第37話 だから俺──陽菜を超えるよ
月曜日の朝。始業の一時間前。図書室のいつもの席で、俺は陽菜と向かい合っていた。
あの告白に、応えるために。
「……ねぇ、陽菜」
「うん」
「この間の返事だけど」
陽菜は頬を紅潮させ、不安げな表情でこちらを見ている。
俺は預かっていた婚姻の証を鞄から取り出し──机に置いた。
「ごめん。俺まだ、陽菜との結婚は……誓えない」
この一週間。悩みに悩んで達した結論。
陽菜の背中は、今の俺にはやっぱり遠くて。対等な関係を結ぶには早すぎる。そう思ったから。
「……どうして、なの」
「陽菜」
「どうして!?」
そう叫ぶと、陽菜は泣き崩れ、婚姻届けに顔をうずめた。
「私の愛が重すぎた? 斗真に無理させてた? 価値観を押し付けてた?」
「いやそうじゃなくて」
「氷護先輩の方が奇麗だから? 咲月ちゃんの方が可愛いから? それとも遠距離が嫌だった?」
「だから違って」
「私はずっと本気だったよ? 夢のために斗真と離れるのは苦しかった。わがままなのはわかってる。でも私は信じてたの。斗真ならきっと、私がどこに行っても、私を追いかけてくれるって。絶対に見捨てないって。そう信じてたのに……ひどいよ」
顔を上げた陽菜は、その目を真っ赤に腫らしていた。
陽菜の気持ちは知っていた。彼女は俺よりもずっと、笹原斗真の可能性を信じていて、そして──そこに自分自身を、重ねていたのだ。己の目標を実現するためなら、決して努力を惜しまない。そんな花守陽菜の姿を、俺に。
……だけど。
「俺は陽菜が思うほど、立派な人間じゃないよ。陽菜や、三森や、氷護先輩の方が、俺より遥かに才能があって、努力をしていて、輝いてる」
俺はみんなとは違う。陽菜に認められるようなものを、俺は何ひとつ持ってはいない。俺がすごいなんて、そんなの過大評価だ。
「ううん。そんなの関係ない。前に言ったよね? 私は斗真がいなきゃ何もできない、弱い女の子だって。斗真が何と言おうと、斗真がいなきゃ私もう……頑張れないよ」
陽菜は俯き、何度も首を横に振っている。
「うん。だから俺──陽菜を超えるよ」
「……え?」
桐谷くんと話して気がついた。
陽菜に届かない、選ぶ資格がない。そう思うなら、俺が同じ高さまで昇ればいい。昇れるように頑張ればいい。
自分に自信が持てる場所まで届いたら、きっと俺は改めて、みんなとちゃんと向き合えるはずだから。
「超えるって……どうやって?」
「陽菜よりすごい研究者になる。H大学に合格して、花守教授の下で必死に勉強して、大学院で成果を出して。そしたらもう一度、海外で成長した陽菜と、同じ研究者として、再会したい」
俺にとっては、あまりに高い目標だと思う。H大学に受かるのだって簡単じゃないし、まして研究者を目指すなら、入学後も頭一つ抜きん出なきゃいけない。
だけど……才能の有無を言い訳にするのは、もう辞めた。俺はみんなに追いつきたいんだ。自信を持って、隣に立ちたいんだ。できるから目指すんじゃない。変わりたいから目指すんだ。
「だから。プロポーズの返事は、それまで待って欲しい」
「……そんなに待てないわよ、馬鹿」
陽菜はハンカチで涙を拭き、ふーっと息を吐いた。
「私と会うまでに、もしも他の女を作ったら……ただじゃおかないから」
「う、うん。わかった」
その瞳が本気すぎて、命の危機を感じた。
下手なことをしたら本当に殺されかねない。
「──ねぇ、斗真」
「なに?」
「私のためにたくさん考えてくれて……ありがと」
陽菜の微笑みは朝焼けに彩られ、きらきらと輝いていた。




