第23話:セレスティアの浪費癖
血のような茜色の夕陽が、アルトハイム侯爵邸のステンドグラスを赤黒く染め抜いていた。
帝国法務尚書ヴォルフラム・ライヒと、クライン商会会頭マレーネ・クラインが率いる武装執行官の一隊が、容赦のない「仮差し押さえ登記予告」を残して去っていってから、わずか二時間。
本館一階の大サロンは、まるで爆撃の直後のような、重苦しく息の詰まる沈黙に支配されていた。
テーブルの上には、倒れたままのワイングラスから零れた赤ワインが、ペルシャ絨毯にどす黒い染みを作っている。
ソファの端に深く沈み込んでいたユリウスは、両手で頭を抱え、獣のような荒い呼吸を繰り返していた。乱れた金髪の隙間から覗くその瞳は、焦点が定まらず、血走った毛細血管が網の目のように浮き上がっている。
「……三千四百ゴルト……。三千四百ゴルトだと……?」
何度反芻しても、悪夢のような現実が脳髄を灼いた。
五千万ゴルトの負債に対して、金庫に残された全財産は、金貨にしてわずか三十四枚分。
平民の商人風情に「いつでも払える」と豪語したあの端金すら、今のアルトハイム侯爵家には存在しないのだ。エレオノーラという唯一無二の富の源泉を自ら追い出した結果、手元に残ったのは、自分自身の名前で連帯保証してしまった天文学的な借金の山だけだった。
「ユ、ユリウス様……何か仰ってくださいまし……」
ソファの反対側で、泥と埃でネグリジェの裾を汚したセレスティアが、青ざめた唇をガタガタと震わせながらすがりついてきた。
彼女の美しく整えられていたはずのミルクティー色の髪はボサボサに乱れ、白粉の剥げた頬には涙の跡が黒く筋を作っている。
「どうにかなりますわよね……? あんなの、あの女商人と意地悪な法務官が結託して、私たちを脅しているだけに決まってますわ! 帝都の銀行に行けば、ユリウス様の名義でいくらでもお金が借りられますわよね!? 私、こんなみすぼらしい部屋で借金取りに怯える生活なんて、絶対に嫌ですわよ……!」
「黙れッ!!」
ユリウスが雷鳴のような怒声を上げ、セレスティアの華奢な肩を力任せに突き飛ばした。
「きゃっ……!?」
セレスティアは絨毯の上へと無様に転がり、擦りむいた肘を押さえて悲鳴を上げた。
「喚くなと言っているだろうが、この疫病神が! 誰のせいで私がこんな屈辱を味わっていると思っているんだ! お前が『女主人の仕事は簡単だ』などと抜かしてエレオノーラを煽らなければ、あいつが書類を持ち出して逃げることもなかったんだぞ!!」
「な……な、なんですってぇぇ!?」
突き飛ばされた痛みに涙目を浮かべながら、セレスティアの瞳にカッと逆上した光が宿った。
「私のせいだと言うんですの!? ひどい、ひどすぎますわ! 私を侯爵夫人にすると言ったのはユリウス様じゃないの! あの地味な女を追い出して、私と二人で贅沢に暮らそうと囁いたのは、どこの誰ですのよ!!」
「うるさい! 黙れ、黙れェッ!!」
愛を誓い合い、至高の幸福を謳歌していたはずの二人が、いまや牙を剥き出しにして互いを呪い合っていた。
だが――彼らの地獄は、まだ始まったばかりだった。
ガタガタガタッ、ヒヒィーッン!
サロンの外、本館の正面車寄せから、何台もの重たい馬車の車輪が砂利を踏みしめる轟音と、何頭もの軍馬の嘶きが響き渡ったのだ。
一台や二台ではない。十台近くに及ぶ隊列が、次々と屋敷の前へと乗り付けてくる気配。
「ひっ……!?」
セレスティアが息を呑み、怯えたように肩を竦める。
「ま、また借金取りですの!? 憲兵隊が私たちを捕まえに来たのかしら!?」
「くそっ……! まだ正式な差し押さえの期日ではないはずだぞ!」
ユリウスは脂汗を拭いながら、蹌踉めく足取りで窓辺へと駆け寄った。
レースのカーテンを乱暴に引き開け、車寄せを見下ろす。
しかし、そこに並んでいたのは、武装した憲兵隊や執行官の漆黒の馬車ではなかった。
夕陽を浴びて燦然と輝く、金箔で彩られた豪奢な二頭立ての大型馬車の列。
車体には、帝都の一等地である『中央大通り』に店を構える、最高級のギルドや名門商家の紋章が誇らしげに掲げられていた。
帝都随一の老舗洋服店『モード・ド・パリジェンヌ』。
王侯貴族御用達の高級靴職人ギルド『エルメス・ベル』。
南方原産の銘木を用いた特注家具店『ヴェルサイユ・クラフト』。
さらには、高級リネン商、寝具商、室内装飾ギルド――。
それぞれの馬車から、白いエプロンをきっちりと締めた数十名の屈強な配達人たちが飛び出し、馬車の荷台から、巨大な木箱や金糸で包まれた荷物を次々と運び出し始めたのだ。
「……な、なんだ? あいつらは……?」
ユリウスが眉をひそめ、呆然と呟いた。
その時、サロンの扉がノックもなしに開き、顔面を蒼白にした老執事ルートヴィヒが、崩れ落ちそうな足取りで入ってきた。
その背後には、慇懃な笑みを貼り付けた、身なりの良い五名の一流商人たちが、分厚い革綴じの台帳を小脇に抱えて堂々と列をなしていた。
「お、お邪魔いたします、アルトハイム侯爵閣下! ならびに麗しき新女主人、セレスティア様!」
先頭に立つ洋服店の支配人が、大げさに帽子を胸に当て、深く一礼した。
その声はよく通り、サロン中に響き渡る。
「過日、セレスティア様より『大至急、侯爵夫人の新生活に相応しい最高級の品々を揃えよ』との厳命を賜り、我が帝都ギルドの総力を挙げて仕立て上げました特注の品々、ただいま全量、納品に上がりました!」
「……は?」
ユリウスが間の抜けた声を漏らす。
支配人の合図とともに、配達人たちがサロンの中へと雪崩れ込んできた。
ドサリ、ドサリと、埃っぽいサロンの床の上に、豪華絢爛な荷物が次々と積み上げられていく。
第一の荷が開かれる。
中から現れたのは、帝都の最新モードの粋を集めた、目も綾な最高級イブニングドレスの山。
極上のシルク、繊細を極めた手編みのレース、散りばめられた真珠と模造ダイヤ。
春の夜会用、夏の避暑用、秋の観劇用、冬の舞踏会用――なんと、一度の注文で三十着を超えるフルオーダーメイドのドレスの束。
第二の荷。
柔らかな子牛の革と金糸の刺繍で仕立てられた、数十足におよぶ特注のパンプスと乗馬ブーツ。
第三、第四の荷。
南方から魔導特急便で取り寄せられた銘木「紫檀」を贅沢に使用し、全面に金箔押しの装飾が施された特注の天蓋付きダブルベッドのフレーム、ならびに最高級ガチョウの胸毛だけを詰め込んだシルクの羽毛布団一式。
さらには、純銀の縁取りがされた巨大な姿見、彫刻入りのドレッサー、エジプト産の極上リネン――。
あっという間に、広い大サロンは、帝都の最高級百貨店を丸ごと移設したかのような、途方もない贅沢品の山で埋め尽くされた。
「ま……まああああっ……!」
それまで床で怯えていたセレスティアが、転がるように立ち上がった。
泥のついた手で、先頭のピンクのシルクドレスに触れ、頬を紅潮させて歓声を上げる。
「届いたのね! 私の特注ドレス! 私の新しい家具たち! ご覧になって、ユリウス様! なんて素晴らしい刺繍ですの! これさえあれば、帝都の夜会でどの公爵夫人よりも私が一番輝いて見えますわ!」
狂喜乱舞するセレスティア。
だが、その横に立つユリウスの顔からは、血の気が一滴残らず引いていき、代わりにドス黒い怒りと恐怖が皮膚を突き破らんばかりに噴き出していた。
ユリウスの視線は、ドレスの美しさなど見ていなかった。
彼が射抜くように見つめていたのは――洋服店の支配人が、恭しく差し出してきた一枚の豪奢な金縁の納品書だった。
そこに記されていた、最終合計請求額。
『特注ドレス三十五着、靴・装飾品一式、ならびに特注寝具・家具納品代金
至急請求総額:金貨八〇〇枚(八〇〇万ゴルト)』
「……は、八百……枚……?」
ユリウスの唇が、ガタガタと激しく痙攣した。
金貨八百枚。
ゴルト換算にして、八百万ゴルト。
中規模の貴族家が、領内の城をまるまる一つ新築できるほどの途方もない巨額。
数時間前、地下金庫で確認したばかりの数字が、ユリウスの脳内でけたたましい警報を鳴り響かせる。
――全財産、三千四百ゴルト(金貨三十四枚分)。
三十四枚しかない金庫に対して、八百枚の請求書。
「セ……」
ユリウスの喉仏が、ゴクリと重たく上下した。
握りしめた拳の爪が、手のひらの皮膚を突き破り、鮮血が滲み出る。
「セレスティアァァァァァァッッ!!!!」
地獄の底から響くような咆哮が、サロンの天井を激しく震わせた。
「ひゃっ……!?」
ドレスを抱きしめていたセレスティアが、ビクリと肩を跳ね上がらせて振り返る。
ユリウスは目を血走らせ、鬼のような形相でセレスティアの胸ぐらを掴み上げた。
仕立てられたばかりの薄いネグリジェの襟元が、ビリリと音を立てて裂ける。
「これは一体何の真似だァッ!? 八百万ゴルトだと!? 金貨八百枚だと!? 貴様、正気か!? 誰の許可を得て、こんな途方もないものを勝手に発注したんだッ!!」
「な、何よ! 痛い! 離しなさいよユリウス様!」
セレスティアは顔を歪め、ユリウスの手を爪で引っ掻きながら金切声を張り上げた。
「当たり前じゃないの! 侯爵夫人になる私が、あんな地味女のお古の部屋や、みすぼらしいドレスを着ていたら、社交界でユリウス様の恥になると思って気を利かせてあげたんじゃないの! ユリウス様のためを思って注文したのに、なんで怒られなきゃならないのよ!!」
「私の恥だと!? ふざけるな、この泥棒猫がァッ!!」
ユリウスは唾を撒き散らして怒鳴り狂った。
「今の我が家に、そんな金を払える余裕がどこにあるんだ! 金庫は空っぽなんだぞ! 五千万の借金の差し押さえが来ているんだぞ! 貴様は自分が何をしでかしたのか分かっているのかッ!!」
その怒号を耳にした瞬間、サロンに控えていた商人たちの表情から、営業用の柔らかな笑顔が一瞬にして消え失せた。
「……おやおや、アルトハイム侯爵閣下」
洋服店の支配人が、冷淡なビジネスマンの瞳を細め、一歩前へと進み出た。
「金がない、とは穏やかではありませんな。天下のアルトハイム侯爵家ともあろう名門が、たかが金貨八百枚程度の納品代金を踏み倒すおつもりですか?」
「ふ、踏み倒すなど言っていない! だが、この注文は私が直接命じたものではない! この女が勝手にやったことだ! こんな無効な契約、我が侯爵家は一切認めん! 今すぐそのゴミをまとめて持って帰れ!」
ユリウスは喚き散らし、配達されたばかりの特注ドレスを足で乱暴に蹴飛ばした。
極上のシルクが床の赤ワインの染みへと落ち、無惨に汚れる。
しかし。
商人たちは狼狽えるどころか、憐れむような冷笑を浮かべ、懐から一枚の重厚な羊皮紙を取り出した。
そこに記されていたのは――。
「残念ながら、閣下。ご注文の無効化など、帝国法において断じて叶いませんな」
支配人がユリウスの鼻先に突きつけたのは、アルトハイム侯爵家の家紋入り便箋。
そしてその末尾には――ユリウス本人の直筆署名と、侯爵家の当主印が、くっきりと押印されていた。
「こ……これは……!?」
ユリウスの目が点になった。
「三日前、セレスティア様が我がギルドを訪れた際にご提示いただいた、閣下の署名捺印済みの【白紙委任状】でございます。『セレスティア嬢の求めるすべての調度品、衣類の購入契約につき、アルトハイム侯爵家当主が全額連帯保証するものとする』。……完璧な法的効力を持つ委任契約書ですな」
「ば、白紙委任状……!?」
ユリウスの脳裏に、数日前の記憶がフラッシュバックした。
そういえば――セレスティアを屋敷に迎え入れたあの日。
彼女が『女主人の体面を保つために、ちょっとしたお買い物の許可証をくださいな』と甘えて胸元にすり寄ってきた時。
エレオノーラに当てつけをしてやりたいという浅ましい見栄と、男としての度量を見せつけたいという幼稚なプライドから、『好きなだけ使っていいぞ』と、ろくに確認もせず白紙の便箋に署名捺印して渡してしまったのだ!
「セレスティアァァッ!! 貴様、私を騙したのかッ!!」
「騙しただなんて人聞きの悪い! ユリウス様が『何でも好きなものを買っていい』って言ったんじゃないの! 男のくせに、自分が吐いた言葉にも責任を持てないの!? 甲斐性なしのくせに偉そうに威張るんじゃないわよ!!」
「甲斐性なしだとォォッ!? 貴様のような貧乏男爵の売れ残りを拾ってやった恩を忘れて、よくもそんな口が利けたものだなッ!!」
サロン中に響き渡る、罵詈雑言の嵐。
その醜悪な光景を見つめながら、老執事ルートヴィヒは、乾いた心の奥底で、かつての前奥様の姿を思い出していた。
(……ああ。なんという、因果応報か……)
前世の記憶。
先代の負債に苦しみ、領地の運営費が足りなくなっていたあの頃。
ユリウスは毎月のように帝都の高級仕立て屋から派手な軍礼服を買い漁り、友人貴族を集めて豪遊を繰り返していた。
その時、正妻だったエレオノーラ様は、心を痛めながら、涙を呑んで夫にこう進言したのだ。
『閣下、領民の生活が逼迫しております。どうか、私的な無駄遣いはやめてくださいませ』と。
だが、その時、ユリウスはどうしたか。
『女のくせに当主の金の使い方に指図するな!』と激昂し、エレオノーラ様の白い頬を平手打ちし、床に倒れた妻を足蹴にして嘲笑ったのだ。
正妻の誠実な諫言を踏みにじり、己の虚栄心を満たすことだけに溺れていた無能。
そして今世――。
エレオノーラ様は、彼を一度たりとも諫めなかった。
無駄遣いを止めるどころか、冷徹な微笑みを浮かべて『どうぞ存分に女主人の責務を果たしてくださいませ』と、空っぽの金庫と白紙委任状を泥棒猫に丸投げして立ち去ったのだ。
その結果が、これだ。
諌めてくれる誠実な妻を失った男の元へ、自らの見栄が引き寄せた寄生虫が群がり、自らの署名した紙切れによって、自分自身の首を容赦なく締め上げている。
完璧なまでの自業自得。
天が下した、最も残酷で痛快な罰の構図。
「おい、商人ども!」
ユリウスは髪を振り乱し、ゼエゼエと肩で息をしながら叫んだ。
「金はない! ないものはないんだ! こんなドレスも家具も全部いらん! 今すぐ返品だ! 全品キャンセルにして、そのガラクタを運び出せ!!」
だが、洋服店の支配人は、鼻先で冷たく笑い飛ばした。
「返品? はて、何を仰るやら。……セレスティア様、ご自身でお忘れですか?」
支配人の冷酷な視線が、セレスティアへと向けられる。
「ご注文の際、セレスティア様はこう仰いましたぞ。『前妻の着ていたような標準サイズでは私の可憐な身体に合わないから、すべてのドレスのウエストを五センチ詰め、裾に我がランベルト家の家紋刺繍を直に縫い付けよ』と」
「え……?」
ユリウスが目を見開く。
「左様にございます。これらすべてのドレス、靴、ならびに特注家具には、すでにセレスティア様専用の特殊な仕立て直しと家紋刻印が施されております。……帝国商業法第28条『個別特注仕立て品の返品特約』に基づき、一切のキャンセルおよび返品はお受けいたしかねます」
「な……ななな……」
ユリウスの顔から、完全に生気が失せた。
返品不可。
キャンセル不能。
八百万ゴルトの確定債務。
「き、金がないなら返品しろって言っただろうが、このバカ女ァッ!!」
ユリウスは狂乱し、テーブルの上にあったマイセンのティーカップを引っ掴むと、セレスティアめがけて力任せに投げつけた。
ガッシャアァァァンッ!!
セレスティアの耳元をかすめ、背後の壁に激突して粉々に砕け散る高級磁器。
飛び散った破片が、セレスティアの白い頬を浅く切り裂き、一筋の赤い血が流れる。
「痛っ……! な、何するのよ、この甲斐性なしのクズ男がァッ!!」
セレスティアも完全に正気を失い、テーブルの上の銀の燭台を引っ掴むと、ユリウスの顔面めがけて投げ返した。
ガコンッ!
ユリウスの額に燭台が直撃し、鈍い音が響く。
「ぐわぁっ!?」
ユリウスは額を押さえて床に転がり、傷口から流れる血で金髪を赤く染めた。
「嫌よ! 絶対に返品なんてさせないわ! このドレスは私のものよ! 私の侯爵夫人としてのプライドなのよ!! 金がないなら、領地の土地でも城でも売り払って払いなさいよォォッ!!」
「誰の城を売れと言っているんだ、この薄汚い泥棒猫がァッ!! 殺してやる! 貴様をこの手で叩き殺してやるッ!!」
血まみれになった二人が、サロンの床の上で取っ組み合い、互いの髪を引っ張り、顔を爪で引っ掻き合いながら、獣のように泥沼の罵声を浴びせ合う。
かつて甘美な愛を囁き合い、正妻を嘲笑っていた二人の男女の姿は、そこには微塵も存在しなかった。
飛び散る高級菓子の残骸、踏みにじられる八百万ゴルトのシルクドレス、血とワインで汚れる大理石の床。
その凄惨にして滑稽な地獄絵図を一瞥し、商人たちは冷徹に懐から時計を取り出した。
「……アルトハイム侯爵。本日夕刻までに金貨八百枚のお支払いがなされぬ場合、直ちに手形不渡りの手続きに入り、帝都裁判所へ追加の強制競売を申し立てます」
商人たちは冷ややかに言い捨てると、血みどろで転がる二人には目もくれず、一斉にサロンを辞していった。
重々しく閉ざされる扉。
互いに首を絞め合い、爪を立て合って絶叫するユリウスとセレスティア。
自らの浅薄な虚栄心が招いた、底なしの破滅の渦。
だが――。
この金銭的な地獄すら、アルトハイム領を襲う真の破滅の、ほんの前哨戦にすぎなかった。
割れた窓の隙間から、冷たい夕暮れの風が吹き込んでくる。
エレオノーラが去ってから、ちょうど十日目。
地下霊廟の要石に仕掛けられた、一日三・三パーセントの減衰タイマーが、正確に三十三パーセントの数値を刻み終えようとしていた。
東の森の奥深くで、魔獣たちの赤い瞳が、結界の最初の巨大な裂け目を見据えて、飢えた牙を剥き出しにし始めていた。




