第42話「【ラストバトル③】歪む怨嗟と、純白の薄い本」
深夜の大手町は、狂気と混沌の坩堝と化していた。
「裏金議員を許すなァッ!」
「物価高も少子化も実質賃金低下も全部政府の陰謀だァァッ!」
「キョンシーの魂の声を聞けえええッ!」
「不正選挙を許さないぞォォッ!」
奇妙に強張った前屈みの姿勢で、痙攣するように跳ね回るキョンシーの大群。
彼らはオフィス街のコンビニや宝飾店を襲撃し、レジ袋にエナジードリンクや菓子パン、高級腕時計を詰め込むという、スケールの大きいのか小さいのか分からない暴動を繰り広げていた。
「おいテメエ、俺の悪口を裏アカで引用ポストしただろ! 開示請求してやるッ!」
「お前の顔写真、AIで加工してネットの海に放流してやったわボケェ!」
「うるせえ! 身長170cm以下の男は人権ないんじゃ、黙っとけゴラァッ!」
「東大理Ⅲ以外はカス!!」
SNSの最底辺を煮詰めたような罵詈雑言を撒き散らしながら、濁流は日比谷通りを埋め尽くす。
「くそが、イラつくぜ……! あれもこれもそれも、全部政府が悪い!!」
その群れの先頭では、メガホンを握りしめた一際跳躍力の高いキョンシー――ネットで数十万のフォロワーを持つ陰謀論系インフルエンサーキョンシーが、泡を吹いて叫んでいた。
「目覚めよ日本人! ディープステイトと光の戦士の最終決戦だァッ! 議事堂の地下には世界を牛耳る悪魔のトンネルがある! 突撃じゃあァァッ!!」
『ウオオオォォォッッ!!』
国広の力によって怨嗟と他罰感情を極限まで肥大化させた暴徒の波が、日本の心臓部へと牙を剥く。
高い民度を誇ったはずの日本人のなれの果てのようなキョンシーたちの向かう先は、霞が関、そして国会議事堂だった。
―――
(……迂闊だった。私ともあろう者が、あんな稚拙な幻影に呑まれるとは……)
大手町グランドセントラルタワー21階、瓦礫の転がるチャペルの壁際で、森田は脇腹を押さえながら苦悶の息を漏らしていた。
口元から垂れる鮮血が、白い白衣を赤く染めている。
(いや……国広は、私の心の奥底にあった迷いと孤独を敏感に嗅ぎ取ったのだ。組織のために『正しさ』を貫くたびに生じる、小さな罪悪感や違和感。奴はそれをあの不気味な光で、何万倍にも増幅させて脳内に叩き込んできた……)
『歪視眼』とでも呼ぶべき、心を支配し、精神の歪みを突いて自滅へと追い込む能力。
阿月が何百年も縛られ続けたのも、この恐るべき催眠の力ゆえだったのか。
それとも――。
ドッゴォォォンッ!
「せぇぇぇいッ!!」
思考を遮ったのは、寿々木の気迫に満ちた咆哮だった。
砕け散った大理石の破片が礫となって降り注ぐ中、寿々木は両掌を高速で旋回させ、霊気の盾を張り巡らせていた。額からは滝のような汗が流れ、その足元はすでに小刻みに震えている。
「森田先生、考え事は後です! ここを突破されたら全滅ですよ!」
「寿々木先生……っ!」
壁から飛び出した鉄骨が、大蛇の尾のようにしなり、寿々木へ撃ち下ろされる。
寿々木は両腕を交差させて受け止めたが、凄まじい衝撃に耐えきれず、膝をついた。
バキィッ!
「ぐ……っ!」
「寿々木先生ッ!!」
東雲が悲鳴を上げる。
「だ、大丈夫です……! ふっ、この程度、四十肩の激痛に比べれば……!」
虚勢を張るものの、寿々木は明らかに限界を迎えていた。
チャペルの天井全体が黒く蠢き、今にも部屋ごと全員を押し潰さんばかりに軋みを上げている。
(このままじゃ……みんな、殺されちゃう……!)
東雲は膝の震えを力任せに叩き、バージンロードの中央で倒れ伏す坂口のもとへ駆け寄った。
冷たくなりかけた坂口の肩を激しく揺さぶる。
「坂口さん! 起きて、お願いだから目を覚ましてッ! このままじゃ、みんな死んじゃいます! 坂口さんッ!!」
涙をボロボロとこぼしながら叫ぶ東雲。
その悲痛な声に弾かれたように、立ち尽くしていた桜井が目を見開き、意を決した表情で駆け寄ってきた。
「東雲さん! 皆さん、聞いてください!」
桜井は荒い息のまま、坂口の胸元を指差した。
「心を清らかにして……坂口さんのワイシャツの下にある薄い本に、全員で手を触れて強く念じてくださいッ!!」
「え……? 薄い本……!?」
東雲は呆気にとられたが、桜井の眼差しは真剣そのものだった。
躊躇している時間はない。寿々木が床に転がっていた加藤と村瀬、そして正気を取り戻しかけていた元キョンシーたちの身体を引きずり寄せ、坂口を取り囲むように輪を作った。
「理屈は分からんが……信じるぞ、桜井さん!」
全員の手が、坂口の胸元――スーツとワイシャツの隙間に差し込まれていた、萌え絵調の美少女が涙目で微笑むイラストが表紙の『純愛のアルペジオ〜放課後の屋上で、君だけに捧げる歪みなき想い〜』の上へと重ねられた。
ゴオオオォォォッ!!
その瞬間、天井から数十本の鉄骨と瓦礫の槍が、全員を串刺しにせんと垂直落下してきた。
底知れない国広の悪意。
完全に仕留めに来ている!
だが、激突の寸前――。
キィィィィン……ッ!
坂口の懐から、神々しいまでの純白の光が放射された。
半透明の巨大なドーム状の障壁が展開され、降り注ぐ鉄骨の雨を「ガガガガッ!」と甲高い火花とともに弾き返したのだ!
「なっ……!? 障壁……!?」
森田が目を疑う。
「よかった……! やっぱり効いた!」
桜井が歓喜の声を上げる。
だが、タワー全体の質量をぶつけてくる国広の圧力は凄まじく、どこまでもプラトニックな愛を描いた同人誌で作る光のドームにすら、ピキピキと細かな亀裂が走り始めている。
「うっ……! このままではもたんぞ!」
「坂口さん……っ!」
「起きて、坂口くん……!!」
東雲と桜井の、魂を絞り出すような呼気が重なり合う。
二人の涙が坂口の頬に落ちる。
―――
「ああ……、なんか呼ばれている……? 東雲さんと桜井さんかな……?」
「あ~、職場の美女二人にあんなに必死になってもらえるなんて、今日は本当にラッキーだな。……でも、もう、起きられないや……」
俺は、さっきからずっと、温かい水の中にいるような心地よい浮遊感に包まれていた。森田先生の絶技をくらってから、この世のものとは思えないほどのリラックス感を味わっている。きっとこの技で、国広と阿月を一瞬で仕留めようとしたのだろう。
俺は、この心地よさの中でやがて息絶えていくのかな。
でも、どうせいつか死ぬなら、こんな死に方ができるのは案外幸せなのかもしれない。
あぁ……、二十七歳か。
さすがに、もうちょっと生きたかったな……。
新NISAの儲けを使って結婚し、幸せな家庭を築いてみたかった。
そう、東雲さんと幸せな家庭を……。
幸せな……。
(……もうちょっと生きられるかな)
『生きられるかな、じゃない。生きなければならないんだ』
(え……?)
『立つんだ。国広を止めるため。そして、お前のことを想う、大切な人のために』
(誰だ……?)
『俺はずっとお前と共に居た。整体を会得し、俺の力と共鳴し始めた今のお前なら、できるはずだ』
(ああ……、そうか。この人が……)
『お前は侍ではないが、すでに心に刃を持っている。『一期一振』、俺の渾身の力を込めた一振りだ。大事に使え』
そう言うと、その職人然とした精悍な顔立ちの男は、俺にその刀、『一期一振』を渡してきた。
荘厳な鞘に納められた刀。
その鞘から刀を抜くと、刀に関してはズブの素人の俺でも、思わず溜息が漏れるほどの美しい刀身が現れた。
刀の茎には、誉れ高い葵の御門が彫られている。
玉鋼の声を聞き、命がけで作られた、芸術以上の領域に達したその刀。
それを持つ俺の手は、震えていた。
『俺が阿月の心に気が付いてやれなかったばかりに……。お前に尻拭いさせて悪いが、これはお前にしかできない。……やるんだ!』
その男の言葉を聞いた俺は、力強く頷いた。
「必ず国広を止めてみせます。康継さん、この一振り、感謝します」
そう言うと俺は、自分を包んでいる温かい水を『一期一振』で打ち据えた。
ザアアァァァァァ!!!!
水が切り裂かれ、砂地の道が一瞬にして出来てゆく。
『その道を行け。さすれば、お前を想う人のところにたどり着けるだろう』
俺はコクリと頷き、砂地に一歩を踏み出した。




