023 紀元前311年 エトルリア12都市連合
■紀元前311年
3月初旬 カストラ宿営地
春の足音が聞こえ始めた朝、セストゥスが渋い顔でヘラクレスの天幕に現れた。
彼の手には最新の元老院の決定を記した通達書があった。
「……決まったぞ、ヘラクレス。行き先は南のサムニウムじゃねえ。北のエトルリアだ」
ヘラクレスは筆を置き、顔を上げた。
「エトルリア……。北方の都市連合ですか?」
「ああ。ローマがサムニウム人に手こずっている隙を突いて、奴らが蜂起しやがった。今年の執政官2人が、どっちがエトルリアを相手にするか元老院でくじを引いたんだが……その結果、クィントゥス・アエミリウス・バルブラ様がエトルリア方面の指揮を執ることになった」
セストゥスは焚き火に手を当てながら、短く吐き捨てた。
「俺たちの隊はアエミリウス派のルキウス様の肝入りだ。当然、軍団編成の振り分けでは、クィントゥス様の軍団を支えるソキイ(同盟軍)枠に組み込まれた。つまり……」
「……私たちは、クィントゥス様と共に北へ向かうということですね」
ヘラクレスの確認に、セストゥスは頷いた。
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大和猛が《N‑Home》に訊ねる。
「なあエトルリアって強いのか? イタリアの北の勢力って言ってたよな?」
《エトルリアは“ローマと同格の大国”ではありません。この時期、エトルリアはローマに吸収され、衰退しつつありますが軍事力は健在でした。
彼らは「エトルリア十二都市同盟」と呼ばれる都市国家の連合体であり、統一された中央政府はありません。ローマから一番近い都市で約16キロ、一番遠い都市は約300キロほど離れています》
《また文明の発展の点ではローマよりも先輩で、紀元前6〜4世紀にかけて最盛期を迎えています。ローマ王政期(紀元前753〜509年)の後半には、第5代・第6代・第7代(最後の王)の3人の王が連続してエトルリア系の王であり、彼らがローマの都市計画や宗教制度を整え、発展させたと言っても過言ではありません》
「それって昔はエトルリアにローマが支配されたって事か?」
《いいえ、軍事的に征服されたことはありません》
《ローマがまだ小さな都市だった頃、エトルリアの王たちがローマの王位を継いだのは、当時のイタリアでよくあった“有力な一族が他の都市の指導者(王位)を兼ねる”形に近いものでした。その結果、ローマはエトルリア文化の影響を強く受け、都市計画・宗教・軍制など多くを取り入れました。ローマ文化の基礎の多くはエトルリア由来です》
「意味がわからん。それって、昔はエトルリアの王に弱小のローマが保護されてたってことか?」
《いいえ、保護ではありません。「後見」「後援」「影響力の行使」に近いものです。理由を表示します》
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◆なぜ「保護」は不正確なのか?
●① 保護=上下関係が明確
「保護してやる」
「守ってやる」
というニュアンスが強い。
でもローマとエトルリアの関係は、
●ローマは独立都市
●軍事的に征服されていない
●ただしエトルリアの名門一族が王位を兼ねた
●文化的影響は強烈
という 対等に近いが、影響力はある という微妙な関係。
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「それでローマに何のメリットがある? 保護じゃないけど、やっぱり後見されると他国に攻められないからじゃないのか?」
《他国が攻めにくくなる面は確かにあります。そのため、ローマにとってのメリットは“後見+技術・制度の輸入”でした》
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当時のローマはただの村レベル。
そこにエトルリアの名門が王として来た事で、
●都市計画
●下水道
●公共建築
●宗教儀礼
●軍制の整備
こういう“文明がまとめて一気に入ってきました。
そのお陰で、ローマは瞬く間に“都市国家”へと成長していったのです。
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「へ〜。でもさ、そんなに仲がいいなら、なんでローマとエトルリアは戦ってるんだ?」
《それについてはローマが共和制になった事と関係していますが? ローマが王政から共和制になった原因を知ってますか?》
「知るわけねえだろ。
……何が原因だ?」
《それは、約二百年前のローマで起きた、ある『悲劇』がきっかけです。
ローマ最後の王となったエトルリア人の王、タルクィニウス・スペルブスの息子が、ルクレティアという名の清廉な人妻を凌辱したのです》
「……うわ、最低だな。それが原因か?」
《はい。絶望した彼女は、戦地から戻った夫と実父、そしてその友人たちを呼び寄せました。
そこで王子の非道を打ち明け、夫たちに「復讐」を誓わせた直後に、彼らの目の前で自ら心臓を突いて命を絶ったのです》
「うわぁ、やばい女だな。
みんなの前でそんな話をして、さらに自害するって……凄まじいな。そこにいた男たちの怒りは半端じゃなかっただろ?」
《その通りです。その場にいたブルトゥスという貴族が、彼女の血に染まった短剣を掲げて王族の追放を宣言しました。
それがローマ共和政の始まりです。 エトルリア人からすれば、一族の不祥事があったとはいえ、自分たちの王が屈辱的な形で追い出されたわけですから、以来、両者の間には深い血の轍が刻まれることになったのです》
「それが戦争の始まりか……。そのブルトゥスってカエサルが言った『ブルータスお前もか!』の人じゃないよな?」
《ご主人様の頭の中では、ローマ人はまとめて同じ時代にいるのですか? くだらない冗談ですが、実はいい線いってます。結論から言うと、ブルータスのご先祖様ですよ》
「え、そうなの!?」
《はい。カエサルを暗殺したマルクス・ユニウス・ブルトゥスは、この時の王を追い出した英雄ルキウス・ユニウス・ブルトゥスの子孫だと自称していました。だからこそ、カエサルが王のように振る舞い始めた時、「先祖のように王を討たねばならない」という強いプレッシャーを感じていたと言われています》
「へえ、ひとつ賢くなったわ」
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■紀元前311年 3月末
ローマのカピトリウムの丘
ユピテル・オプティムス・マキシムス神殿の前。
早朝の冷気に包まれた広場には、出陣を控えた執政官クィントゥス・アエミリウス・バルブラと、その親族であるアエミリウス一族、そして元老院の要人たちが顔を揃えていた。
「……ユピテル神よ、この雄牛の血を捧げ、ローマの勝利を乞わん」
神官の厳かな唱えと共に、純白の雄牛の喉が裂かれる。執政官クィントゥスは、その鮮血を凝視し、神の意思を読み取ろうとする神官の言葉を待つ。
「内臓は清らかである。神々はアエミリウスの剣に、勝利を約束された!」
広場を埋め尽くした市民から、地響きのような歓声が上がった。
その列の最前列で、トガを纏ったルキウス・アエミリウスが、従兄弟であるクィントゥスと視線を交わした。ルキウスは一歩前に出て声を掛けた。
「クィントゥス。私の派閥の軍を頼む」
クィントゥスは重厚な鎧の胸当てを叩き、力強く頷いた。
「従兄弟よ、案ずるな。アッピウス・カエクス殿との同盟を盤石にするためにも、このエトルリア戦は必ず勝ってみせる。我らの派閥の軍にも功績を立てさせてやる」
「頼んだ。特にセストゥスの隊には面白い若者を副官に据え置いた。名をヘラクレスと言う。英雄と同じ名だ、頼もしいだろ?」
「英雄が味方とは心強い。これで勝利は確実になったな」
クィントゥスは軽く冗談で応えた。
やがて、執政官クィントゥスは神殿の階段を降り、白馬に跨ると右手を高く掲げた。
「全軍、前へ!! 我らの同盟都市スートリを包囲するエトルリアの亡霊どもに、ローマの正義を叩き込むぞ!」
角笛の咆哮が街中に響き渡り、儀仗兵たちが掲げる鷲の軍旗が春の風に翻る。執政官を先頭とした軍の列は、カピトリウムを下って、市門へと向かって流れていった。
ローマ近郊 「カッシア街道」
非市民兵はローマの町からは出陣しない。
そのためヘラクレスの百人隊が街道沿いで待機していると、街の方角から地響きのような重低音が響いてきた。
先頭の斥候部隊に続いて、執政官クィントゥス・アエミリウス・バルブラ率いる約六千のレギオン(市民兵)の長い列が姿を現した。
セストゥスの怒号が飛ぶ。
「……来たぞ。野郎ども、背筋を伸ばせ! ローマの看板に、非市民の兵が居眠りしてたなんて言わせるな!」
冬の間、カストラで牙を研ぎ続けた百人隊が、一斉に槍を立て、円盾を揃えた。ヘラクレスは副官として、セストゥスの斜め後ろに立つ。
やがて重歩兵の半分が通り過ぎたところで、真紅の戦袍を翻し、白馬に跨ったクィントゥス・アエミリウス・バルブラが姿を現した。
その背後には銀色に輝く鷲の軍旗が翻り、数千の槍の林が果てしなく続いている。
「……あれが、執政官」
ヘラクレスが見定めるような目つきで呟いた。
クィントゥスが馬を止め、街道脇で待機するセストゥスの隊に目を留めた。
その鋭い視線が、セストゥスの隣で毅然と前を見据える一人の少年――ヘラクレスで止まる。
(……ルキウスが言っていた若者はこの者のことか? まだ子供では無いか……)
クィントゥスは無言で顔を前方に戻し、行軍を続けるよう手旗で合図した。
レギオンの最後尾が過ぎると次々と非市民の部隊が執政官の軍列に加わる。そのひとつにヘラクレスたちの隊があった。




