第11話「【開眼】コードを解く指先が捉えた整体の極意」
「いいか、坂口くん。整体の本質とは何だと思う?」
寿々木治療院の施術室。
先生は負傷していない左手の指先を静かに掲げ、真剣な眼差しで俺を見つめた。
「力任せに骨をボキボキ鳴らすことではない。対象となる物体の歪みを、曇りなき心の眼で見極めてあぶり出し、本来あるべき姿へと戻すための最小限の手技を実践すること……それが整体だ。整体の『体』とは、何も人体だけを指すのではない。世に存在するあらゆる物質に応用可能だ」
「あらゆる物質に……?」
「大切なのは腕力ではない。本来の姿に戻すための道筋を見極める洞察力と、それを寸分違わず叩き込む鍛錬のみ。まずは目を凝らし、目の前にある物の『本来の姿』を見なさい」
目の前にある物の、本来の姿……?
(……待てよ? それってシステム開発で言えば……バグが一切存在しない、無駄を削ぎ落とした美しく完璧なソースコードみたいなもんか……?)
SEとしての職業病か、俺の中で先生の言っている抽象的な概念が、急にロジカルなイメージへと変換されていく。
その時だった。治療院の引き戸がガラガラと音を立てて開いた。
「あれ、寿々木先生? 今日はやってないのかな?」
入ってきたのは、いかにも常連といった風情の50代くらいの男性客だった。
「あぁ、竹内さん。ええ、実は少々事故がありまして、あいにく本日は私自身の手で施術することができず……」
「おや、残念だな。最近ちょっと腰が痛くてねぇ」
「……ですが、私の一番弟子が代わりに施術を担当いたします。料金は初学者割引で半額にいたしますが、いかがでしょう?」
(はぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!? いきなり!?)
俺は心の中で絶叫した。ちょっと待て! まだ概念的な説法を数十秒聞いただけで、実技の手ほどきなんて一回も受けてないぞ!? ウソだろ無理無理無理!!
冷や汗をダラダラ流して全力で首を横に振る俺を無視し、先生は朗らかな(しかし目は笑っていない)顔で常連客に語りかけた。
「ご安心ください。経験こそ浅いですが、私が保証します。彼は真の天才です」
「へぇ、先生がそこまで言うなら……じゃあ、お願いしてみようかな」
常連客がすんなりと施術台に横たわってしまった。
万事休す。俺の心臓はBPM200オーバーで激しく跳ね上がる。どうしよう、適当に押して麻痺でもさせたらどうするんだ……!
「案ずるな、坂口くん」
パニックになる俺の耳元で、先生が低く呟いた。
「心を平らかにし、目を凝らして本来の姿とのズレを感じろ。君ならできるはずだ。……君は、阿月が襲ってきた際、凄まじい速度で飛来する文房具のほんの微小な歪みを一瞬で見抜いた。君には天性の素質がある。絶対にできる!」
先生の強い言葉が、俺の脳裏に響く。
俺は深呼吸をし、意を決して施術台の常連客を見下ろした。
――スッと、世界から雑音が消えた。
(……あ)
不思議な感覚だった。
目を凝らすと、目の前の男性の骨格が、まるで透過された立体CADデータのように頭の中に浮かび上がってくる。
右の骨盤がわずかに上がり、第三腰椎が左に二ミリ歪んでいる。さらに、左足首の関節には、十数年前の古傷と思われる頑固な結節が固着していた。
(……見える。どこをどう修正すれば痛みが消えるのか……コードのバグが一目瞭然だ……!)
吸い寄せられるように手が動く。
触診で触れた瞬間、何をすればいいのか教わるまでもなく、指先が勝手に光るように配置された正解のルートを辿り始めた。
トスッ、パキッ……。
無駄な力を一切使わない、流れるような絶妙な圧力。
(……こ、こいつは……!?)
脇で見守っていた先生が、驚愕のあまり目を見開いた。
(力みが一切ない……! 対象の構造を完璧に把握し、最小の力で正しき位置へと誘導している……! 正しく、康継の御業が現代に転生したかのような……美しく、洗練された施術……!!)
「……よし。終わりました」
最後の筋膜リリースを終え、俺がふぅと息を吐くと、一瞬だけ没入していたトランス状態から意識が戻った。
「え……? もう終わり?」
常連客が不思議そうに体を起こす。そして――
「……え!? う、うそだろ!? 体が……羽が生えたみたいに軽い!!」
男性は自分の手足を見つめ、跳ね起きるようにベッドから立ち上がった。
「それに……これ、どういうことだ!? 十年以上ずっと悩んでて諦めてた左足首の痛みが、完全に消えてる……!?」
「え、ええ……。それは良かったです……(えっ、マジで……!? 俺、初めての施術でそんなすごいことしちゃったの……!?)」
「ありがとう、お兄さん! 先生、すごい弟子を育てたね!」
感謝の言葉を連発し、大満足で料金を支払って去っていく常連客。
一人残された俺が自分の両手を見つめて呆然としていると、先生が興奮を隠しきれない様子で俺の肩を掴んだ。
「思った通りだ……! 君には天性の素質がある! 伝説の刀工・康継の魂と技術が、君の指先に宿っているんだ!!」
その時、治療院の固定電話がけたたましく鳴り響いた。
「失礼……私だ」
受話器を取った先生の顔から、一瞬で興奮が消え去り、凄惨な表情へと変わる。
「……何? 大手町のグランドセントラルタワービルで……突然キョンシーのように暴走した社畜が大量出現している……!?」
(キョンシー大量出現……!? まさか、駅前で無料配布されている『パープルエナジー』が、原因か……!? カフェインと糖分と添加物が入りすぎていて、体を歪めているのか!?)
「……分かった。すぐに向かう」
ガチャリと受話器を置くと、先生は鋭い眼光で俺を振り返った。
「坂口くん! 大手町グランドセントラルタワーへ急行するぞ! 阿月が大規模な集団憑依を引き起こしているんだ! 援軍にもそちらへ向かうよう連絡を入れる!」
「え……!? あ、はい! 分かりました先生!!」
俺は、覚醒したばかりの自分の手拳を握り締めて夜の都心へと走り出すのだった。




