第41話「【ラストバトル②】蠢く巨塔と、迫る濁流」
ギギギギ……ッ、バキィンッ!
耳障りな金属の軋み音とともに、チャペルの大理石が砕け散り、鋭利な破片が散弾のように降り注いだ。
「みんな、私の後ろへ隠れて!」
森田は白衣を翻し、両手を素早く旋回させて霊気の障壁を展開した。
飛来する瓦礫の嵐を真っ向から弾き飛ばす。だが、その衝撃は掌を通して骨の芯まで重く響いていた。
「森田先生、右から来るぞ!」
寿々木が叫び、倒れていた村瀬と加藤の襟首を掴んで後方へと引きずる。
直後、結婚式場の壁面を覆っていた大理石の化粧板が、まるで巨大な百足の足のように一斉に反り返り、鋭利な刃となって薙ぎ払ってきた。
「破ァッ!!」
森田は低く踏み込み、鋭い正拳突きを空間へと放つ。
凝縮された衝撃波が化粧板を粉々に打ち砕く。
息をつく暇すらない。
砕けた破片は床に落ちることなく、まるで磁石に吸い寄せられるように天井へと巻き上がり、今度は巨大な大蛇の顎となって頭上から食らいついてきた。
(質量が……多すぎる……ッ!)
森田の額に冷や汗が滲む。
相手は人間ではない。この超高層タワーそのものだ。
壁、天井、床、配管、あらゆる建材が国広の怨念を宿し、無限の凶器となって全方位から襲いかかってくる。
「坂口さん、しっかりして……! お願い、目を覚まして……!」
背後で東雲が、意識を失ったままの坂口の体を必死に抱き起こそうとしている。
桜井もまた、恐怖に震える足を押さえながら、倒れた坂口の前に立ちはだかって庇おうとしていた。
守るべき対象が多すぎる……!
自分一人なら回避に専念できるが、気絶した坂口たちを背負った状態では、すべての攻撃を正面から迎撃するしかない。
ギチギチギチ……ッ!
床が大きくうねり、まるで荒れ狂う波のように足場が崩れる。
森田は体幹を保ちながら、波頭から飛び出してきた鉄骨の杭を掌底で受け流し、斜め横へと弾き飛ばした。
ドゴォォォンッ!
凄まじい破壊音とともに、教会の講壇が粉砕される。
休む間もなく、今度は剥落した天井の配管が鞭のようにしなり、空気を切り裂いて連撃を繰り出してくる。
「ふっ!!」
森田は最小限のステップでそれをかわし、手刀で切断していく。
(……くっ、何かがおかしい?)
猛烈な攻防の最中、森田の研ぎ澄まされた直感が、漠然とした引っかかりを捉えていた。
荒れ狂う暴風のような猛攻。
これほどまでに殺意に満ちた建材の牙が全方位から降り注いでいるというのに、攻撃の軌道や建物の軋み方に、どこか奇妙な歪さ、不自然な偏りがあるような気がしてならない。
(何だ……? この違和感は一体……。う……ッ!)
考える暇を与えないほど、次から次へと押し寄せる瓦礫の津波。
迎撃する森田の腕は徐々に痺れ、呼吸は乱れ、体力は底をつきかけていた。
防戦一方のまま、じりじりと後退を余儀なくされる。
このままでは、いつ決定的な一撃を浴びてもおかしくない。
突風が吹き荒れ、森田の足は割れたカーテンウォール――外の冷たい夜風が吹き込む窓際へと押し出されていた。
わずかに攻撃の波が途切れたその刹那。
息を整えようと、森田は何気なくその視線を遥か眼下へと落とした。
地上数十階から見下ろす、東京の夜景。
その光景を目にした瞬間、森田の息が、喉の奥で完全に凍りついた。
「な……に、あれ……?」
眼下に広がる大手町の街並み。
深夜の静寂に包まれているはずの幹線道路や交差点が、異様な「黒い濁流」で埋め尽くされていた。
蠢いていたのは、無数の人間――いや、奇妙な前屈みの姿勢で、痙攣するように跳ね回る無数の影。
その異様な群れの一部は、霞が関や都心方面へと濁流のように雪崩れ込み、そして残る無数の影は――クモの子を散らすような勢いで、このタワーの低層階へと群がり、壁を這い上がってきていたのだ。
その数は、百や千どころではない。万を超えるキョンシーの大群。
(そんな……まさか、街中の人々が……!?)
かつてない絶望と寒気が、森田の全身を貫いた。
あれほどの数がこのフロアに雪崩れ込んできたら、もはや防ぎようがない。
圧倒的な物量を前にして、森田の意識が、ほんの一瞬だけ窓の外の地獄絵図へと奪われた。その致命的な一瞬の隙――
ピカァッ……!!
チャペルの奥、崩れた壁の亀裂から、黒い渦のような不気味な光が放たれた。
「――ッ!?」
森田が振り返った瞬間、その妖しい光が網膜に焼き付いた。
視界がぐにゃりと歪む。
次の瞬間、森田の眼前からチャペルの景色が掻き消え、異様な光景が眼前に広がった。
『人殺し!』
『冷血女!』
『正しいフリをして、仲間を見捨てた薄情者!』
眼下にいたはずの万を超えるキョンシーたちが、血走った無数の目で一斉に森田を指差し、耳をつんざくような怨嗟の声を浴びせかけていた。
(な……に……? これは……)
その一人ひとりが、森田の「正しさ」を憎んでいた。
森田が「正しさ」のために切り捨ててきた者たちの怨嗟が、今この瞬間に森田に復讐を始めたのか。
キョンシーたちのその言葉は、孤独の中で押し殺してきた感情の刃となって、森田の心を突き刺していく。
(あ……ぁ……ッ!?)
激しい吐き気と、頭蓋骨を割られるような眩暈が同時に襲いかかった。
「私は間違っていない」と必死に張り巡らせていた精神の防壁が決壊し、目からは止めどなく涙が溢れ出していく。
立っていられない。
平衡感覚が完全に奪われ、森田の身体がその場に縛り付けられた。
「森田先生、危ないッッ!!」
寿々木の絶叫が、遥か遠くから微かに聞こえた。
幻影の奥から迫り来る、本物の殺意。
波打つ床から槍のように突き出された太い鉄骨が、無防備を晒した森田の脇腹を容赦なく撃ち抜いた。
ドッゴォォォンッッッ!!
「が……ッ、はぁっ……!?」
肺の中の空気をすべて吐き出させられるような衝撃とともに、森田の身体がチャペルの大理石の床を激しくバウンドしながら吹き飛ばされた。
壁に叩きつけられ、口から鮮血を吐き出して、白衣を赤く染めながらがっくりと崩れ落ちる。
「先生……っ!」
「森田先生ぇぇっ!!」
東雲と桜井の悲鳴が重なる。
倒れ伏した森田の霞む視界の中で、タワーの床や壁が勝利を誇るようにギチギチと哄笑の音を響かせていた。
そして――。
『シャアアアァァァッッッ!!』
『グアギャァァァァァッッ!!』
割れた窓の向こう、タワーの直下から、地鳴りのようなキョンシーたちの大群の雄たけびが響き渡った。
夜の帳を引き裂くその狂気の大合唱は、確実に、このフロアのすぐ下まで迫り上がってきていた。




