第30話「【共鳴】垂れ落ちる猛毒と、万物の叫び」
「さあ、お行儀よく口を開けて? ……はい、あーん」
阿月が冷たい指先で俺の顎を強引にこじ開け、『魂歪湯』の入った禍々しい缶を傾ける。
見上げた視線の先、ドロリとした紫色の液体が缶の縁からゆっくりと顔を出すのが見えた。
その瞬間、俺の魂の奥底で、何百年も眠りについていた邪悪な怨念が、自らの完全な覚醒を前にして歓喜の雄叫びを上げたような気がした。
キョンシー化した同期二人に両腕と胴体を羽交い絞めにされ、東雲さんに憑いた阿月には顎を完全に固められ、逃げ道はどこにもない。
俺はこのまま『魂歪湯』を流し込まれ、国広の積年の恨みを晴らすためだけの復讐の肉塊と化し、この世界に破滅と混沌をもたらしてしまうのだろうか。
阿月は俺の顎を割らんばかりに力を強めていく。
「うぐ……ッ!」
「うふふふふ、うふっ、ふふふっ……!」
阿月は、狂信者が神の復活の瞬間に立ち会っているかのような、狂おしい恍惚の表情を浮かべていた。
口の端からは、だらしなく一筋の涎が垂れ落ちている。
その横で、俺をガッチリと押さえつけているプログラマー同期の二人が、異様なテンションで奇怪なコーラスを歌い始めた。
「キャバクラ、スナック、ガールズバ〜♪」
「キャバクラ、スナック、ガールズバ〜♪」
「グイ、グイ、グイ!! 坂口の飲むとこ見てみたい〜〜〜!!」
かつて深夜の新宿や秋葉原を爆音で走り抜けていた、あの宣伝トラックのテーマソングだ。
知性や意識の高さの欠片もないのに、なぜか深夜の社畜の胸を無駄に高鳴らせていたあのアップテンポなメロディに合わせ、キョンシー二人がリズミカルに俺の体を揺さぶる。
(ああ……俺、もうあの胸の高鳴りを感じることも、リサちゃんの笑顔を拝む未来も来ないのか……?)
走馬灯のように、下らない諦念がふと頭をよぎる。
生物としての本能が、自らの終わりがすぐそこまで来ていることを悟っているのだろうか。
それにしても――。
垂れ落ちてくる毒液を間近に見上げながら、俺は冷徹に思った。
(……不細工だな)
今、目の前で涎を垂らして笑う阿月(東雲さん)や、醜い嫉妬で顔を歪めている同期二人を見て、心底そう感じてしまったのだ。
明るく清純で、いつもハキハキと喋り、誰からも愛される眩しい輝きを放っていた昨日までの東雲さんとは、姿かたちは寸分違わないはずなのに、全くの別物に見える。
骨格やパーツは昨日まで楽しく談笑していた可愛い東雲さんそのものなのに、魂がここまで歪むと、人はこうも醜く歪んで見えてしまうものなのか。
(村瀬と加藤の二人は、……まあ、元々こんなもんだった気もするが)
(そういえば……さっき整魂整体を受けた羽振も、顔つきが劇的に変わっていったな。魂の姿勢が、そのまま肉体の相貌を作るのか……)
死の淵に立たされているというのに、脳内ではSEの職業病である「断片的なデータからの構造分析」が猛烈な勢いで回り始めていた。
(魂の歪みが顔を歪ませる。それなら……阿月の魂はどうしてここまで醜く歪んでしまったんだ? なぜ、何百年もこの世に執着して他人の体を奪うほどの怪異になった……?)
俺の思考がその『歪みの根源』へと至った、その刹那だった。
ドクンッ……!!
全身の細胞が沸騰するように活性化し、五感のフィルターが完全に吹き飛んだ。
耳に、肌に、神経に、周囲に存在するすべての物質が持つ『声』が、圧倒的な情報量となって脳内に直接流れ込んでくる。
『私を握る阿月の指の骨膜、極度の偏愛による慢性的な拘縮……!』
『チャペルの大理石、無理な突貫工事による圧縮応力の軋み……!』
『魂歪湯のアルミ缶、歪んだ呪力による分子結合の悲鳴……!』
世界が、自らの記憶と構造を俺の脳へと直接語りかけてくるようだ。
この感覚――さっき眉唾美容外科で羽振の『歪視目』を至近距離で浴び、脳が焼き切れる寸前に覚醒しかけたあの全能感と全く同じだ!
視界が急速に反転し、チャペルの天井も、同期の悪ふざけのコールも、遠くへフェードアウトしていく。
直後、俺に直接触れている阿月の指先から、彼女の魂が抱え続けてきた数百年前の記憶の断片が、濁流となって俺の精神を呑み込むように流れ込んできた。
(これは……生前の阿月、なのか……)
俺の意識は、数百年前の江戸の記憶へと一気に引きずり込まれ、胸を締め付けられるような阿月の歪みの原点に触れ始めた。




