第5話「【物理除霊】筋膜はがしは怨念すら引きちぎる」
「――この歪み……、もしかして『もう一人』居るのか…?」
「は……? もう一人って、誰がですか……!?」
うつ伏せで穴あき枕に顔を埋めたまま、俺は焦って声を上げた。
急に不穏なことを言い出さないでほしい。俺の体の中に住人が増えているのはどういうことだ。
整体師の先生は、俺の背中に置いた手にじわっと汗を滲ませながら、絞り出すような声を漏らす。
「……う、お、お前は、国広……! く、この死にぞこないが……!」
「え!? 誰!? 先生、誰と話してるの!?」
その瞬間だった。
ガタガタガタガタッ!!
治療院の棚に並べられた人体骨格模型や、ウォーターサーバー、整骨関連の専門書が一斉に激しく振動し始めた。
天井の蛍光灯がバチバチと明滅し、湿布とお線香の匂いが一瞬で焦げ付いた鉄の臭いへと変わる。まるで部屋全体が巨大な地震に襲われているかのような、すさまじいポルターガイスト現象だ。
(ヒ、ヒエッ……!? 本物の霊現象じゃねえか!!)
「ぬううううっ! 姿勢の悪さに引き寄せられたか悪霊め……! お前の怨念、この場で断ち切る!!」
陰気だった先生の目が、鋭く光った。白衣の裾をバサッと翻すと、俺の背骨に向かって構えをとる。
「坂口さん! 痛くても動かないでください! 一気に骨格を整え、霊道を塞ぎます!」
「えっ、ちょっと待――」
「極技――『超高速首骨・背骨連続矯正』!!」
ゴキボキキキキキキキキキキッッッ!!!
「グギャァァァァァァァァッ!?」
目にも留まらぬ速さで、先生の手拳が俺の脊椎を上から下へと駆け抜ける!
1ミリの狂いもなく正確に叩き込まれる関節アライメント。俺の骨格が悲鳴を上げると同時に、部屋を揺らしていた怪異の振動がピタッと弱まった。
「まだだ! 筋肉に癒着した怨念ごと引きちぎる!! 『全身筋膜はがし』!!」
ズバァァァン!!
先生の指先が俺の肩甲骨の裏側に滑り込み、固まった筋膜をベリベリと強烈に剥ぎ取っていく!
「アギャアアアアアアッ(昨日から二度目のEnterキー強打)!!!」
俺の口から魂の抜け出た悲鳴が爆音で響き渡った瞬間、背中の奥で「ギィィィヤアアア!」という男の苦悶の叫び声が聞こえ、そのままスーッと気配が遠のいていった。
部屋の揺れが収まり、蛍光灯が元の明るさに戻る。
「……ふぅ。なんとか……一時的に鎮めました」
滝のような汗をかいた先生が、荒い息を吐きながら俺の背中から手を離した。
俺はと言えば、全身の筋膜を引っ張られたショックで、穴あき枕の上でピクピクと痙攣していた。だが……不思議なことに、全身の血流が爆発的に良くなり、羽が生えたように体が軽い。
「す……すごいです先生……めちゃくちゃスッキリしました……」
「……言ったでしょう、整体ですよ。」
ゼァゼァと息を切りながら、先生は真顔で言った。
「ですが、安心はできません。あなたの姿勢の悪さは極めて慢性化している。骨盤と首が再び歪めば、またすぐにでも……。だから、坂口さんには、これからも定期的にメンテナンスに通い続けてもらう必要がありますね」
――そして、会計。
「本日の初診料と特別施術(物理除霊)込みで、1万8,000円になります」
(たっっっっか!!??)
財布から飛んでいく諭吉(と栄一)を見送りながら、俺は内心で白目を剥いた。1万8,000円あれば、何回半額弁当が買えると思っているんだ。
「坂口さん、今後も通うなら『10回分の集中矯正チケット(回数券)』がお得ですよ。今なら10万円のところが8万5,000円です」
営業トークに切り替えた先生が、ぬっと回数券のカードを差し出してくる。
(いやいやいや! 確かに効いたけど! 8万5千円は無理!!)
俺の頭の中で、即座に毎月の資産形成シミュレーションが駆け巡る。
月々の新NISA積立枠を削ってまで、この怪しい整体院に10万近く突っ込むリスクは冒せない。
「あ、いや……ちょっと今日は持ち合わせが……また考えます!」
「……そうですか。ならば、せめてLINEの公式アカウントだけでも登録していってください。」
「あ、それくらいなら……」
断りづらさもあってLINEの友達登録だけはしておこうかとスマホを操作していると、その間にも先生がぶつぶつと話しかけてきた。
「坂口さん、覚えておいてください。姿勢の歪みは心の歪み。歪んだ恨みを抱えている悪霊にとっては、格好の受け皿です。坂口さんは今、邪な者達を吸い寄せる巨大な磁石になっています。……特に、女性には気を付けてください。今、LINE登録をすませていただきましたので、お持ちのスマートフォンが少しは邪な者を跳ねのける力になってくれるはずです」
未だに展開についていけない俺は、「は、はい……。気を付けます」とだけ言って、逃げるように雑居ビルの階段を駆け下りた。
(ふぅ……助かったけど、いろんな意味で命削られたわ。……それにしても、女には気を付けろって一体……?)
ビルの外に出ると、夕暮れの心地よい風が通り抜けた。背筋がシャキッと伸びたおかげで、街の風景がいつもよりクリアに見える。
「あ、坂口さ〜ん」
「――ッ!?」
雑居ビルの入口横。
自動販売機の陰から、ゆらりと現れたのは――
どこか艶めかしい笑みを浮かべた、桜井さんだった。




