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第10話「【衝撃】徳川家も驚く「おっぱいトラップ」と、整体師坂口の誕生」

「気が付いたか……」


 聞き覚えのある陰気で低い声に、俺はゆっくりと瞼を開けた。

 天井に見えたのは、見覚えのあるアパートの一室――あの『寿々木治療院』の施術ベッドの上だった。


「せん……せい……」


「君が気を失った後、ここに運んできた。今は夜の七時だ。おっと……、まだ動かない方がいいぞ」


 体を起こそうとした俺を、先生が制する。

 見上げると、先生の右腕には痛々しいほど重厚に包帯が巻きつけられていた。さきほど、オフィスで投げつけられたデスクとガラスの破片から俺を庇って負傷した手だ。


 俺の視線に気づいたのか、先生はフッと自嘲気味に息を吐いた。


「あぁ、これか。どうということはない。……だが、しばらく診療所は休みだな」


「すみません……俺のせいで、先生を巻き込んでしまって……!」


「謝ることは無い。……それよりも、一刻も早く阿月をなんとかしなければな」


 俺は身体の痛みを押し殺し、ずっと胸に溜め込んでいた疑問をぶつけた。


「先生……! 阿月って、一体誰なんですか!? それに、俺の中にいるっていう国広ってやつも……! そいつらと、俺の姿勢に、どんな関係があるんですか!?」


 俺の必死の問いかけに、夜の治療院に静寂が訪れる。

 お香の煙が揺れる中、先生は重い口を開いた。


「やはり……君にはすべて話しておかなければならないようだな」


 先生は床に腰を下ろし、どこか遠い目をして静かに語り始めた。


「ウチの家系――古くから霊脈を整えてきた宮司の末裔に、代々伝わる古い話だ……」


 重々しい空気の中、俺は生唾を呑み込んで耳を傾けた。


「話は江戸時代初期に遡る。君の背骨に眠っている守護霊……それが徳川家より葵の御紋を賜った最高峰の名工、康継ヤスツグの霊だ。そして阿月は、康継のライバルであった刀工・国広クニヒロの愛妾……つまり愛人だった女の怨念だな」


「康継と国広……」


「国広という男はな、貧しい家の生まれだったが、容姿端麗のイケメンで、武芸も学問も何でもこなす天才肌の自惚れ屋だった。……だが、彼が一番出世の足掛かりとして大切にしていた刀作りの分野においてだけは、どうやっても風采の上がらないプチ豪農の四男坊の康継に勝てなかったんだ」


(急に現代的な格差社会みたいな話になってきたな……)


「やがて康継はその才能を評価され、徳川家のお抱え刀工となった。一方の国広もそれなりの大名に召し抱えられはしたが……その待遇や名声の差は歴然。嫉妬に狂った国広は酒に溺れ、荒れた。そして八つ当たりのように、己の愛人であった阿月を康継のもとへ送り込んだ。阿月はな……とてつもない巨乳だった」


 先生は至極大真面目な顔で、とんでもないフレーズを言い放った。思わず耳を疑う。


「国広は、康継が大のおっぱい好きだったことを知っていた……。阿月は、決して望んで康継の元に行ったわけではなかった」


 先生の声音が、少しだけ悲しげに低くなった。


「国広は、家は貧しいが類稀なるイケメンだったゆえ、周りには常に大勢の女たちが群がっていた。阿月はどれほど国広から『愛している』と言われても、いつ他の女に国広を奪われるかと毎日不安でたまらなかったのだ。貧しい家の生まれの阿月は、顔だけでなく、自分と同じ貧しい家の生まれで懸命に頑張っている国広のことを心から愛していた……」


「そんな時、国広から『康継を骨抜きにすれば、お前だけを永遠に愛してやる』と告げられた。……彼女はその言葉を信じ、国広の本当の愛を独占したい一心で、康継を誘惑したのだよ」


(うわ……急に切ない話になってきた。男の身勝手な嫉妬に利用された、悲しい女の人だったのか……)


「見事なおっぱいトラップにハマった康継はあっという間に骨抜きにされ、刀も打たずに阿月のおっぱいに埋もれる毎日……。見かねた徳川家は『これではいかん』と、新しい専属刀工の募集を始めたんだ」


「康継を失脚させてのし上がる絶好の好機とばかりに、国広はノリノリで己の打った刀を徳川家に売り込んだ。……だが、徳川の鑑識眼は誤魔化せなかった」


 先生は深々とため息をついた。


「『おっぱいに骨抜きにされた康継が適当に打った鈍刀にも、お前の刀は遠く及ばん』――そう切り捨てられ、国広は専属の座を手に入れられなかったのだ」


(おっぱいデバフがかかった状態の康継にすら勝てなかったのか……。プライドの高いイケメンには効きすぎるだろ、その負け方は)


「完全な敗北感と失意のあまり、国広の酒量は異常なまでに激増。結果、肝臓を完全に壊して若くして病死した。……その死後、国広を救えなかった悔恨と悲しみに暮れた阿月が、彼の供養を頼み込んだ神社……そこの宮司こそが、私の先祖なのだよ」


「……それで先生の家に繋がるわけですか」


「あぁ。だから阿月は、今度こそ国広の無念を晴らし、彼からの本当の愛を得るために現代に蘇ったのだ。そして、君の『悪魔のデスクワーク姿勢』……極度のストレートネックとL字に曲がった背骨から生じる特大の『歪み』が国広の怨念と波長を引き合わせ、康継を押しのけて体を乗っ取りかけているのだ」


(俺の姿勢の悪さのせいで、数百年分の切なくも悲しい恋のしわ寄せが爆発してるってことか……!?)


「私の施術で一時的に抑えてはいるが、阿月は必ずまたやってくる。もし阿月が君の中の国広を完全に目覚めさせたら――君の意識は完全に国広に乗っ取られ、嫉妬と憎しみの念をばらまく肉と化し、混沌の世界を導くだろう」


 歪んだ愛の歴史の重さに、俺は目眩がした。


「じゃあ、このままいい感じに俺の中で国広の霊を抑え込めている場合は?先生のお力で……」


「こんな状態はいつまでも続かない。姿勢の悪さが慢性化している坂口くんは、どんなきっかけで歪みが再発するか分からない。そうなれば、阿月が何かを仕掛けてこなくても、国広がまた目を覚ますだろう。康継と国広の霊が君の体内で激突し、君の精神は崩壊するかもしれない」


 マジかよ……。


「それに、国広はもうじわじわと君の体を蝕み始めている可能性が高い。昨日、酒の量が増えたりしなかったか?坂口くんに施術した時、飲みすぎに特有の体の歪みがあった。飲みすぎで肝臓を壊して亡くなった国広の念の影響だろう」


 く、 昨日ストロングゼロ三缶いっちゃったのは、それが原因だったのか!!

 まずい、このまま毎日そんなに飲んでいたら、間違いなく次の健康診断で引っかかってしまう……!自費で再検査だけは避けたい……!


「闘うしかない……君自身の手で、この因縁を断ち切るんだ」


「闘うって……そんな無茶言わないでくださいよ! 先生は右手の大怪我で戦えないし、俺はただの二十七歳SEですよ!? 格闘技の経験だってゼロです!」


「だから――」


 先生は血の気のない顔で、ニヤリと不気味に口角を上げた。


「今から、君に整体を仕込む」


「……うえっ!?」


「どういうわけか、今は阿月の気配が遠のいている。東雲葵という強い霊体を得たことで、国広を完璧に復活させるための準備でもしているのだろう。この隙に……君を一人前の整体師にする」


「ええええっ!? 俺が!? 整体を!?」


「安心しろ。あとは、援軍を呼ぶとしよう。……フフフ、極めて心強い援軍をな……」


 先生は怪しい笑みを浮かべながら、手元のスマホを操作し始めた。


(ええ~……じゃあ最初からその心強い援軍とやらに全部任せればいいんじゃ……)


 心の声で全力のツッコミを叫ぶ俺を無視し、先生はガタッと立ち上がると、左手で俺の首根っこを掴んだ。


「では、特訓を早速始める」


「……は〜い(絶望)」


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