第35話「【覚悟】無頼の刃と、命懸けの整体」
「はぁ、はぁ……っ! 阿月、どこに行っちゃったの……?」
入り組んだ路地を懸命に走り抜けた東雲さんは、足を止めて息を呑んだ。
飛び込んだ先は、両脇を高い板塀に囲まれ、正面を古い土蔵の頑丈な壁に塞がれた完全な「行き止まり」――逃げ場のない袋小路だった。
「しまっ……!?」
引き返そうと踵を返した瞬間、路地の入り口を塞ぐように、下品な薄笑いを浮かべた四人の男たちがぬっと姿を現した。
「へへへ……足の速いお嬢ちゃんだが、袋小路に自分から飛び込んでくれるとは手間が省けたぜ」
「見ねえ顔の上玉じゃねえか。その妙な形の服も、ひん剥いてみれば極上のお宝だぜ……!」
棍棒を手にした三人の無頼漢が、獲物を追い詰めた獣のようにじりじりと距離を詰めてくる。
その中心で、抜き身の日本刀を肩に担いだボス格の浪人が、ギラついた下卑た目で東雲さんをねめ回していた。
「や、やめて……! 来ないで!」
東雲さんが背中を土蔵の壁に押しつけ、恐怖に身を竦ませる。
「おいおい、そう怖がるなって。大人しく俺たちの言うことを聞けば、痛い目には――」
「東雲さんに触るんじゃねえぇぇぇッッッ!!!」
路地の入り口から、両手で腹を押さえて顔を真っ赤にした男――俺が、猛烈なスピードで突っ込んできた!
狭い隙間を無理やり力づくで通り抜けてきたせいで、ワイシャツの下の腹は激しい摩擦でヒリヒリと悲鳴を上げているが、そんな痛みに構っている暇はない!
「な、なんだぁテメエは!?」
棍棒を振り上げた雑魚の一人が驚いて振り返る。
俺はその棍棒の振り下ろしを紙一重で見切り、懐へ鋭く滑り込むと同時に、男の歪みきった仙腸関節へ的確なアジャストを叩き込んだ!
「極技・瞬速骨盤調律!!」
バキィィッ!
「あばばばばっ!?」
姿勢の重心を完全に破壊された男は、脱力してそのまま白目を剥いて卒倒した。
間髪入れずに襲いかかってくる残りの二人の棍棒も、反復横跳びの要領で軽やかにかわし、両者の頸椎と肩甲骨へ電光石火の掌底を打ち込む!
ドガッ! バキィンッ!
「ぎゃあああっ!?」「せ、背筋が……伸びすぎるぅぅぅ!?」
二人のチンピラは、極上のアライメントを取り戻した美しい直立不動の姿勢のまま、地面へバタリと倒れ伏した。
「て、テメエ……素手で何をしやがった!?」
最後に残ったボス格の浪人が、狼狽しながらも日本刀を両手で正眼に構え直す。
ギラリと凶悪な光を放つ白刃が、路地の薄暗がりを切り裂いて一直線に俺の胸元へと突き出された!
シュッ!
「ぐっ……!?」
咄嗟に上半身を仰け反らせたが、鋭い切っ先が俺のドブネズミ色のスーツの胸元を浅く切り裂いた。
布の切れ端が宙を舞い、冷たい風が素肌に触れて冷や汗がドッと噴き出す。
「ははは! ビビったかァ!? 命は惜しいだろう! 逃げ出したらどうだ、おいィ!?」
浪人が下品に嘲笑し、刃先を小刻みに揺らして威嚇してくる。
だが――。
(……笑わせるな)
俺の頭は、恐ろしいほど冷静だった。
(死ぬほどの寒気なら、あのバッティングセンターで課長が放った剛速球を見た時の方が遥かにヤバかった……! 威圧感なら、あの眉唾美容外科で羽振が放った、脳を焼き切る『歪視目』の方が何百倍も恐ろしかった……!!)
目の前の男の殺気など、俺がこれまで潜り抜けてきた極限の社畜バトルに比べれば、そよ風のようなものだ。こいつとは、くぐり抜けてきた修羅場が違う!(※現実世界では全部今日のことだけど)
「命が惜しいかだと……?」
俺は裂けたスーツの胸元を力強く握り締め、真っ直ぐに浪人を睨み据えた。
「惜しくねえよ!! 俺はな……愛する女性のためなら、命くらい喜んで賭けられるんだよォォォッッッ!!」
「死ねェッ!!」
逆上した浪人が、渾身の力で刀を頭上から振り下ろす!
その一撃を、俺は紙一重で左へステップしてかわした。空を切った刃の横をすり抜け、がら空きになった浪人の胸骨と胸椎の歪みの中心へ、渾身の力を込めた掌底を叩き込む!
「極技・心柱全開放矯正ッッッ!!」
ドガァァァァンッ!!
「ぐほおおぉぉぉっ!?」
浪人は刀を取り落として膝から崩れ落ち、そのままぐったりと動かなくなった。
静寂が戻った路地。
俺が荒い息を吐きながら立ち尽くしていると、背後から東雲さんが駆け寄ってきた。
「坂口さん……っ!!」
東雲さんは涙をいっぱいにためた瞳で俺を見つめ、思わずといった様子で俺の両腕をギュッと握りしめてきた。
「無事ですか!? 怪我はありませんか……!? 私のために……あんな危ないことをして……っ!」
「へ、平気平気! 腹がちょっと擦りむけたのと、スーツが破れたくらいだよ。東雲さんに怪我がないなら、お釣りがくるくらいさ」
俺が照れ隠しに笑うと、東雲さんはほっとしたように胸を撫で下ろし、心からの純粋な笑顔を咲かせた。
路地裏に漂う、二人だけの温かく親密な空気。
――だが、その光景を。
見知らぬ二人が危険な裏路地へ入っていったのが気になり、こっそりと後を追ってきていた阿月が、物陰から息を呑んで見つめていた。
(あの男の人……素手で刃物に向かっていった……? 自分の命を投げ出してまで、あの女の人を守るために……?)
阿月の脳裏に、かつて国広から囁かれた言葉がフラッシュバックする。
『俺のために他の男を誘惑しろ』
『俺の言うことだけを聞け』
『そうすれば、いつか愛してやる』
(……愛する人のためなら、死ねる……?)
阿月は自分の胸元をぎゅっと掻きむしった。
目の前で起きている「本物の献身」と、自分が国広から受けてきた「搾取」。
二つのあまりにも残酷な違いを前にして、阿月は動揺を隠せなかった。
それは正に、国広が仕掛けたあまりにも強固なマインドコントロールの壁に、ピシリと決定的な亀裂が入った瞬間だった。




