決着(チェックメイト)
地べたに半ば倒れ伏したチャン・ヨウシー(ユウキ)を、カイルは狂犬のような目で見下ろしていた。その手元では、『裁罪之刃』を握りしめる指関節が、過度の力みで白く強張っている。
「……貴様、一体どんなクソ呪法を使っている?」
チャン・ヨウシーはゆっくりと立ち上がった。右腕の傷口から血の糸がじわりと滲み出ているが、彼はその痛みを脳の処理から完全に除外しているようだった。
彼は識海の中で高速で帳簿を更新する。
(功徳消費:〇・一パーセント。因果の細線を連続で弾く行為は、精神( CPU )への負荷が限界に近い。今のコンディションでは、持ってあと二十息(秒)が関の山だ)
だが、それ以上に【極めて致命的なファクト】が彼の目に飛び込んできた。
カイルが全出力で『財産の収穫』を駆動させた瞬間、彼の肉体を縛る因果の糸が、無意識のうちに完全に露出したのだ。
チャン・ヨウシーの視界にはっきりと映し出された。カイルの「右肩」「左脇腹」「後腰」の三箇所――それぞれ暗紅色の太い因果線が、願力によって強引に縫合されている。
その暗紅色の縫合線の周囲には、無数の灰白色の細い糸が複雑に絡みついていた。
これらは極めて肉厚で高密度な「パテ(補強剤)」だ。まるでひび割れたコンクリートの隙間に、三層にわたって劣悪なセメントを塗りたくったかのような。
だが、クラック(裂け目)は消えてはいない。願力が循環するたびに、その亀裂は肉眼では捉えられない速度でジワジワと拡大し続けていた。
「三箇所の暗傷、それに施された三枚のパテ(隠蔽工作)」
チャン・ヨウシーは心の中で冷笑した。
さらに、彼は『裁罪之刃』に繋がる因果の糸も捉えていた。
その大剣からは、一本の極めて太い金色のラインがカイルの手のひらを通じて伸びており、擂台の上方に展開された魔法ドームを貫通し、そのまま審判席の方向へと消失している。
そのラインのもう一端(終着点)は、あのグレゴリー副主教の薬指に嵌められた印璽へと直結していた。
「――【使用権】だな」
チャン・ヨウシーは直前の監査プロセス(推測)が正しかったと確信した。
「『裁罪之刃』はカイルの自己所有資産ではない。教廷から一時的に貸与されているものだ。あの金色のラインこそが、その【リース契約書】そのものだ」
一つの戦略が、識海の中でコンパイル(構築)されていく。
だが、そのためにはまだ【トリガー】が必要だ。カイルを完全に本気にさせ、彼の経絡(回路)の圧力を限界値まで押し上げるための決定的なトリガーが。
「カイル様」チャン・ヨウシーの声は極めて静かだったが、相手の鼓膜に確かに届いた。「あなたの右肩にある古傷ですがね、教廷は願力を塗りたくって『三層のパテ』で誤魔化した。その三層のパテの下に、何が隠されているかご存知ですか?」
カイルの身体が、一瞬だけピキリと凍りついた。
「北方の辺境における『鉄荊棘の審判』。あの戦いで負った経絡の断裂だ。肩甲骨から頸椎まで及ぶ深刻な傷であり、本来なら三ヶ月の完全デッドロック(絶対安静)を要したはず。しかし、今のあなたはどうだ?」
「黙れッッ!!!」カイルが咆哮した。
「傷を見破ったくらいで勝てると思うなよ! 小癪なハッキング(小細工)はそこまでにしろ!」
彼は両手で『裁罪之刃』を天高く掲げた。大剣の刀身に刻まれた金色の紋様が眼が眩むほどに融解し、まるで火をつけられた血色の太陽と化した。
もはや、彼に一分の余力も残されていなかった。丹田の底に眠る全願力を決壊した濁流のごとく大剣へと一気にポンピングする。
その負荷に耐えかね、三箇所の暗傷が同時に悲鳴を上げ、経絡の表面に貼られた劣悪な願力のパテが、ボロボロになった壁紙のように剥がれ落ち始めた。
「――神聖裁決・処刑!」
これまでの三倍を超える極太の金色の斬撃が、裁罪之刃の先端から放射された。
その斬撃が通過する進路において、空気中に漂う願力の糸が、猛火に焼かれる蜘蛛の巣のごとく次々と断裂し、焦げ付き、消滅していく。
そして、その壊滅的な光景のコア(中枢)に、チャン・ヨウシーは捉えた。
極限まで引き絞られた一本の純白の細線が、大剣の先端から伸び、彼の胸元へと真っ直ぐに向けられているのを。
(――避けられない。直撃すれば、即座に即死だ)
(ならば、賭けるまで!)
チャン・ヨウシーの瞳孔の奥深くに、金青色の光芒が爆発的に急上昇した。
識海の玉冊が、低く厳かな共鳴を響かせる。
そして彼は、誰もが正気を疑う【暴挙(狂った行動)】に出た。
迫り来る「神聖裁決」の斬撃から、彼は一歩も逃げようとはしなかった。
それどころか、その死線に向けて、自ら一歩を踏み出した(前進した)のだ。
視界を暗金色の光が覆い尽くし、あらゆる存在を貪り食う漆黒の顎のように牙を剥く。
観客席からは無数の悲鳴が沸き起こり、何人かはすでに両手で目を覆っていた。この破産した哀れな貴族が、次の瞬間に一刀両断され、文字通りスクラップにされる無惨な結末を直視できなかったのだ。
だが。斬撃が彼の鼻先に到達するそのコンマ一秒前。
チャン・ヨウシーは右手の人差し指と中指を並べて突き出し(ブレードを作り)、カイルの右肩の暗傷に貼られた、あの「願力のパテ(糸)」へとエイム(照準)を合わせた。
――【斬】。
カイルの右肩に貼られていた願力のパテが、強引に剥ぎ取られた湿布薬のように、内側から激しく自壊した。
暗金色の願力のスパークが、肩の裂け目から噴き出し、穴の空いたバルーン(風船)のように四方へと飛散する。
「が、あぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!」
カイルは人間とは思えない絶叫を上げた。その右腕は肉眼で見て取れる速度で力無くダラリと垂れ下がり、裁罪之刃がその手から零れ落ちそうになる。
供給源を絶たれた「神聖裁決」の光は、チャン・ヨウシーの顔面から一尺にも満たない位置で急激に崩壊し、無数の暗金色の光の粒子となって虚空に霧散した。
チャン・ヨウシーの頬は願力の衝撃波(余波)で数箇所切り裂かれ、顎のラインを伝って鮮血が滴り落ちていた。しかし、彼の眼球は一瞬たりともブレていなかった。
彼は間髪入れずに、第二歩目を踏み出す。
今度は左手の人差し指。カイルの左脇腹に貼られたパテへと向けて、再び一閃。
――崩解。
カイルの左脇腹の丹田に潜んでいたクラック(亀裂)が、一瞬にして完全に決壊した。
彼はたまらずその場に膝を折り、左手で死に物狂いで腹部を押さえた。指の隙間から暗紅色の血がどくどくと溢れ出る。支えを失った彼の身体を、地面に突き刺さった裁罪之刃が辛うじて支えていた。
チャン・ヨウシーは、運命の第三歩を踏み出す。
彼は跪くカイルの眼前に立ち、かつて傲慢を極めたこの三階位の大剣士を、静かに見下ろした。
「次は『後腰』だ」
彼の囁きは静かだったが、この静まり返った競技場の全観客の耳にまで届くほどクリアだった。
「利息の計算をして差し上げましょうか?」
カイルは顔を上げた。その瞳に宿るのは、底知れぬ恐怖、逆上、そして致命的なまでの「混乱(理解不能)」だった。
なぜ、自分の身体がいきなり動かなくなったのか。
「お前……一体、俺に何をした……!?」
彼の声は、破れた風いごのようにガラガラに掠れていた。
「――【監査】ですよ」
チャン・ヨウシーは冷徹に言い放った。
「あなたの資産負債表は、とっくの昔に債務超過を起こしていた。教廷は願力を使って、あなたに三度の『大規模な減損処理の戻し入れ(ごまかし)』を施したが、それはただのペーパー上の粉飾決算(账面游戏)だ。経絡はとっくに腐り落ちていたんですよ」
彼は一拍置き、地面に突き刺さった『裁罪之刃』に視線を落とした。
「それに、この聖遺物も……あなた個人の資産ではない」
カイルは本能的な恐怖に駆られ、剣の柄を握る手に力を込めようとした。
だが、チャン・ヨウシーの右手はすでに完成していた。人差し指と中指を並べた指先には、極めて高密度に凝縮された金青色の功徳の刃が宿っている。これが彼に残された最後の功徳であり、放てるのはわずか一撃。
彼はその刃を、カイルの肉体には向けなかった。
彼が斬り裂いたのは、裁罪之刃とカイルの間に繋がれた、あの【使用権の因果線】。
――因果鋒、出。
金青色の閃光が、無音の雷撃となって彼の指先から撃ち出され、グレゴリーの印璽へと繋がっていた金色のラインを正確に寸断した。
――回線切断。
『裁罪之刃』は悲痛な金属の絶叫を響かせた。刀身を彩っていた神聖な金色の紋様は、電源を切られたネオンサインのように激しく数回明滅を繰り返した後、完全に消灯した。
かつて絶対的な光輝を放っていたその高階聖遺物は、ただの薄汚れた、傷だらけの重い「鉄の塊」へと成り下がった。
カイルは呆然と手の中のただの鉄剣を見つめ、それから信じられないものを見る目でチャン・ヨウシーを見上げた。
彼はなおも必死に斗気を巡らせようとしたが、丹田の亀裂は三箇所のブラックホールと化し、絞り出されたわずかなエネルギーすらも一瞬で飲み込み、無に帰した。
三箇所の暗傷が同時にメルトダウンした衝動により、彼の経絡は虫食いだらけの配管のように完全に崩壊し、もはやいかなるエネルギー(斗気)も保持することは不可能な身体と化していたのだ。
――ガランッ。
『裁罪之刃』が彼の手から滑り落ち、青石の床に力無くぶつかって虚しい金属音を立てた。
カイル・フォン・ラインハルト。三階位大剣士、教廷騎士団首席剣士。
その彼が、両膝を地面に突き、両腕をだらりと垂らし、まるで骨をすべて抜き取られた操り人形(ボロ雑巾)のようにそこに座り込んでいた。
全場、静寂。
五千人を収容する巨大アリーナに、誰一人として呼吸する者すらおらず、身動き一つしなかった。全員が、ステージの上に立つ痩せ細った一人の背中と、その足元に跪く、かつて無敵を誇った騎士の姿を、ただ呆然と見つめていた。
チャン・ヨウシーはゆっくりと右手を引き戻した。指先の金青色の光は、これで完全にシャットダウン(枯渇)した。
彼は踵を返し、ステージの端に佇むエドモンド・ヴァルクへと視線を向けた。
エドモンド・ヴァルクはその場に立ち尽くしていた。その灰ブルーの瞳の中には、名状しがたい複雑な感情(驚愕、興奮、そして一抹の恐ろしさ)が渦巻いていた。
彼は膝をつくカイルを見下ろし、次に貴賓席で顔を土気色に染めているグレゴリー副主教を見上げ、最後に――チャン・ヨウシーの顔へと視線を固定した。
彼は三息(数秒)の間、沈黙を守った。
そして、ゆっくりと右手を高く掲げた。
「――勝者、イファン・ヒューズ(エヴァン・ヒューズ)!!」
その瞬間、静寂の防壁が粉々に崩壊した。
観客席から突き刺さるような絶叫が上がったのを皮切りに、第二、第三の絶叫が連鎖する。歓喜、罵声、驚嘆、そして大いなる混乱。無数のノイズが混ざり合い、まるで沸騰した大釜のように、アリーナ全体の熱狂はかつてない狂気の限界値へと一気にブーストされた。
だが、チャン・ヨウシーはその狂騒に一切の関心を示さなかった。
彼は識海の内包データを精査する。
(功徳リザーブ:〇・六パーセント)
たった一戦で、彼の全財産(功徳)はほぼ底をついた。
チャン・ヨウシーは心の中で苦笑い(セルフ・ツッコミ)を浮かべながら、ステージを降りた。その歩調は決して速くはなかったが、一歩一歩が極めて堅実で、ブレることはなかった。
右脚の傷口からは血が滲み、左肩の革鎧は裂け、顔の血痕はすでに乾いて醜いミミズのように張り付いていた。




