第19話「【中ボスバトル④】鏡像の絶望と、歪みの深層」
「お客様……そのままうつ伏せになっていてください」
「……!?」
「――整体の時間です」
俺は、冷徹なプロの目で床に這いつくばる羽振を見下ろした。
羽振は膝をついたまま床に深く頭を垂れたままだ。
(あれ……今の俺のパンチ、本当にそんなに効いたのかな……)
俺が拍子抜けして首を傾げた、その時だった。
「ククク……フハハハハ!!」
肩を小刻みに揺らし、羽振が不気味に笑い始めた。
「ははは!! 今のでもう僕に勝ったつもりとは、笑わせる!! そんな詰めの甘いことだから、君の作るコードはいつもバグだらけなんだよ!!」
「なにいっ!!? くそっ、知ったような口を!(……ちょっと当たっているけど!)」
「思い知るがいい……僕の能力の真の恐ろしさを!」
そう言うと、羽振はギラついた眼光で再び俺を睨みつけてきた。
本当に、吸い寄せられそうになる人間離れした恐ろしい眼力だ。
この眼力で、何人もの無辜の若い女性を食い物にしてきたんだろう。
俺はとっさに目を固く閉じた。
(目を合わせなきゃ『歪視眼』は効かない……! 集中しろ、呼吸を整えろ……。プロの整体師みたいに、奴の発するどす黒い歪みのオーラだけで位置を感知するんだ……!)
気配を頼りに間合いを詰め、渾身のアジャストを叩き込もうと踏み込んだ、その瞬間――。
「ふふふ、不完全ながらも目を閉じて僕を捉えようとするとは、すさまじいまでの集中力だ。……だがね」
羽振が両腕を交差させ、指を鋭く弾いた。
『ギィィィィィン……ッ!!』
空気そのものが軋むような、奇妙な高周波の音波が室内に吹き荒れる。
「!!? ……う、うあぁぁぁぁぁっ!!!」
突如、腰に落雷が落ちたような激痛が走り、俺はその場にもだえ苦しんだ。
「坂口さん!!」
「僕の能力が『歪視眼』だけだと思ったかい? 僕の能力の神髄は、相手の体や心のわずかな歪みを脳内で極限まで増幅させて支配すること……。なにも『眼』だけに頼る必要はないのさ」
「ううう……ぐ、ぐぬぬ……っ!」
激痛で膝から崩れ落ち、脂汗が床にポタポタと落ちる。
「腰が痛くて動けないだろう? さっき、君の周辺の空間を揺さぶって君の神経にダイレクトに訴え、腰の歪みを脳に直接分からせてやった……」
不気味な薄ら笑いを浮かべる羽振が、俺を見下ろしながら一歩踏み出してくる。
「まさに『魔女の一撃』を味わった気分だろう? でも安心したまえ、本当に君の腰がそこまで歪んでいるわけではない。……だが、どうも君には他にも体の歪みがいくつかあるみたいだね。今は治っているみたいだけど、首や肩はかなりひどいね?」
「……くっ!!」
「その歪みが君の脳内で極限まで増幅された時、君の脳がその痛みとストレスに耐えきれるかどうか……僕には保証しかねるよ。覚悟を決めることだね……!」
羽振が再び両腕を交差させ、怪しい音波の構えを取る。
「くらえ! 『歪聴波』!!」
だめだ! これが直撃すれば、間違いなく脳がショック死する……!
俺が絶望の息をのんだその時――。
「坂口さん!!」
「桜井さん、ダメだ!!」
桜井さんが横から跳び込んできた。俺は激痛を耐えて横に転がり、なんとか音波の直撃を回避したものの――その波動は桜井さんを直撃した。
『ギィィィンッ!』
「きゃあぁぁぁぁっ!!」
「桜井さん!!」
床に倒れ込んだ桜井さんは、足を抱えて泣き叫び始めた。
「うううっ……! 足が……足が痛い!! パンプスを履いて、ちょっとできただけの外反母趾が……すごく痛いよぉぉぉ……っ!!」
あまりの痛みにボロボロと涙を流し、全身を激しく震わせる桜井さん。
普段は姿勢が良く、ヒールでも颯爽と歩いていた彼女のあまりの変貌に、俺は一瞬言葉を失って呆然としてしまった。
「おやおや、可愛いお嬢さんに当たってしまったか。まったく、若い女性を犠牲にして君だけ避けるなんて、程度の低い男だな」
「……テメェ……ッ!!」
怒りで頭が真っ赤に染まった。
腰の激痛を気合で無理やり抑え込み、俺はリスクを承知でバッと目を開けた。
正面から羽振を見定め、弾丸のように突っ込む!
「ははは!! 飛んで火にいる夏の虫だな!! 喰らえ、『歪視眼』!!」
襲い来る羽振の視線をすんでのところで回避し、距離を詰める。
「……ふふ」
「!?」
ところが、羽振は全く動じることなく、ゆらあぁぁ……と、体を揺らしながら横に移動した。
俺が、羽振が移動した先を目線で捉え直すまでの一瞬の間。
その零コンマ一秒ほどの間に、不気味な光を見た。その直後――、
ぐらああああぁぁぁ……と体がよろめいた。
(なんだ、今の光……。う、気持ち悪い…。立っていられない……)
今さっき網膜が捉えた得体の知れない刺激が、激しい眩暈を引き起こしているようだった。
それでもなんとか吐き気を抑えて膝に力を込め、真正面を見据える。
その刹那、気が付いた――。
「鏡……!?」
先ほどまで羽振が俺を待ち構えていた場所。その場所のちょうど後ろに、羽振が正面に立つと全て隠れるくらいの大きさの鏡が埋め込まれていた。
(これは、まさか……!?)
体中の産毛が逆立って警報を鳴らす。
直後、俺は、首を動かさずに周囲を見渡した。
(なっ……!!)
豪華絢爛な施術室の壁や柱、至る所に埋め込まれた「鏡」。
視界を覆い尽くすのは、壁や柱の鏡に幾重にも乱反射した『歪視眼』の怪光。
幾筋もの鋭い光線が、まるで部屋全体に張り巡らされた目に見えない蜘蛛の巣のように、空間を縦横無尽に交差している。
羽振の放った瞳の光が鏡に無数に反射し、全方位から俺の網膜を刺し穿った。
「ぐ……あぁぁぁっっ!?」
すさまじい眩暈と吐き気が脳を直接揺さぶる。
現実の視界はもちろん、直感でハッキリと捉えていた羽振の「歪みのオーラ」までもが、ノイズだらけになってぼやけていく。
(くそ……集中しろ……! 諦めるな……っ!!)
グラグラと激しく揺れる足元を踏みしめ、俺は必死に羽振りの姿を追いかけようと前へ踏み出した。
だが――足が、動かない。
一歩踏み出そうとするたび、その光の網が網膜を焼き、平衡感覚をズタズタに引き裂いていく。右へ向かっているのか、左へ倒れかけているのかすら分からない。歯を喰いしばり、必死に羽振りの気配を探ろうとしたが、網膜から脳へ直接流れてくる強烈な目眩と吐き気が、俺の全身の筋肉を硬直させていく。
「ククク……終わりだ!!」
「はっ……!?」
目にも止まらぬ速さで近づいてきた羽振に、正面から両肩を強く掴まれた。
羽振がぐいと顔を近づけ、至近距離から俺の目を覗き込んでくる。
その目を見ていると、強烈な催眠術を浴びたように、現実と虚構の境界線が完全に瓦解していった。
(あ……ダメだ……精神が……溶ける……)
「思い知ったか、富と名誉を兼ね備えた医者である僕の力を!! 君などとは積み重ねてきたものが違うのだよ!! ……そして、犠牲にしてきたものの量もね!! ははははは!!!」
勝利を確信した羽振の高笑いが、耳の中でぐわんぐわんと響いてくる。
脳が焼き切れ、意識が暗黒の泥沼へと沈んでいく。
(あーー……。これ、助からんわ……。ごめん、皆。ごめん、東雲さん
……)
『――お母さん……そんなこと言わないで……』
(……え……?)
『――僕……頑張ったんだよ……』
絶望のノイズの渦中から、ふと「わずかな違和感」が俺の意識に引っかかった。
これは……激しい憎悪や欲望じゃない。
どこまでも深く、冷たい……悲しみと絶望?
(……もしかして……これは……羽振の心の奥底にある記憶……なのか……?)




