第22話「【中ボスバトル⑦】マイケルのビートと、鏡の奥の美男子」
「お客様、これが『整魂整体』です。ご満足いただけたでしょうか?」
そう言ってお辞儀をし、ゆっくりと頭を上げた。しばらく両手を体の前で合わせたまま佇んでいた俺は、ふっとトランス状態が解けた瞬間、全身から一気に力が抜け落ちた。
「うおっ……!?」
崩れ落ちそうになった俺の体を、横から飛び込んできた桜井さんが咄嗟に抱きとめてくれた。
「坂口さん……、大丈夫ですか!?」
「ああ……、なんとかね。おろしてくれていいよ」
腕の中に伝わる、桜井さんの信じられないほど柔らかい感触。胸元が俺の二の腕にむにゅっとダイレクトに押し当てられ、脳内で『うおおラッキー!!』と歓喜の雄叫びをあげる自分がいたが、今の俺にはそれをニヤつく体力すら残っていなかった。
俺は大理石の床にどかっと腰を下ろし、ふーっと長く息を吐き出した。
桜井さんは、安らかな寝顔を浮かべたまま大理石の床に倒れてピクリとも動かない羽振を見つめ、驚きと興奮を隠せない様子で目を輝かせた。
「坂口さん……すごい!! こんな人間離れした相手に一人で勝っちゃうなんて! 天才なんじゃないですか!?」
「いや~、たまたま相性と運が良かっただけだよ。……それに、俺一人で勝ったわけじゃない。桜井さんが居てくれたから、勝てたんだよ」
「え?」
「桜井さんは、俺が最初に『歪視眼』を喰らって幻影に惑わされていた時、俺を正気に戻してくれた。桜井さんがいなければ、俺はあのまま、なすすべもなく羽振の操り人形になっていたよ……。本当にありがとう」
「そんな……、お礼なんて……。でも私、力になりたいって言って付いて来たのに、足手まといだったらどうしようと思っていたから……。そう言ってくれて嬉しいです」
桜井さんは嬉しそうに微笑み、二人の間に少しだけ静かな時間が流れた。やがて、桜井さんはもじもじと指先を弄びながら、上目遣いに俺を見つめて口を開いた。
「坂口さん……。さっき言ってたこと、本気ですか?」
「……? さっき言ってたことって?」
「……私のこと、細かい歪みも全部含めて、めちゃくちゃカワイイって言ってたじゃないですか……」
「え……!? ああ……!」
(あ、あれかーーーっ!!)
思い出して一気に顔から火が出そうになる。あれは、羽振の毒舌から桜井さんを守るために咄嗟に口から出た言葉だった。
だが……実際問題、桜井さんはめちゃくちゃ可愛いし、スタイルも抜群で巨乳だ。男として嘘偽りはない。
俺が言葉に詰まってドギマギしていると、桜井さんが真剣な眼差しでグッと距離を詰めてきた。
「坂口さん……。彼女、居るんですか?」
「え!? い、今は……居ないかな」
「東雲さんとも、何もないんですか?」
「え……、あ、まあ、今のところはね(……残念ながら!)」
「そうなんですか……。そうなんですね……!」
パッと花が咲いたような、希望に満ちた笑顔を浮かべる桜井さん。
「坂口さん……。さっきの坂口さん、とってもかっこよかったです。あの羽振が、何か救われたような安らかな顔になっていました。多分、坂口さんの力は、羽振の真逆の力なんですよ。人の善意や良心に触れながら、それを体と魂に浸透させて整える……、本当に素晴らしい力だと思います!」
言語化能力が高い桜井さんの解説を聞いて、俺自身「へぇ〜、俺の技ってそんな高尚な仕組みだったんだ」となんとなく腑に落ちてしまった。
「やっぱり、坂口さんは、誰よりも優しくて、誠実で、人の気持ちに寄り添える素敵な男性です。さっき、坂口さんに言ったこと……私は本気ですよ」
「いやいや、褒めすぎでしょ! 俺はただの姿勢の悪い激務薄給の社畜だよ? 買い被りすぎじゃない? イケメンでもないし……」
とはいえ、二十七年の人生でここまでストレートに美女からベタ褒めされたことなどない。俺の自己肯定感とテンションはオルカンの最高値を更新する勢いで爆上がりしていた。すると、桜井さんは潤んだ瞳で俺を見つめ、吐息がかかるほどの至近距離まで体を寄せてきた。
「顔がいいだけの男なんて、目じゃないわ……」
甘い香りと共に、桜井さんの艶やかな唇が、俺の唇へと重なろうと近づいてくる。
(うおおおおおっ!? ついに俺のチェリーな歴史に終止符が!?)
脳内で歓喜のファンファーレが鳴り響く!……だが、その刹那、俺の脳裏にショートカットで爽やかな東雲さんの笑顔がフラッシュバックした。
(だ、ダメだ! 東雲さんとの未来の新NISA共同生活設計(仮)はどうなるんだ!? いやでも目の前にはお色気満点の桜井さんが……!!)
理性と煩悩が臨界点で大激突した、その時だった。
「うう……」
「……ッ!?」
部屋の隅から聞こえた野太いうめき声に、俺と桜井さんはハッと我に返り、飛び退くように身体を離した。見ると、大理石の床で倒れていた羽振が、ゆっくりと上体を起こして立ち上がってくるところだった。
俺たちは咄嗟に身構え、警戒の視線を向けた。
だが、羽振は攻撃してくる様子もなく、ぼんやりと自分の手のひらを見つめながら、ポツリと呟いた。
「……子供の頃、マイケル・ジャクソンをよく聞いていた……」
「……?」
「……はい?」
俺と桜井さんは顔を見合わせた。急にどうしたんだ。
「壁の薄いボロアパートだったから、少しでも音を大きくすると隣から苦情が来たがね。そのことで母親に酷く怒られたりもしたよ。……でも、当時の僕にはどうしても必要なことだった。恵まれない幼少期を過ごしたマイケルと、心を共有できているような気がしたから……」
「羽振……」
「……君の言う通りだ、坂口くん。僕自身の魂が救われていなかったから、僕は他人を踏みつけてのし上がることしか考えられなかった。小さな歪みに付け込まれて奪われてきたから、今度は僕自身が『人を救う』などと嘯きながら、無辜の若い女性を搾取する悪徳に堕ちていったのさ……」
「……そうだな」
「でも、今は本当にすっきりしている。こんなに穏やかな気持ちになれたのは、何年ぶりだろう。心のモヤが、全部綺麗に晴れたような気がしているよ」
羽振の顔を見ると、先ほどまでのギラついた成金特有の嫌らしさは完全に消え去り、澄んだ瞳の誠実な青年の顔つきへと変わっていた。
「君の『整魂整体』を受けた時、一瞬……僕が医学部に合格したことを泣いて喜んで、お寿司をごちそうしてくれた母親の笑顔が浮かんできたんだ。母はそのすぐ後、長年の無理がたたって亡くなってしまったが……あれは、僕の人生の中で一番美しい瞬間だった……」
羽振は遠い目をしながら、優しく微笑んだ。
「どんなに辛い思いをして生きてきた人間の人生にも、美しい瞬間はある。たった一瞬かもしれないが、人はそれを糧にして生きていけるんだ。……どうやっているのかは分からないが、君の『整魂整体』は、患者に寄り添い、その一番美しい記憶にアプローチして体と心を調律する手技なんだろうね」
そこまで言うと、羽振はふっと憑き物が落ちたように笑った。
「坂口くん……」
「なんだ?」
「ありがとう……」
「……なんだよ、まったく」
柄にもなく照れくさくなった俺は、頭をかきながら桜井さんを促し、部屋を出ようと踵を返した。すると、背後から再び羽振の声が飛んできた。
「坂口くん」
「今度は何だよ」
振り返ると、羽振は先ほどとは打って変わって、神妙な面持ちを浮かべていた。
「気を付けろよ……。このあたり一帯の歪みの影響は、急速に拡大している。昨日、僕の夢の中に着物を着た男が出てきてね、『いい素材だ、力を分けてやる』と言ってきたんだ。そして今朝起きてみると、自分でも驚くような眼力が備わっていた」
「え……。てことは、お前の『歪視眼』とかって、今日使えるようになった能力なのか!?」
「ああ、実はそうなんだ。元々人並外れて観察眼は鋭かったし、顔の小さな歪みにも敏感だったが……それが今朝、とてつもない勢いで増幅されて、さっきのような超常の力になったのさ」
昨日……!?
昨日と言えば、俺が桜井さん(に憑いた阿月)から怪しげなエナドリを飲まされ、落雷と共にキョンシー化して暴走した日だ!
「僕が洗面台の前で自分の変化に呆然としていると、鏡の前に夢の中の男がぼんやりと浮かんできてね。『その力で、ヤスツグの霊魂を制圧せよ。そうすれば、お前は更なる富と名誉を手に入れるだろう……』と告げてきたんだ」
羽振は眉間を押さえながら続けた。
「わけが分からなかったが、その力のおかげで今日は高額プランが飛ぶように売れた。だから僕は、言われるがままヤスツグとやらの霊魂を制圧しようと決めたのさ。そこに、坂口くんが現れたってわけだ。君がこのビルの前に来た瞬間から、なぜか直感で分かったよ。『ヤスツグ』の霊魂が来たとね」
ヤスツグ……康継のことか!
俺はごくりと生唾を飲み込み、羽振に問い詰めた。
「羽振、お前の夢に出てきて力を与えたその男……どんな見た目をしていた!?」
「先ほども言ったように、着物を着た男だった。恐ろしく整った美しい顔をしていてね……。目鼻立ちは彫刻のように深く、輪郭は計算し尽くされた黄金比だった。美容外科医の僕ですら思わず見とれてしまうほどの美男子だったよ。あれほど完璧な骨格と造形の顔を、僕は今まで生きてきて一度も見たことがない」
「ま、まさか……」
俺の背筋に、ツララを差し込まれたような強烈な悪寒が走った。
容姿端麗、康継への異常な執着――。
(国広……!?)
その戦慄の瞬間――。
『ピロリロリーン、ピロリロリーン♪』
静まり返った豪華絢爛な院長室に、けたたましいスマホの着信音が響き渡った。ポケットから取り出した画面に表示されていたのは
――【寿々木先生】
不気味な青白い光を放ちながら震えるスマホを前に、俺と桜井さんは息を呑んで立ち尽くした。




