第28話「【粉砕】鋼鉄ムカデと、ガラスの濁流」
「ふふふ、あなた本当に速いわね。……でも、次は逃がさないわよ」
阿月の冷酷な声が、豪華絢爛なVIPスカイスイートルームに響き渡る。
(物体のエントロピーを操り、本来の姿を失って彷徨い出した霊魂を支配する……。壊すのも、形態を変えて飛ばすのも、拘束具にするのも自由自在……。くそっ、なんて能力だ!なんでもありじゃないかよ!)
額を伝う冷や汗を拭う余裕もない。
(……でも、本当に全ての物の魂を自在に操れるんだったら、それはもはや神に等しい存在だ。あの能力は、多分局所的にしか使えない。それなら、勝機はある!)
俺が必死に思考を巡らせていることなど気にも留めず、阿月はランウェイを歩くモデルのように優雅な足取りで、部屋の中央に鎮座するバカでかい最新鋭の天吊りプロジェクターの前へと歩み寄った。
阿月がその白い指先でプロジェクターに触れる。
ジュワワワッ……!
瞬間、数百万円は下らないであろう精密機器がドロドロと液状化するように溶け崩れ、巨大なムカデの胴体のような禍々しい異形へと変貌した。意志を持ったかのように、阿月の背後で黒い煙を噴き上げながらグネグネとうねり始める。
「なっ……!?」
「うふふふふ」
唖然とする俺に追い打ちをかけるように、阿月は部屋の壁際に敷設された太い配線コードや配電盤の電子基板へと次々に触れていく。
それらは瞬時に鋭利な節足へと形状を変え、巨大ムカデの胴体に無数に接続された。
「ギシャアァァァァッッッ!!」
フロア全体を震わせる、耳障りで気色の悪い金属質の鳴き声。
「ふふふ、行きなさい……!」
阿月の冷たい宣告と共に、巨大ムカデは床の大理石を粉砕しながら猛烈なスピードで突進してきた!
「うおぉぉぉっ!?」
ガガアアアァァァン!!!!
俺は床を転がり、間一髪でその突進をかわした!
(危ねえ…!)
壁に激突した巨大ムカデの動きは、その衝撃で一瞬止まった。
しかし、すぐに俺をロックオンし直し、グアアァァと大きな口を開けて、整然と並ぶ毒牙を見せつけて威嚇してきた。
(うわあああぁぁぁ!!! きめえええぇぇぇ!!!)
俺の実家は鹿児島で、20cmはあろうかというムカデに遭遇したこともあったが、こいつはそれと比べてもあまりに別格だ。
さらにその巨大ムカデは、蛇腹状の鋼鉄フレームをしならせ、壁面を縦横無尽に這い回り、天井へと跳躍。
真上から無数の配線コードの鋭い爪を雨あられのように突き立ててきた!
ガン! ガガガガガッ!!
絨毯が切り裂かれ、破片が激しく飛び散る。
俺はバックステップと前転を必死に繰り返し、ギリギリの紙一重で回避し続けたが、ムカデは巨大な胴体で俺の周囲にとぐろを巻き、逃げ道を完全に遮断した。
(くそっ……! デカい上に速すぎる! だが、落ち着け……!)
俺は、実家に出てきた20cm級の大ムカデを殺虫剤で退治して、「あら、拓海すごいじゃなーい」「お兄ちゃん、ありがとう!」と、母親と妹に賞賛されたあの栄光の瞬間を思い出し、集中力を極限まで高めた(※危ないので足や箒で退治しようとしないでね)。
(そうだ……、俺はイケメンではないけど、デキる男だ! 俺はもう一度、ヒーローになれる!)
高められた俺の神経が、目の前で蠢く怪物の『構造』をSEの視点で徹底的にスキャンし、捉えていく!
(どんなに奇怪な化け物の形をしていようと、元はプロジェクターと配線基板だ……! 複数のパーツを無理やり結合して動かしている以上、必ず全体の負荷を分散させている『キーストーン(主軸)』と、信号の伝達を司る『基幹ライン』があるはずだ!)
見えた――。
無数にうねる配線コードの根元、激しく青白い火花を散らしている主電源ユニットの結合部。
あそこが、無理なエントロピー操作によって一番極限の負荷がかかっている『歪みの要』だ!
ギシャァァッ!!
大顎を開き、俺の頭上から食らいつこうとムカデが垂直に落下してくる!
その刹那――俺は逃げるのをやめ、自らその顎の懐へと前へ踏み込んだ。
「ここだァッ!!」
振り下ろされる大顎の毒牙を、首を捻ってかわすと同時に、剥き出しになった主電源ユニットの結合部へ、渾身の力を込めた掌底を叩き込んだ!
「極技・基幹構造アジャストメント!!」
ドゴォォォンッ!
正確無比な打撃が、無理やり繋ぎ合わされていた金属の歪みを一撃で断ち切った。
バチバチバチッ!と激しいショート音と共に、ムカデの全身を流れていたドス黒い呪力が急速に霧散していく。
ドサリ、ゴロゴロ……!
巨大な怪物は結合を維持できなくなってバラバラに分解され、本来の姿である四角い天吊りプロジェクターと千切れたコードとなって、床へ無様に転がった。
「ハァッ、ハァッ……やったか!? 鹿児島男児なめんなよ!!」
息を呑んだのも束の間。
ザザザザザッ……ゴオオオォォォッ!!
「……なっ――!? 津波!!?」
音の方を振り返ると、部屋の奥にあった十人掛けの特注ガラステーブルが分子崩壊を起こし、鋭利なガラス片の濁流――巨大な『津波』と化して部屋全体を飲み込まんと押し寄せてきていた!
その津波からは、あの甘く焦げ付いた『魂歪湯』の禍々しい臭いが充満している。
「寿々木先生……ッ!」
俺は床に倒れていた寿々木先生の襟首を掴み、火事場の馬鹿力で抱え上げると、カンファレンスルームの扉の外へすんでのところで転がり出た!
ドッガァァァァァンッッッ!!!
背後で轟音が炸裂した。
ガラスの津波は、俺たちがいた部屋の外壁と20階の強化ガラスに大きなひびを入れ、そのまま夜の空中へと濁流となって吐き出されていった。
(ヒ、ヒエッ……! まともに喰らってたらミンチだったぞ……!!)
しかし、まだ危機は去っていなかった。
魂歪湯が入ったガラスの津波が、なおもその勢いを保ったまま、このVIP専用のフロアを満たし始めたのだ。
(くそっ……! このままじゃ、おぼれ死んでしまう!)
既に膝近くまで来ている禍々しい濁流。
パニックになりかけた俺の胸元で――カッ!と、あの純愛同人誌が再び温かいピンク色の光を放った。
美咲ちゃんの純愛オーラが、濁流と煙に巻かれたフロアを切り裂くように、一筋の光のラインを一直線に伸ばす。
その光の先には――上層へと続く非常階段の重い扉。
「あっちか……! 先生、しっかり掴まっててください!」
俺は寿々木先生を背負い直すと、迫り来るガラスの波しぶきを蹴り飛ばしながら、光のルートを猛然とダッシュした。
階段室へと飛び込み、鉄の扉を背中で力任せに閉める。
ドォォォンッ!と扉を叩く津波の衝撃音を背に受けながら、俺は階段を無我夢中に駆け上がった。
しかし――。
コツ……コツ……コツ……。
津波が満ちる下の階から、濁流の音すら悠然とかき消すように、優雅な余裕を感じさせる不気味なヒールの音が聞こえてくる。
コツ……コツ……コツ……。
「うふ、うふふふ、ふふ」
狂気をはらんだ不気味な笑みが、執拗に俺たちを追いかけてくる。
(なんて力だ…、これまでの相手とは比べ物にならない! お、俺、本当に皆を助けられるのか? てか、俺、ここを生きて出られるのか!? 東雲さん……!)
「うふふふふふふふ」




