第9話「【激闘】オフィスバトルと特大の歪み(※部長の不倫)」
「何百年も未練がましく……! いつまで引きずる気だ、阿月! 国広はお前を騙していたんだぞ!?」
荒い息を吐きながら叫んだのは――あの『寿々木治療院』の整体師の先生だった。
ヨレヨレの白衣を風になびかせ、目の下にクマを作ったいつもの陰気な顔だが、その眼光だけは鋭く光っている。
「いんちき宮司の末裔風情が、やかましいわ……!」
東雲さん――いや、彼女に憑依した女幽霊・阿月が、地獄の底から響くような声で吐き捨てた。
「お前などに、私とあの人の愛をとやかく言われる筋合いはないね……!!」
直後、東雲さんの周囲の空間がぐにゃりと歪み始めた。
あまりの禍々しい気迫に、俺は思わず後ずさりして距離をとる。
阿月が整体師に向かって冷ややかに手をかざした瞬間、オフィス中の文房具がガタガタと浮き上がった。
使い古されたハサミ、切れ味の落ちたカッター、さらには工具箱から飛び出したマイナスドライバー。それらがポルターガイストのように一斉に整列し、まるで弾丸のようなスピードで先生へと襲いかかる!
「くっ……!」
すんでのところで身体を捻り、初撃をかわす先生。
しかし、文房具たちは空中で急旋回し、意志を持ったように先生を追跡し続ける!
(な、なんだあの動き!? ってか、よく見たらあのハサミもドライバーも……!)
俺は必死に目を凝らした。
経費削減のために長年使い込まれ、雑に扱われて先端が曲がったり、歪んだりしている文房具たち。
「先生! それ、歪んでいます!!」
「――なに!?」
俺の叫びに、先生はハッと目を見開いた。
「ふっ!!」
追尾してくるハサミの刃と、カッターの軸。襲い来る凶器の極小のアライメントを、先生の手拳が目にも留まらぬ速さで捉える!
ゴキッ、パキッ!!
文房具から聞いたこともない矯正音が響いた。
次の瞬間、曲がっていたハサミの刃とドライバーの軸が見事なまでに真っ直ぐに調律され、呪力を失ったようにポトリと床へ落ちた。
「やっぱり……! 歪みが怨念の源なんだ……! 曲がってちゃいけないんだな……!」
「そういうことです……! 歪みこそが邪気を宿す金床……!」
整えられた文房具を見て、阿月は憎々しげに顔を歪めた。
「チッ……小癪な真似を……!」
次の瞬間、東雲さんの後ろにある『何か』が重低音を響かせて浮き上がっていった。
俺は目を疑った。持ち上がっているのは、フロアの奥にある――
「あ、あれは……部長のデスク……!?」
会社中の噂が脳裏を駆け巡る。
(まさか……部長が社長の奥さんと不倫してるっていう社内裏噂、本当だったのか!? くそっ、それが事実なら……生々しすぎる特大の歪みだ!! これはさすがに先生といえど――)
「ハァァァァッ!!」
ドゴォォォォンッ!!
軽トラ並みの重量がある部長デスクが、音を置き去りにして先生へと投げつけられた!
「くっ……!!」
バガァァァァンッッッ!!!
回避が間に合わないと判断した先生は間一髪で身を伏せたが、激突したデスクはオフィスの強化ガラスを粉砕。凄まじい風圧とともに、大量のガラス片がポルターガイストの如く飛び散り、先生の右腕を深く切り裂いた!
「ぐあぁぁぁぁっ!!」
「先生!!」
「だ、大丈夫です……! 『左手一本筋膜押し』!!」
血を流しながらも、先生は左手だけで飛来するガラス片の波を叩き、アライメントを整えてその場を凌ぐ。だが、右腕の負傷は明らかに致命的だった。
(このままじゃ……先生も東雲さんもダメになる!!)
「東雲さぁぁぁぁぁん!! 目を覚ませぇぇぇぇっ!!」
俺は危険を顧みず、叫びながら東雲さんに向かって一直線に突進した。
正気に戻ってくれ! 俺たちの新NISAの未来のために!!
だが――
「邪魔だよ」
「がはっ……!? 自力で持ち上がっ――!?」
東雲さんは、華奢な見た目からは到底信じられない怪力で突進した俺の首根っこをガシッと掴むと、そのまま赤子のように空中に放り投げた。
ドンッッッ!!!
「ぐあッ……!?」
壁に激しく叩きつけられ、背骨が悲鳴を上げる。
視界が明滅し、意識が朦朧とする。
「ぐっ……!」
血まみれの先生が這い上がり、最後の力を振り絞って壁の非常ボタンを強く押し込んだ。
ジーーーーーーッ!!!
オフィスビル全体に鼓膜を裂くような激しい警報音が鳴り響いた。ビル管理室の警備員や近隣住民に通報が行くのも時間の問題だ。
東雲さんに取りついた阿月はチッと舌打ちをして、倒れた俺たちを冷然と見下し、悠然とした足取りで割れた窓ガラスの縁へと近づいていった。
ヒールを鳴らして窓枠の狭いフチにすっと立ち上がると、ビル風にショートカットの髪を激しくなびかせる。一瞬、空を見つめるように静止した彼女は、まるで肉食獣のようにしなやかに膝を折り、深くしゃがみ込んで脚に凄まじい力を溜めた。
ぐっと踏み込まれた窓枠のアルミフレームが、嫌な音を立てて歪む。
次の瞬間――ドドンッッ!!と爆発音のような踏み切り音が響き、彼女の身体は空中へと弾き飛ばされた。
大きく弧を描いて舞うシルエット。20メートル以上離れた隣のオフィスビルの屋上へ、なんの減速もなく吸い込まれるように着地する。衝撃で屋上のコンクリートに亀裂が走る音が、ここまで届くかのようだった。
彼女はそのまま勢いを殺すことなく立ち上がると、ビルからビルへと驚異的な跳躍力で飛び渡っていく。
「く……あの子は……想像以上に強い霊媒体質だったようだ……。阿月の力が増幅されている…‥。まさかこれほどの力とは! まずいぞ、このままでは阿月の怨念に呑み込まれて……!」
血を流す先生が、呆然とする俺の横で悔しそうに毒づく。
(東雲さんが……強い霊媒体質……? あ……そういえば……俺がキョンシーみたいに暴走した時……何か見抜いたようなことを言ってたな……)
急速に失われていく意識の中で、俺はそんなことをぼんやりと考えていた。
やがて、視界は完全な暗闇へと落ちていった。




