予測していた。
彼はすでに身を屈め、石柱のパッシブ・シールド(死角)へと退避していた。
爆発の余波が石柱を掠めて通り過ぎ、灼熱の熱風が吹き抜ける。
ホール内に煙塵が立ち込める。
チャン・ヨウシーは石柱の影から歩み出ると、膝についた灰を軽く払った。
ハドンは未だにひしゃげた鉄椅子の中で横たわり、焦点の合わない目で天井をじっと見つめていた。
無数の傷口から暗紅色の血液がドクドクと滲み出ており、その姿はまるで解体された機械のパーツのようだった。
戦槌の残骸は周囲に散乱し、コアの破片はすでに暗紅色の粉末へと還っていた。
識海にある玉冊が、微かに共鳴して震える。
【功徳、入金を確認――:〇・八パーセント】
〇・八パーセント。大損(不良債権)もいいところだ。
チャン・ヨウシーは木製の磔台へと歩み寄り、短刀で鉄砧会の構成員たちを縛っていたロープを鮮やかに切断した。
彼らは床へと力なく崩れ落ちた。手首の注射痕からはまだ血が滲んでいたが、少なくとも全員のライフ(脈拍)は残っている。
最初、誰も動こうとはしなかった。彼らは呆然と互いの顔を見合わせ、まるで悪夢からまだ目覚めていないかのようだった。
やがて、顔面を血で汚した一人の痩せこけた男が、猛烈に血の泡を吐き出し、全精力を振り絞ってハドンのいる方向へと唾を吐きかけた。
「黒歯の野郎……このクソ犬が……!」男の声は、生鉄を砂紙で擦り合わせたかのようにガラガラに掠れていた。「俺はお前に七年も付いていったんだ……! 三度もお前の身代わりになって刃物で刺された……! それをテメエ、俺を薪(燃料)代わりに使いやがったな……!」
その罵声を起爆剤として、ホール全体の感情が爆発した。
「ハドンのクソ野郎! 先祖代々呪ってやる!」
片耳を欠損した巨漢が、這いつくばりながら上半身を自力で引き起こし、鉄椅子で虚脱しているハドンを指差して絶叫した。
「人手が足りねえって言うから、俺は実の弟をこの組織に紹介したんだ! 結果はどうだ!? 昨日の夜、テメエあいつをあの磔台に縛り付けやがったな! あいつはまだ十六だぞ! 十六歳なんだよ!!」
「畜生が!」
「鉄砧会なんて、最初から全部デタラメ(詐欺)だったんだ! 俺たちの命を騙し取って、テメエの穴埋めに使いやがった!」
「俺がお前のために命を張った五年間は、テメエの生贄になるためだったのかよ!?」
指を三本失った、老兵のような佇まいの男が、まだ動く腕で地面を支えながら、一歩一歩、ハドンの元へと這い寄っていった。その両眼は血の滲むような赤に染まっていた。
「ハドン・ブラックタスク、お前にもこんな日が来るんだな」
老兵の声は低く、煙で燻された壊れた鐘のように響いた。
「俺の願力を吸い、俺の兄弟の願力を吸い、地下室にいる新入りのガキ共の願力まで吸いやがった。お前はそれを『組織のため』と言ったが、ヘッ! 結局はテメエのその腐った腕一本のためじゃねえか!」
「ぶっ殺せ!!!」
誰かが最初にそう叫んだ。まだ身体の動く数人の構成員たちが、まるで墓場から這い出てきた餓鬼のようにハドンへと向かって這い寄っていく。自分たちを地獄へと突き落とした閻魔の肉を、生きたまま引きちぎらんとする勢いだった。
チャン・ヨウシーは手を伸ばし、彼らの進行ルートをブロックした。
「こいつの帳簿はすでに【破産】している」チャン・ヨウシーは告げた。「今お前たちがこいつを殺せば、教廷はお前たちを逃がさない。生かしておけ。この装置の出所について、異端裁判所に釈明(言い訳)させるんだ」
痩せこけた男は一瞬呆気にとられたが、次の瞬間、猛然と頭を垂れてその肩を激しく震わせた。それは泣いているのではなく、笑っているのだ。壊れて風の漏れる風いごのような、狂った笑いだった。
「そうだ……あいつに釈明させろ……副主教様の裏で、こいつが何を仕出かしていたか、教廷の連中にブチちまけてやる……!」
「歩ける者は、各自で脱出しろ」チャン・ヨウシーは淡々と言った。「動けない者は、夜が明ければ誰かが回収にくる」
誰もすぐには動かなかった。彼らはチャン・ヨウシーを見つめ、その瞳には恐怖、困惑、そして信じ難いほどの『感謝』が混ざり合っていた。
片耳のない巨漢が突如として深く頭を下げ、その額を冷たい青石の床へと擦り付けながら、くぐもった声で「……感謝する」と呟いた。
チャン・ヨウシーは彼らを一瞥もせず、大破した装置の残骸の傍らへと歩み寄った。そこに残留していた願力を吸引し、自身の功徳へとコンバートする。
【功徳チャージ量:三十パーセント → 三十八パーセント】
チャン・ヨウシーは踵を返し、鍛冶屋のプロパティを後にした。夜はすでに深く、鉄錆城特有の石炭の煤煙の臭いが、寒風の中でさらに鼻を刺す。天を見上げると、星々は煤煙の雲に遮られ、わずかに数点の昏黄色の光輪が滲んでいるだけだった。
彼は懐にある古い銅貨に触れ、その温潤なテクスチャ(質感)を確かめた。
「神は人類を愛し、俺は帳簿の監査を愛する」
彼は心の中でそうシステムコードを唱え、古城のある座標へと向かって歩き出した。
背後では、鉄砧会の本拠地であった建物の煙塵が、夜風に吹かれて緩やかに霧散していった。




