第33話「【宿影】名工の加護と、悲哀の茶屋」
「その男の人、そんなにイケメンではなかったんですけど、職人然とした精悍な顔立ちをしていました。……私が思うに、おそらくその男の人は――」
ゴクリ、と唾を呑み込む。
「坂口さんの守護霊の、康継さんだと思います」
東雲さんがそう告げた瞬間、俺の胸の奥で、カチリとパズルの最後のピースがはまる感覚があった。
(あぁ……やっぱりそうだったのか)
国広の邪悪な怨念が俺の中で、どんどん膨れ上がってきていた。
おそらく、それに拮抗するように、守護霊である康継の力が表に出てきていたのだ。
鋼の声を聞き、幾重もの折り返し鍛錬と命懸けの焼き入れで名刀を生み出し、徳川家康に重用された伝説の名工。その「物質の構造と魂を極限まで読み解く眼」が、物の声や記憶を感知し、そこにアプローチする力として、俺に宿り始めているのだ。
俺がトランス状態で繰り出した必殺技、『整魂整体』は、康継の御業と俺の整体技術が極限状態で融合したものだったのだろう。
「あぁ、やっぱりそうだったんだね……」
俺は感慨深げにそう言った。
「ええ、そうみたいですね。本当に頼もしくて、良い守護霊さんですね!」
東雲さんが屈託のない笑顔で頷く。
あの眉唾美容外科で羽振に脳を焼かれそうになった極限状態から、俺をすんでのところで救い出してくれたのは、康継さんだったのだ。
(ありがとう、康継さん……! 俺、絶対この力で東雲さんを救ってみせます!)
心の中で深く頭を下げた。
だが、ふと我に返って周囲を見渡すと、江戸の街並みはすっかり深い夜の帳に包まれていた。精神の記憶世界とはいえ、昼間の死闘の精神的ダメージは現実と直結しており、ずっしりとした疲労感が両肩にのしかかってくる。
「ふぁ……。坂口さん、なんだか急にどっと疲れちゃいましたね……。もう夜も深いですし、どこかで休みませんか?」
東雲さんが小さくあくびを噛み殺し、潤んだ瞳で俺を見上げてきた。
幸い、記憶の街外れに小さな旅籠のような空き家が見つかり、俺たちは雨露をしのぐためにそこへ身を寄せることにした。
――が、引き戸を開けて中に入った瞬間、俺は致命的な問題に直面した。
「あ……敷布団が一組しかありませんね」
「えっ」
ボロ長屋の四畳半。そこには、どう見ても一人分の薄い煎餅布団と、掛け布団が一式あるだけだった。
「わ、私、全然床で寝ても平気ですよ? ほら、オフィスの床で仮眠するの慣れてますし!」
「いやいやいや! 職場のマドンナを江戸時代の板の間に雑魚寝させるわけにいかないでしょ! 俺が床で正座して寝るから、東雲さんは布団使って!」
「そんなのダメです! 坂口さん、今日ずっと私のためにボロボロになって戦ってくれたじゃないですか……! えっと……じゃあ、こうしましょう!」
東雲さんはオフィスカジュアルのスカートの裾を軽く押さえながら布団の上にちょこんと正座すると、ぽんぽんと自分の隣のスペースを叩いた。
「半分こ、しましょう? 一緒に入れば、二人ともあったかいですよ」
「は、半分こ!? いっしょ……!?」
至近距離から漂ってくる、東雲さんのふんわりとした良い匂い。
薄暗い行灯の明かりに照らされた白い肌と、ブラウス越しでもはっきりと主張してくる豊かな胸元のシルエット。
(う、うわああああああっっっ!? なんだこのご褒美イベントは!? 夢か!? 走馬灯か!? それとも国広が見せている高度な幻術なのか!?)
俺の煩悩センサーが限界突破のレッドゾーンを叩き出し、鼻血が滝のように噴き出しそうになる。
(ぐっ……、ダメだ! ここで少しでもスケベ心を暴走させたら、現実世界に戻ったあと職場での社会的生命が完全に消滅する!東雲さんを狙っている男が一体何人いるか見当もつかないんだ、ここはぐっとこらえて……!)
「さ、坂口さん? 顔が真っ赤ですよ? どこか痛むんですか……?」
心配そうに顔を近づけてくる東雲さん。至近距離の吐息に心臓が爆発しそうになり、俺は「な、なんでもないですッ!」と絶叫しながら、背筋を定規のように真っ直ぐ伸ばして布団の端っこへ滑り込んだ。
結局、お互いに背中をぴったりと合わせ、一枚の掛け布団を分け合う形に落ち着いた。
背中越しに伝わってくる東雲さんの柔らかい体温と、トクン、トクンと刻まれる心音。それだけで俺の心臓はドラムロールのように激しく鳴り響いていたが、暗闇の中で東雲さんがぽつりと漏らした声に、俺の頭はすっと静けさを取り戻した。
「……阿月さん、本当に辛そうでしたね」
背中越しに、東雲さんの切なげな吐息が伝わってくる。
「自分の目で見て、耳で聞いた真実をねじ曲げてまで、信じようとしてた。……それだけ、あの国広って人が好きだったんでしょうね」
「ああ。でも……あれは愛っていうより、自分を壊さないための呪いみたいな執着なんじゃないかな。騙されている自分を認めるのが怖くて、受け入れられない現実の方を歪めちゃってる感じがする。……見てて、あまりにも痛々しすぎる」
「……ですね。相手のために自分を殺して、嘘の世界に逃げ込むなんて、絶対に幸せになれません」
「うん……。なんとかしてやれないかなあ」
それがこの世界から二人で抜け出し、現実世界を混沌と破滅から救うことにもつながるのだ。
でも、どうすれば良いのか。あれほど凝り固まった魂のコリをほぐすことができるのか。策は未だに浮かんでこない。でもそうだ。分からないことだらけだけど、一つ絶対確実なことだけは、東雲さんに言っておこう。
「あぁ、そうだ……。誓って言うけど」
「誓って言うけど…、何ですか?」
東雲さんは、横たえた体を少し俺の方に傾けて問いかける。
「俺は、国広みたいなことは絶対にしないよ。もし俺が国広と同じくらいイケメンだったとしても絶対にしない」
ええかっこしいでも何でもない、俺の心からの言葉だった。
東雲さんは、不意を打たれたように少し呆けていたが、やがていつもの笑顔を浮かべて言った。
「大丈夫、知っていますよ」
そんな真面目な誓いを交わしているうちに、やがて背中越しに東雲さんの規則正しい、小さな寝息が聞こえ始めた。
もちろん、チョメチョメな展開など一ミリも起こることなく――俺はただただ己の煩悩と戦いながら、東雲さんの温もりを背中に感じつつ朝を迎えたのだった。
――翌朝。
精神世界の澄んだ朝の光の中、俺と東雲さんは昨夜の記憶を手がかりに、国広の足取りを追って武家屋敷の周辺へとやってきていた。
立派な黒板塀が続く武家屋敷街の通り沿い、その角にある小さな茶屋。
ふと目を向けると、店の縁台に、ポツンと一人で座り込んでいる女性の姿があった。
「あ……」
東雲さんが小さく息を呑む。
そこにいたのは、昨日と同じ着物に身を包み、武家屋敷の重厚な門前をじっと見つめ続けている――阿月だった。




