DL
チャン・ヨウシー(ユウキ)は、足元に散らばる石の粉を見つめていた。
その粉末はひどく細かく、まるで砕かれた貝殻のように、朝の光を浴びて灰白色の鈍い輝きを放っている。
ほんの数息前まで、それは拳大の確固たる碎石であり、地面にどっしりと鎮座し、淡金色の因果の糸と繋がっていたはずだった。
それが、石の内部から自壊したのだ。
【功徳消費量:――微々たるもの(微不可視)】
「これが……糸を視認した後の応用か」
チャン・ヨウシーは立ち上がり、石臼の方へと振り返った。
しかし、石臼の上はもぬけの殻で、そこには老人の影も形もなかった。
「……行ったか」
チャン・ヨウシーは石臼の傍らへと歩み寄り、『法目』で周囲をスキャンした。足跡はなく、願力の残渣すら残っていない。あの老人は、最初から存在していなかったかのようだった。
(やはり、底の知れない達人だったな)
チャン・ヨウシーは踵を返し、古城へと戻った。
中では、すでにアナスタシアが目を覚ましていた。
彼女はソファに身体を預け、薄い掛け布団の端をぎゅっと握りしめながら、アイスブルーの瞳でじっと入り口を見つめていた。
チャン・ヨウシーの姿が視界に入るや否や、彼女の瞳の奥にあった不安は、引き潮のように静かに引いていった。
「少し出てくる」チャン・ヨウシーはソファから、洗濯で色褪せた灰色の革鎧を取り上げて身に纏った。「お前は家で大人しく留守番をしていてくれ。外へは出るなよ。『アイアン・アンビル(鉄砧会)』は昨夜撤退したし、あのハドンの様子じゃ、しばらくは襲ってこれないはずだ」
「……どこへ行くの?」
「稼ぎ(マネタイズ)にさ」
……
鉄錆城の貧民窟は、内城区に比べてさらに劣悪で汚濁に満ちていた。
石炭の煤煙と排泄物の臭いが混ざり合い、狭苦しい路地のあちこちで発酵している。低くひしゃげた掘っ立て小屋が、まるで押し潰されたマッチ箱のように城壁の根元にひしめき合い、雨水に浸かって黒ずんだ屋根の木板からは、腐食した木材の酸っぱい悪臭が滲み出ていた。
チャン・ヨウシーはその路地を歩いていた。法目を半開にすると、因果の視界が薄い水霧のように彼の網膜を覆い尽くす。
そこには、無数の『糸』が視えた。
一本一本の糸が、すべて個別の因果関係へと接続されている。
掘っ立て小屋と地面の間には、淡金色の糸が伸び――【存在】を示している。
路傍の井戸と水を汲む人々の間には、灰白色の糸が結ばれ――【使用】を示している。
口論をしている二人の貧民の間には、禍々しい暗紅色の糸が絡み合い――【怨恨】を示している。
チャン・ヨウシーが七つ目の角を曲がった時、その足取りが極めて微かに静止した。
(――見つけたぞ)
チャン・ヨウシーは脳内の会計帳簿に、その座標を厳かに記入した。
彼は一軒の木造小屋へと近づいた。入り口に看守の姿はなかったが、木扉には錆びついた鉄板が打ち付けられており、そこには一匹のネズミの紋様が刻まれていた。
鉄錆城における最底辺の弱小組織の一つ、『グレイラット(灰鼠幫)』のキャピタル・マークだ。普段は質の悪い願力薬の密売で食い繋いでいるような連中だが、まさか裏で『生命力の抽出ビジネス』にまで手を染めていようとは。
彼は黒い布で顔を覆うと、容赦なく扉を押し開けた。途端に、血生臭さとカビの臭いが入り混じった熱気が、容赦なく顔面に吹き付けてくる。
部屋の中央には、粗悪に組み立てられた『願力抽出装置』が設置されていた。そのコア(中枢)には、断片化された低階位の『聖遺物』の破片が埋め込まれており、破片の表面に走る願力回路は、まるでかき回された毛糸玉のように不格好で危険な輝きを放っている。
三人の男がその装置を囲むように座り、濁った淡金色の液体を一本ずつの小瓶へと小分け(パッキング)している最中だった。
そして装置の反対側には、骨と皮ばかりに痩せこけた一人の女が木製の磔台に拘束され、その両手首には二本の導管が接続されていた。彼女の顔色は死人のように白く、唇は乾きひび割れ、身体の下にある木板には、ドス黒い体液の大きな水溜まりが広がっていた。
チャン・ヨウシーの法目が、一瞬で部屋の全容をスキャンする。
彼の視界において、その抽出装置は、無数の【暗紅色】と【灰白色】の糸が複雑に交錯する巨大な迷宮と化していた。
コアにある聖遺物の破片からは、数百本もの灰白色の糸が伸びていた。その一本一本が、強奪された個人の【生命力】のログだ。そして、それらの灰白色の糸の終端は、無理やり三本の太い束へと拠り合わされ、目の前にいる男たちの丹田へとそれぞれ直結している。
さらに、最も太い【暗紅色】のメイン・ラインが、破片の中心部から装置の台座を貫いて地下深くへと伸び、彼の視界では追えない『上層のノード(黒幕)』へと繋がっていた。
三人の男たちが、乱入者である彼に気づいた。
一番小太りの男が立ち上がり、腰から一本の短刀をスラリと引き抜く。
「入るドアを間違えたな、お仲間」
デブは下劣にニヤつき、粗悪な煙草で黒ずんだ歯を剥き出しにした。「ここはプライベートな倉庫だ。余所者の立ち入りは拒否してるんでな」
チャン・ヨウシーは応じなかった。彼の冷徹な視線は、装置のコアへと直結している一本の主配管へと注がれていた。
その太い暗紅色のラインの表面に、極めて細い一本の【灰白色】の糸が巻き付いている。
それはまるで大木の幹に寄生する蔓のようであり、メインの配管と装置の外殻を繋ぐことで、この抽出構造全体の【安定性】を辛うじて維持しているシステムだった。
チャン・ヨウシーは右手の人差し指を突き出した。肉眼では視認不可能なレベルまで超圧縮された金青色の微光が指先に集束し――その指を、空間に向けて軽く一閃した。
――因果の糸、破断。
装置から、鼓膜をキリキリと刺激するような金属の捻れる不快な音が炸裂した。
コアの聖遺物の破片が激しく震動し、暗紅色のエネルギーがその内部から爆発的に噴出する。
本来、強引に束ねられていた数百本の灰白色の生命の糸は、一瞬にしてその拘束を失い、まるで巣を突つかれた蛇の群れのように四方八方へと暴走し始めた。
轟音!
装置が中央から爆発した。
暗紅色の願力の破片が散弾となって周囲へと飛散する。最も近くにいたデブの胸部に三発の破片が直撃し、男はボロ雑巾のように宙を舞って、背後の木壁へと激しく叩きつけられた。
残る二人のグレイラットの構成員は完全に腰を抜かし、魂を飛ばしながら、這う這うの体で出口へと逃げ出そうとする。
チャン・ヨウシーは出口の前に泰然と立っていた。半開の法目の視界の中で、逃げる二人の背中からは無数の灰白色の糸が伸びている。
彼は人差し指をスッと持ち上げ、二人の丹田から伸びる因果の糸に向けて、空間を優しく切り裂いた。
二本の灰白色の糸が、同時に本来の軌道から偏向する。
次の瞬間、彼らの願力回路は完全にキャパシティ(均衡)を失い、ベルトコンベアを切断された機械のように、体内の闘気が狂ったように逆流・暴走し始めた。
「ぎゃああああっ!?」
彼らは絶叫しながら地面へのたうち回り、腹部を抱えてエビのように丸まった。
彼の識海にある玉冊が、微かに共鳴して震える。
【新規功徳、入金を確認――】
微量ながらも、確かな功徳の力が彼の口座へと振り込まれた。
チャン・ヨウシーは木製の磔台へと歩み寄り、女を縛り付けていたロープを鮮やかに解いた。
解放された女の身体は、まるで落ち葉のように軽く、彼の腕の中へと力なく倒れ込んできた。
彼女の手首には二箇所の深い注射痕が残り、周囲の皮膚は毒々しく紫に変色していたが、まだ微かな脈拍は残っている。
「……歩けるか?」
女の瞼がピクリと震えた。彼女の乾いた唇が微かに動き、蚊の鳴くような声で「……ありがとう……」と、掠れた感謝を紡いだ。
チャン・ヨウシーは彼女を抱き起こして入り口まで運び、壁に寄りかからせた。
路地には、すでに数人の肝の据わった貧民たちが集まっており、小屋の陰から複雑な眼差しでこちらを窺っていた。
「この人を医者のところへ連れて行け」チャン・ヨウシーはその中の一人の若者に向けて言い放った。
若者は一瞬呆気に取られたが、恐る恐る近づくと、女を慎重に支え起こし、そのまま路地の奥へと消えていった。
チャン・ヨウシーは再び木造小屋の内部へと足を踏み入れた。
胸に三発の聖遺物の破片を突き立てられたデブは、未だに壁際で倒れており、破片の隙間から暗紅色の血液がドクドクと滲み出ている。
チャン・ヨウシーは屈み込み、地面に落ちていた破片を拾い上げると、デブの血をインク代わりにして、木壁に大きく文字を刻み込んだ。
【 D L 】
冗談じゃない、ヒーロー(世直し)をやるからには、必ず自分のクレジット(名号)を残しておかなければならない。さもなければ、誰に感謝すればいいか監査(把握)できないだろう!
タスクを完了したチャン・ヨウシーは、木造小屋のプロパティを後にし、空を見上げた。
正午の太陽は、分厚い煤煙の雲に遮られ、茹ですぎた濃スープのような濁った黄色に変色している。遥か彼方には、灰色の空の向こうに教廷の闘技場の尖塔が、うっすらと亡霊のように浮かび上がっていた。
「次だ」
彼は再び路地を歩き始めた。法目を半開にし、因果の視界を常に作動させる。それはまるで、周囲の全環境をスキャンし続けるレーダーネットのようだった。
一軒、また一軒と掘っ立て小屋を通り過ぎるたび、彼の視界には無数の歪んだ因果の糸が映し出される。獲得できる功徳のプール(量)には大少の個体差があるため、彼は効率を重視し、【願力を略奪している】ターゲットを最優先でフィルタリング(選択)しなければならなかった。
そして、三つ目の角を曲がった瞬間――彼は新たな『標的』を検知した。
それは一見、ただの古びた雑貨屋に偽装された掘っ立て小屋だった。店頭には腐りかけた野菜の籠がいくつか並んでいる。しかし、因果のデータが示す部屋の内部の『願力濃度』は、外部の――実に【二十倍】に達していた。
スラムの四面八方から、無数の灰白色の細い糸が、まるで砂糖に群がる蟻の群れのようにこの小屋へと収束している。そしてそれらは内部の何らかのシステムによって【暗紅色】の願力の奔流へとコンバート(変換)され、地下室に隠された未知のノードへと送金(輸送)されていた。
しかも、この雑貨屋の前に張り巡らされた因果の糸は、先ほどのグレイラットの小屋よりも遙かに太く、そして遥かに複雑だった。
チャン・ヨウシーの口元が、不敵に吊り上がる。
「……大魚(大口顧客)のお出ましだな」




