第23話「【黒幕出現】受話器の奥の黒幕と、純愛の同人誌」
俺は息を整え、スマホをスピーカーモードにしてLINE通話の応答ボタンを押した。
『……どういうわけか、新宿にあった巨大な呪力が消えた……。坂口くんが退治したのか?』
スピーカーから響く寿々木先生の声。
「はい……。でも、阿月ではありませんでした」
『そうか、大したものだ……! 阿月は憑依する肉体を次々に乗り換えながら、渋谷方面に向かっているようだ。今は代々木公園に巨大な呪力の気配を感じる。私達もそちらに行くから、坂口くんたちもそちらに急行してくれ』
今さっきの激闘を終えたばかりだというのに、また代々木公園へダッシュなのか……。
あまりのハードワークに頭がクラクラする。
――と同時に、俺の胸の奥で言葉にできない違和感が急速に膨らんでいく。
(なんか、大手町からどんどん離れていっていないか……?)
隣でスピーカーの音声を聞いていた桜井さんが、ハッと息を呑んで俺を見つめてきた。
「坂口さん……、これ……」
「え、どうしたの桜井さん?」
桜井さんはキッと眉を吊り上げると、俺のスマホの画面に向かって凛とした声をぶつけた。
「あなた、ウソをつくのはやめてください!」
『…………』
しばしの不気味な沈黙の後、スピーカーから淡々とした声が返ってくる。
『……ウソではないよ。プロの整体師である私がそう言うのだから、間違いない。さあ、早く代々木公園に行くんだ。さもないと、取り返しのつかないことに――』
「あなた、寿々木先生じゃないでしょ!!」
桜井さんは一歩も引かずに叫んだ。
「あなた誰なの!? そうやって私達を撹乱して、一体何をしようとしているの!?」
(ええっ!? 寿々木先生じゃない……!?)
俺が驚愕に目を見張る中、通話の向こうから再び沈黙が訪れた。
そして――
『はは……、ふははははは!!』
低く、ゾッとするほど艶やかな男の笑い声がスピーカーから響き渡った。
「何がおかしいの!?」
『勘の良い娘だ。坂口くん、良いパートナーに巡り合えてよかったな』
(やっぱり……寿々木先生じゃなかったのか……!)
俺は戦慄を覚えつつ、スマホに向かって怒鳴りつけた。
「お前、一体誰だ!!」
『昨日からずっと一緒に過ごしてきた相手に、『お前』は失礼なんじゃないか? 俺が折角YouTubeと『チャッピー君』を使って警告してやったのに、それを無視してあの宮司の末裔の治療院に行くとはバカな男だ』
「お前……、やはり国広か!!」
『俺を整体で封じ込めようとしても無駄だ。お前の姿勢の悪さは一時的な整体などでは治らない。すでに腰は歪み、守護霊と肉体の調和は乱れ、それが俺の怨念の力を完全なものに近づけている……。もうすぐ、お前の中にいる康継の霊魂を見つけ出し、八つ裂きにしてやれるだろう!』
(あ……っ!!)
俺は思わず腰を押さえて息を呑んだ。
バッティングセンターで課長を担ぎ上げて腰を痛めた直後、タイミングよく『寿々木先生』から新宿に行けとLINE電話が来たのは……そういうことか!
肉体の歪みが再び生じたことで、体内に潜む国広の霊が活性化し、俺のスマホの通信をハックしたのか…!
脳裏に、本物の寿々木先生の言葉がフラッシュバックする。
――『国広に体を乗っ取られたら、君は憎悪の化身となり世界に混沌を導くだろう。康継と国広が君の体内で激突し、精神が崩壊するかもしれない』。
背筋にツララを突き刺されたような恐怖が再び走る。だが、ここで呑まれるわけにはいかない。
俺は必死に心を落ち着かせ、スマホに怒声を浴びせた。
「康継の霊を八つ裂きにして、どうするつもりだ! 未練がましく何百年も逆恨みをし続けて、恥ずかしいと思わないのか!」
その言葉に対して、国広の含み笑いが漏れてくる。
「何が可笑しい!?」
『神に選ばれた人間である俺のプライドをズタズタにした罪は、万死に値する。時効などない。必ず殺す。そして、俺に屈辱を与えた江戸幕府の後継政府も、必ず壊滅させる』
電話口の国広は、『分かり切ったことを言わせるな』というような口調で淡々と言った。
「その何百年にも渡って蓄えられた、歪んだ怨念がお前の力の源ってわけか……」
あまりにも重く、ねじ曲がった執念に頭がくらくらしてくる。
『すでに準備は整っている。最近、社会が乱れて、このあたり一帯の様々な歪みが増大していた。『パープルエナジー』などという珍妙な舶来の毒物も駅前で無料配布されていたしな。怨念が憑きやすい体の歪みを抱えた手駒の確保にはちょうど良かった……』
その言葉を聞いて、俺の額から冷や汗が落ちた。
(うわ……やっぱりあのエナドリ、相当ヤバい劇物だったんじゃねえか……。今後絶対タダでも貰わないようにしよう……)
そんな劇物を飲みながら、姿勢を悪くして激務に励む社畜のカテゴリーに入る自分を客観視して、一瞬だけ虚無感が湧いてくる。
『この好機に、守護霊と肉体の調和を崩す作用のある秘薬、『魂歪湯』を康継の霊魂の気配のするオフィスビルに蔓延させた。阿月はよくやってくれた。そこの娘に憑いて男を誘惑し、片っ端から『魂歪湯』を飲ませていった。そして昨日、とうとう康継の霊魂を見つけることができた……!』
俺は、はっとした。
(そうか……! 桜井さんが昨日俺に飲ませたあのエナドリ……あれが『魂歪湯』だったのか! 俺の肉体と守護霊の康継を引き離し、その隙間に国広をねじ込むための罠だったんだ……!)
『一時はあの宮司の末裔に力を抑えられてしまったが……。それも、もう終わりだ。お前がここで油を売っている間に、阿月が宮司の末裔も、忌々しい女整体師も始末するだろう。はははははは……!!!』
「なっ……!?」
全身の血の気が一気に引いた。
俺たちを新宿や代々木へ誘導して足止めしている間に、阿月を使って大手町に残った寿々木先生と森田先生を叩き潰す算段だったのだ!
「くそっ……!!」
俺は即座に通話をブチ切った。
「桜井さん! 大手町だ! 先生たちが危ない、今すぐ戻るぞ!!」
「はいっ!!」
俺と桜井さんが院長室のドアに向かって駆け出した、その時――。
「待ちなさい、坂口くん!」
「……羽振!?」
呼び止めたのは、すっかり毒気の抜けた羽振だった。
彼はデスクの奥の金庫をガサゴソと漁ると、一冊の薄い冊子を手に持って俺たちに駆け寄ってきた。
「これを持って行き給え!」
「……は? なんだこれ……?」
手渡されたそれを見て、俺は目を疑った。
フルカラーの表紙には、萌え絵調の美少女が涙目で微笑むイラスト。
タイトルは『純愛のアルペジオ〜放課後の屋上で、君だけに捧げる歪みなき想い〜』。
「……コミケで買った同人誌……!?」
「コミケを舐めるな! 去年の夏コミで三時間並んで手に入れた壁サークルの至高のラブコメ同人誌だ!」
羽振は真顔で熱弁を振るい始めた。
「いいかい坂口くん、よく聞いてくれたまえ! このヒロイン・美咲ちゃんはね、主人公がクラスカースト最下層の陰キャだと周囲からどれほど蔑まれようと、第3話の雨のバス停のシーンで見せたあの不器用な笑顔の裏にある『魂の美しさ』を一瞬で見抜いた、文字通りの聖母なんだよ!」
「『幼馴染のツンデレ』という王道属性でありながら、昨今の安易なハーレム展開にありがちな『最初から主人公全肯定で理由もなく惚れているチョロイン』などという安直な記号化を真っ向から拒絶し、全128ページにわたって丁寧に積み上げられた感情のグラデーション! 」
「この混じり気ゼロ・純度100%の結晶化された『純愛の波動』こそが、怨念とトラウマで濁りきった悪霊の歪んだ空間を中和し、君の心臓を守る最強の概念装甲となるのだよ!!」
「……え?」
俺は驚愕した。
世間的には完全な勝ち組の金持ちで、女にも不自由していないはずの羽振がここまでオタッキーな趣味にどっぷりはまっているとは……。
いや……、でも案外そういう医者いるのか……?
「いや、言いたいことは何となく分かるけど! 今それどころじゃ――」
「いいから持って行き給え!」
羽振の異様な熱意に押し切られ、俺は「あ、ああ……分かったよ!」と冊子を受け取ると、自分のワイシャツの前ボタンを外し、胸ポケットの前に同人誌を差し込んだ。
そしてズボンのベルトをキツく締め直し、防弾チョッキのように固定する。
薄い同人誌の紙越しに、美咲ちゃんの純愛の圧が胸骨に伝わってくる。
「……よし、ジャストフィットだ」
「坂口さん、それ、本当に効果あるんですか……?」
桜井さんがなんとも言えない引き気味のジト目を向けてくる。
「よく分かんないけど……。でも、とにかく行くぞ桜井さん、大手町へ!!」
「はいっ!!」
「坂口くん」
「なんだ、羽振」
「頑張れよ……」
「ああ…、お前はきちんと患者に寄り添った医療をするんだぞ」
「言われなくとも」
俺は羽振のその言葉を聞き、少しだけ笑ってから桜井さんと一緒に院長室を飛び出し、エレベーターでビルの出口まで急行した。
「え!? 電車が止まっている!?」
新宿駅について、絶望的な事態が分かった。
駅前のここからだと、大手町グランドセントラルタワーに行くには、タクシーよりも電車の方が早いのだが……。
これも国広の仕業なのか、それとも単なる偶然か……。
数分後にようやく捕まえたタクシーに乗った。
「大手町グランドセントラルタワーまでお願いします!なるべく急いで下さい!…でも、安全運転で!」
「注文の多いお客さんだね、あいよ。…って、え?大手町グランドセントラルタワーに行くの?」
「はい!急ぎでお願いします!」
運転手は、しばし探るような目線をこちらに投げつけてきたが、やがて、はっとしたように口を開いた。
「お客さん、もしかして業者さんですか?修繕の」
「え、修繕? なんの話ですか?」
俺が訝って聞き返すと、運転手は首をひねった。
「ああ、違うのかあ。じゃあ、あそこに何しに行くの? あそこ今、大変なことになっているよ。ニュースで見ていないの? ……あ、これだ」
そう言って、運転手はタクシーに備え付けられた小型画面に映された夜のニュースを指さした。
「え!? こ、これは……」
それを見た俺は、この町の歪みの大きさに眩暈がした。




