第3話:社畜の朝は早い。たとえ昨日、刀工の霊に憑依されていても
ピピピピ、ピピピピ……。
枕元で鳴り響くスマホのアラーム音に、俺はむにゃむにゃと虚空に文句を言いながら目を覚ました。
頭が割れるように痛い。昨日の夜、怪異のアルゴリズムと戦いながらストロングゼロをべろべろになるまで飲んだせいだ。完全なる二日酔いである。
「……あ」
最悪なことに気がついた。
今日、整体に行くための休暇申請を何も送らずに意識を失っていたのだ。
とりあえずベッドから這い出し、洗面所で冷水を顔にぶっかける。少しだけはっきりした頭で、俺はスマホを手にした。
今からまともなビジネスメールを書く脳みそのリソースはない。こういう時こそ、最近のテクノロジーに頼るべきだ。
俺はスマホのアプリを開き、優秀な生成AI『チャッピー君』を起動した。(※某有名大企業のアレではない)。
『チャッピー君、今日、体調不良で会社を休むための病欠メールを作って』
5秒もかからずに、チャッピー君は文章を出力した。
さすがは人類の英知。優秀すぎだろチャッピー君……と心の中で大絶賛しながら、上司に送信する前に一応、文面の最終チェックを行う。
そして、俺は唖然とした。
『件名:開発部 坂口
お疲れ様です(別に疲れてないだろうけど)。開発部の坂口です。
昨日の夜、ストレートネックと腰の曲がりがひどすぎたせいか、落雷で停電した際に意識がキョンシーと一体化したような感じになり、自分でも不可解な行動をとってしまいました。本日は大事をとって仕事は休養し、整体に行きたく存じます。
必要となる資料の作成は、東雲さんに依頼済みです。
直前のご連絡となり申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします。』
「なんじゃこの文面はァァァァァァァッッッ!!!」
早朝のワンルームマンションに、俺の魂の叫びが木霊した。
完全にアレな人の文章じゃないか! 電波系社畜の爆誕である。
「……いや、確かに客観的に見れば、昨日の俺は完全にキョンシー的なアレだったけどさ!」
だからってそのまま書くな!
おいチャッピー君、何をしてくれてるんだ。少しは「オブラートに包む」という高度な概念を学習してくれ。君は人類の希望なんだぞ!?
君ら最先端AIが存在しているからこそ、S&P500とかオルカン(全世界株式)のあのアホみたいな高株価が、かろうじて正当化されているんだぞ!?
俺の毎月の新NISAの積立額をなんと心得る!
その積立金を捻出するために、この物価高の中、俺が毎日お昼ご飯を五百円台のワンコインでどれだけ必死に凌いでいると思っているんだ! 俺の節約家族計画(一人)を無駄にするな!
「はぁ、はぁ、はぁ……」
ひとしきりスマホの画面のチャッピー君にブチ切れたところで、ふと息が切れた。
少し冷静になって、頭を冷やす。
……待てよ?
こうして朝の光を浴びながら思い返してみると、昨日のあの「爆速でキーボードを叩くポーズのまま新入社員を追いかけ回した」件、本当のことだったんだろうか?
二日酔いの頭で考えると、なんだかタチの悪い悪夢だったような気がしてくる。
それに、何よりだ。
ここで本当に病欠なんてしたら、絶対に今期の査定に響く。ただでさえ新NISAにお金を回したい今の時期に、評価を落とされるのは致命傷だ。俺は、老後を生き抜かなくてはいけないのだから。
「……行くか、会社」
結局、二十七歳の社畜が選んだのは、怪異よりも「査定」だった。
東雲さんの言葉を完全に都合よく忘れ去り、俺はネクタイを締め直した。まだストロングゼロのアルコールが残る体を無理やり引きずり、今日も今日とて、地獄の満員電車へと消えていくのだった。
―――
すし詰めの満員電車に揺られ、なんとか会社にたどり着いた俺は、自分のデスクに滑り込んだ。
首は相変わらず、ハーランドもびっくりなくらい前に突き出たまま。腰もL字に曲がっているが、もう痛みに感覚が麻痺してきている。
「どっこらしょ、ふい~……」
重い体を席に落ち着かせ、パソコンを起動した直後、背後から甘く色っぽい声がした。
「うふ、昨日は無事に帰れましたか?」
振り返ると、そこにいたのは桜井さんだった。
少しウェーブのかかった髪を揺らし、男を惑わす艶やかな笑みを浮かべている。
(え……? 心配してくれているの? てか、おっぱいでかいな、やっぱり)
「あ……、はい。おかげさまで。結構降られちゃいましたけど」
「まあ、それは大変。風邪なんてひいてないですか?」
「だ、大丈夫ですよ! こう見えて、高校時代はサッカー部で鍛えていましたから!」
ずっと補欠だったけど。
「そうなんですか! どうりで締まった体格していると思った! 今でも鍛えているんですか?」
「いやいや、今はもうそんなに鍛えていないんですよね。昔取った杵柄ってやつかな?」
今は体内で筋肉よりもストロングゼロの割合が増えてきてるけど。
「そうなんですか~。え~、高校の頃、モテたんじゃないですか?」
「いや、全然そんなことなかったですよ! ほんとほんと」
「ええ~? 絶対ウソでしょう? 正直に言っていいんですよ!」
「いや、ホントなんですよ~」
謙遜して言っている風を装っていたが、俺の脳裏には、イケメンのエースFWがサッカー部全体の九割のチョコをかっ攫っていき、部室で下々の者に「再分配」したあのバレンタインの光景がリアルに浮かんでいた。
あの時に、生まれつきの勝者には勝てないことを悟った。だからこそ、俺は今、資本主義の勝者に賭ける新NISAを必死にやっているのだ。俺はこれで老後の安定を勝ちと……る?
そんな過去のトラウマに頭を巡らせていた俺だが、ふと我に返る。
待てよ。この会話、もしかして俺への好意のフラグなんじゃないか?
目をやると、桜井さんが艶やかな目と唇で、じっと俺を見つめていた。
「謙遜しないでいいんですよ……。頑張り屋さんなんですね」
ふんわりと大人の香水の香りが漂い、心臓がドキンと跳ね上がる。さらに、桜井さんは声を少しひそめて囁いた。
「今日、良ければ一緒に帰りませんか?」
「え……!?」
社畜の脳内に激震が走る。
と、その時。後ろから誰かがつかつかと、あからさまに不機嫌な足音を響かせて歩いてくる気配がした。
桜井さんは「また後でね」と意味深に微笑み、滑るように自分の席へと戻って行った。
「坂口さん……! 来ちゃったんですか!?」
振り返ると、そこには目を丸くした東雲さんが立っていた。
ショートカットの髪を少し揺らしながら、本気で心配そうな――いや、ちょっと怒っているような顔で俺を覗き込んでいる。
「おはよう、東雲さん。いや、やっぱり体調不良で休むと査定に響くし、新NISAの積立もあるからさ……。仕事は自分でやるよ」
「そんなこと言ってる場合じゃないです! 今すぐに行ってください!」
「いや、でもさ。今朝、休暇申請しようと思ってメール文を作っていたら、なんか妙に冷静になっちゃってさ。昨日のあれ、夢だったんじゃないかみたいに思えてきたから……」
「……!? その文面、ちょっと見せてくれませんか?」
「え……? ああ、まあ、いいけど……」
俺がスマホのチャッピー君の画面を差し出すと、東雲さんはその電波感あふれる怪文書をじっと睨みつけ、鋭い声で問い詰めてきた。
「これ、どうやって作りました?」
「ああ、チャッピー君に作ってもらったよ。優秀なんだけど、どうも今日は調子がおかしくてね」
「……やっぱり。坂口さん、これはチャッピー君の不具合なんかじゃありません。これ、坂口さんを整体院に行かせたくない邪な者の仕業だと思います。」
「え!? YouTubeのみならずチャッピー君まで乗っ取られたっていうこと!?」
「ええ、おそらく。でも、さすがに全世界のサービスを同時にハックすることは、いくら邪な者でも無理だと思います。……多分、坂口さんを狙って、ピンポイントで端末を遠隔操作したんじゃないかな。」
(うお、やっぱりその展開!? 現代の闇の勢力、どんだけ俺にピンポイントなんだよ!)
驚愕する俺に、東雲さんはさらに声を潜めて告げた。
「あと、やっぱり……あの人には気を付けた方がいいですよ」
「あの人って?」
「桜井さんです」
「え……、桜井さん? え~、怪しいところなんて何もないように思えるけどな~」
だって、あんなに優しくておっぱいが大きくて、さっきだって一緒に帰ろうって……。
「いやいやいや、坂口さん! 昨日おもいっきり怪しいエナドリを渡されていたじゃないですか。それ飲んだ後に落雷があって、坂口さんがおかしくなった。絶対怪しいですよ。あれはおそらく……」
東雲さんの口調が、だんだんと早口になっていく。
なんだかその必死な態度には、嫉妬の色が混じっているように聞こえる……というのは、さすがに都合のよすぎる解釈だろうか?
「とにかく、今すぐ早退申請を出してきてください!」
「い、いや俺、今は心も体も元気だし……」
「坂口さんのためなんですよ! 私は、本気で心配なんです!」
潤んだ瞳でまっすぐに見つめられ、俺の男気が限界突破した。
おお……こんなかわいい子にそこまで言われちゃあ、男を見せなきゃなんねえなあ!
(桜井さんとの楽しいアフターファイブがなくなってしまうのはめちゃくちゃ残念だけど……!)
「よし、わかった。今から上司に早退届を出してくる!」
俺は立ち上がり、首をハーランドにしたまま、早退の口実を考え始めるのだった。




