第24話「【祭壇】歪みの巨塔と、華麗なるゴッドハンド」
「こ、これは……」
タクシーの小型モニターに映し出された映像を見て、俺は思わず息を呑んだ。
画面に大写しになっているのは、目的地の37階建て高層ビル『大手町グランドセントラルタワー』。
驚くべきことに、その20階付近のフロアが、まるで巨大な手で雑巾絞りでもされたかのようにぐにゃりと外側に大きく歪んでいた。外壁には無数の亀裂が走り、フロアの床も激しくたわんでいるとアナウンサーが緊迫した声で報じている。
『――関係者によりますと、このビルは当初20階建てとして設計されていたものの、開発段階で無理やり上層階を増築した疑いが持たれており、構造計算の不正が今回の歪みの原因ではないかと見られています……』
「へっ、とんでもねえ話だよな」
バックミラー越しに、運転手が忌々しそうに煙草の匂いのする息を吐き捨てた。
「大物議員の江羅野伊太郎と、大手デベロッパーの田和万太郎っていう社長が裏でガッチリ癒着しててさ。法律の抜け穴を使って無理やり37階建てにでっち上げたって噂だ。ここいら一帯、金儲けのためにタワマンだの巨大ビルだのを乱立させすぎなんだよ。そのツケと歪みは、将来あんたたちみたいな若い世代に全部回ってくるんだ。可哀想にな。まったく、上の連中はどいつもこいつも腐った連中ばっかりだぜ」
運転手の辛辣なニュース評と君たち世代への押し付けという言葉を聞き、俺と桜井さんは顔を見合わせ、げんなりとした表情を浮かべた。
「……坂口さん」
桜井さんが声を潜めて囁いてくる。
「これ……単なる手抜き工事の物理的な歪みだけじゃなくて、政治家や企業のドロドロした腐敗の歪みまで乗っかっちゃってますよね……?」
「ああ……そうかも」
俺は重たい頭を抱えながら頷いた。
構造の無理からくる物理的な歪みと、人間の身勝手な欲望が生み出した社会的な腐敗の歪み。
その二つが最悪の形で共鳴し合い、大手町グランドセントラルタワーそのものが、悪霊の怨念を無限に増幅させる巨大な『祭壇』と化してしまっているのだろう。
タクシーが大手町へ近づくにつれ、俺の背骨の歪みセンサーがかつてない激しさで警報を鳴らし始めた。
頭蓋骨を直接金槌で叩かれているかのような、重苦しくドス黒い瘴気。
俺が冷や汗を流しながら青ざめていると、隣の桜井さんがそっと俺の手の上に、温かい自分の手を重ねてくれた。
「大丈夫です、坂口さん。坂口さんなら、どんなに大きな歪みだって絶対に正せます! 私たちのチームワークを信じて、自信を持ってください!」
真っ直ぐで澄んだ瞳に見つめられ、張り詰めていた俺の胸の緊張がフッとほどけていく。
「……ありがとう、桜井さん」
俺が小さく微笑み返した、その瞬間だった。
『――あっ! い、今、タワービルの割れた窓から何かが落下しました!! 現場のフロアにはまだ何者かが潜んでいる模様です!!』
タクシーのニュース画面が、ビルの中層階で激しく明滅する怪異の光と、そこから投げ捨てられたデスクのような影を映し出した。
間違いない……あそこに誰かがいる!
(阿月の本体か……!? くそっ、寿々木先生、森田先生、今すぐ助太刀に行きますから無事でいてくださいよ……!!)
俺はシャツの下の純愛同人誌を拳でトンと叩き、固く心に誓った。
―――
一方その頃。
異界のような不気味な静寂に包まれた、大手町グランドセントラルタワーの内部。
コツ、コツ、コツ……。
静まり返った薄暗いフロアに、凛としたヒールの足音が響いていた。
黒のタイトスーツに身を包んだ森田美桜は、艶やかな髪を指先で払うと、警戒を緩めることなく眉をひそめた。
(……間違いなく、この建物の中に阿月がいるわね)
だが、タワービル全体を満たす物理と腐敗の歪みが生み出す呪力は、想像を絶するほどに濃密だった。
あまりの磁場の狂いに空間そのものが不安定になっており、ビルへ突入した直後、寿々木先生とはぐれてしまっていたのだ。
(早く先生を見つけて、本体の阿月を整えないと……)
森田が思考を巡らせながら足を進めたその時、背後の暗闇から、わずかに漂う淀んだ空気の気配を捉えた。
「……そこに居るのは分かっているわ。出てきなさい」
森田が振り返り、冷ややかに告げた。
オフィスのパーテーションの陰から、ゆらりと姿を現したのは――直角の猫背とストレートネックで両手を前に突き出した、キョンシー姿の若い女性社員だった。
タワービルの歪んだ祭壇の力を受け、その全身からはドス黒いオーラが禍々しく立ち上っている。
「シャァァァァ……! どこを見てるのよ、いけ好かない女……!」
キョンシー化したOLは、鋭利な爪のような指先を森田に向け、憎悪に満ちた声を絞り出した。
「あの桜井とかいう女ほどじゃないけれど……! あんたも無駄に胸がデカくて、男に媚びを売ってYouTubeでガッポガッポ儲けてるんでしょう!? 気に入らないのよ、あんたみたいな女が……!!」
激しい嫉妬と怨念の言葉を森田にぶつけるキョンシー化したOL。
しかし、森田の表情はピクリとも揺るがなかった。
彼女の視線は、OLの胸元で歪んで傾いているプラスチックの社員証へと向けられる。
『総合企画部・残業管理課』
その文字を認めた瞬間、森田の艶やかな唇がフッと優雅な笑みを作った。
「……ふふっ」
「な、何がおかしいのよッ!?」
逆上して奇声を上げるキョンシーOLに対し、森田は一切動じることなく、しなやかな動作で白衣の袖をまくり上げた。
「言いたいことはそれだけかしら?」
森田は長い脚を美しく開き、指先を吸い付くように構える――極上の筋膜整体の構えだ。
「ではお客様、そこにうつ伏せになってください。……整体を始めます」
「ふ、ふざけるなァァァッ!! 誰がうつ伏せになんてなるかァッ!!」
怒り狂ったOLが、空間を切り裂くようなスピードで森田の喉元へと襲いかかってくる!
その凶刃のような爪を前にしても、森田美桜は微塵も揺らぐことなく、妖艶に微笑んでみせた。
「――ご心配なく。私の方で、お客様を『一瞬でうつ伏せ』にして差し上げますから」




