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第25話「【調律】ゴッドハンドの診察と、冷徹なる決意」

「――ご心配なく。私の方で、お客様を『一瞬でうつ伏せ』にして差し上げますから」


 狂暴な奇声を上げ、鋭利な爪を突き出して一直線に肉薄してくるOLキョンシー。


 だが、森田美桜は眉ひとつ動かさず、ステップを踏むように上半身をわずかに翻してその突進をひらりとかわした。


 空を切ったOLキョンシーが体勢を立て直そうとする一瞬の隙。


 森田のしなやかな指先が、OLキョンシーの肩口から背中へと吸い付くように滑り、皮膚の下の緊張状態を瞬時に読み取る。


「お客様、学生時代に屋外スポーツの経験がおありではないでしょうか?」


「!? だったら何よ!?」


「ずいぶん、日焼けした跡が残ってらっしゃいますし……。それに、その時にひねった足首が今でもちゃんとは治っておりません。それが、腓骨筋群、下腿筋膜、そして深背側筋膜の連鎖的な癒着に繋がり、お客様の本来の動きを妨げています」


 森田は、YouTubeで好評を博している専門用語を交えた柔らかいトーンで、OLキョンシーに話しかける。


「何をごちゃごちゃとぉぉぉッ!!私の除死力じょしりょくをなめるんじゃないわよ!!」


 さらに激昂したOLキョンシーは、空気を切り裂くような鋭いハイキックを森田の側頭部へと放った。


 しかし、森田はそのしなやかな脚の軌道を冷静に見切り、掌で軌道を包み込むようにピタリと受け止める!


「なっ!?」


「この部分ですね、分かりますか?」


 森田の親指が、OLキョンシーの外くるぶしの奥深く、硬直した腱と筋膜の境目をミリ単位の正確さで捉え、テコの原理で絶妙な圧をかけた。


 ゴリゴリゴリッ……!


「ああぁぁぁっっっ!!?? 痛い痛い痛い!!! けっこう前の捻挫なのにいぃぃぃ!!??」


 オフィスの静寂を切り裂く悲鳴。


「筋膜癒着は放置しておけば治るというものではありません。そして、そのような足に楔が打たれた状態では、私を捉えることはできません。……では、足首から体全体の歪みをまとめて整えましょう」


 森田の瞳が怪しく光る。


「極技・三十連打筋膜リリース!」


 シュババババババッッッ!!


 目にも留まらぬ高速の手技が炸裂した。


 肩甲骨を剥がし、脊柱起立筋を撫で下ろし、骨盤の傾きを瞬時にニュートラルへと叩き込む。


「あへぇぇぇんッ!?」


「首が! 腰がぁぁぁんッ!?」


 とOLの口から奇怪な嬌声が漏れるたび、彼女の全身にまとわりついていたドス黒いオーラがボロボロと剥がれ落ちていく。


 パキッ、スパーン!


 最後の強烈な骨盤アジャストが決まった瞬間、OLキョンシーは天を仰ぎ、そのまま絵に描いたような見事なうつ伏せの姿勢でカーペットへと崩れ落ちた。


 完全に整えられ、極上の脱力感に浸りながら安らかに寝息を立て始めている。


 乱れた息を整え、森田美桜はうつ伏せに倒れた女性社員を静かに見下ろした。

 タイトスーツの袖を戻し、その秀麗な眉をわずかに寄せる。


「……このOLキョンシー、先ほどの坂口君の上司ほどではないけれど、外の大通りで鎮めたキョンシー達と比べると遥かに高い呪力を宿していた」


「肉体そのものの歪みはそこまで深刻ではなかったはずなのに、この建物の構造的な歪みが悪霊の力を異常なまでに底上げしている。このような者たちが次々と現れ始める前に、一刻も早く元凶を断たなければならないわね……」


 森田は指先についた微かな汗をスーツの裾で拭い、息を整えながら、倒れた女性社員の身体を跨ぐようにして前へ踏み出した。


(……消えた?)


 歩みを止め、ふと新宿の方角へ顔を向ける。


 張り詰めた空気の中に指先を掲げ、空間の波長を肌で探る。


 先ほどまで肌をチリチリと焼いていたあの巨大な呪力の震動が、霧が晴れるように消失していた。


「もしかして、坂口君があの巨大な呪力の持ち主を沈めた……?」


 ポツリと自分で呟いた言葉にかぶりを振る。


「――そんなバカな! 今日初めて整体に触れたばかりのズブの素人が、あれほどの呪力を単騎で制圧できるはずがないわ! 一体、何が起きたというの……!?」


 私は首を傾げ、再び薄暗い廊下を歩き出す。


 コツ、コツと鳴るヒールのリズムに合わせて、冷徹な思考を巡らせる。


(でももし、あれを退治したのが本当に彼だとしたら――)


 ぞくりと、背筋に冷たいものが走った。

 最悪の事態に思い至り、歩調が無意識にわずかに速くなる。


 もしかすると、坂口君の体内に潜む国広の霊の覚醒に引っ張られ、彼を護る康継の力が強引に表層へ引きずり出されているのかもしれない。


 整体師としての異常なまでの急速な成長は、実のところその二つの強大な霊魂が引き起こす激しい摩擦熱のようなものだ。


 一見、すさまじい成長を見せていたとしても、このままでは、坂口君の肉体の中で二大刀工の霊が正面衝突を起こして、すぐにでも彼の精神が崩壊するかもしれない。


 そして最悪の事態は……、坂口君の中で康継が国広に敗北し、国広に完全に身体を明け渡してしまうこと。


(寿々木先生の想定よりも、大分時間がないわね……)


 森田は立ち止まり、グッと拳を握り込んで指をポキポキと鳴らした。


 肌を撫でる風が、新宿方面から急速に近づいてくる禍々しいオーラを捉えている。


 国広の気配を帯びたあの坂口君の波長だ。


(このタワービルに誘い込み、阿月ともども一網打尽に消滅させる。そして、必ずやこの世の歪みを再び正しく整える……)


 けれど――。


 握りしめた自分の掌を見つめる。


 肥大化した二つの怨念を祓うには、手加減など一切許されない。


 霊魂の器である肉体の限界を超えた、容赦のない極限の物理除霊を叩き込むことになる。


 そうなった時、器である坂口君や東雲さんの肉体はどうなる……?


 ほんの一瞬、指先が強張った。


 だが、森田はすぐに息を深く吐き出し、迷いを振り払うように白衣の襟元を正した。


(私は、日本整体師協会の理事だ。常に全体を見て判断をしなくてはいけない。国広と阿月がもたらす破滅的な歪みは、ここで完全に断ち切る!)


 冷たく研ぎ澄まされた光を宿した瞳で、森田は怨念が渦巻くタワーの闇の奥へと、躊躇いなく踏み込んでいった。


(たとえその過程で、坂口君や東雲さんの身体が、不幸な事故に遭うことになったとしても――)


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