第16話「【中ボスバトル①】眉唾(まゆつば)の誘い」
社畜(俺)の魂の叫びと、乙女(桜井さん)の鳴き声がこだまする夜のバッティングセンター…。
向こうに目をやると、課長が硬球の山の側でぶっ倒れている。
バッティングセンターの床は冷たかろう……。面倒くさいが、放置しておくわけにはいかない。
「くっ、重い……!」
俺は呻き声を上げながら、腰をねじるようにして完全に白目を剥いて伸びている課長を担ぎ上げた。
……その時――
「うおっっっ!!!??」
ピキッッッ!!!っと、腰に電気が走ったような痛みを感じた。
(う……、痛たたたた……。ちょっと捻ったかな……)
『ピロリロリーン、ピロリロリーン♪』
俺の腰の痛みに呼応するように、スマホのLINE着信音が甲高く響いた。画面を見ると、差出人は「寿々木先生」だ。
「あ、寿々木先生! 今どこですか!?」
『坂口くんか、緊急事態だ!』
スピーカー越しに聞こえる寿々木先生の声は、いつになく切迫していた。
『阿月の霊は既に大手町グラントラスイートタワービルから移動している。ここは、もぬけの殻だ! 阿月の念は新宿方面に行ったようだ! おそらく、駅前の『眉唾美容外科』だろう。そこから強い呪力を感じる! 私たちもそこに向かうから、坂口くんもそちらに急行してくれ!』
「えっ!? 新宿の美容外科……!?」
電話を切った俺は、首を傾げた。
自分は整体や霊感に関してはズブの素人だ。
だが……なぜか体の奥底のセンサーのようなものが、「大手町方面にこそ、どす黒くて巨大な歪みがある」と猛烈に警鐘を鳴らしている気がする。
(なんだか……ちょっとおかしいな……?)
妙な違和感が胸をかすめる。しかし、プロである寿々木先生がそう言っているのだ。
「……承知しました! 新宿駅前の『眉唾美容外科』に向かいます!」
俺がそう言うと、通話は切れた。
「さ、桜井さん……立てますか? 一緒に行きましょう」
「う、うん……」
めそめそと涙を拭う桜井さんを促し、俺はよろよろとバッティングセンターを後にした。
大通りに出て急いでタクシーを呼び止めると、後部座席に気を失った課長を放り込む。
「運転手さん! この人、泥酔……じゃなくて急病なんです! 近くの救急病院までお願いします! 俺たちはちょっと事情があって一緒に行けないので……!」
俺は財布から一万円札を取り出し、運転手に押し付けた。
(課長……すみません、俺は行かなきゃいけないんです。……お大事に……ッ!)
胸をギュッと締め付けられる思いで、領収書も受け取らずにタクシーを見送る。
もちろん自腹だ。
社畜の財布から一万円が飛んでいく痛みに耐えながら、俺はすぐに来たもう一台のタクシーのドアを開けた。
一人で乗り込もうとしたその時――、
「私も……連れて行って」
桜井さんが俺の袖をキュッと掴んだ。
「……ダメだよ、桜井さん。本当に危険だし、疲れているでしょう。桜井さんはもう今日は家に帰った方がいい。……今はこんな状況だから送ってあげられないけど、タクシー代は俺が出すから」
「そうじゃないの!」
桜井さんは俺の手を強く握り返した。
「新宿駅前の『眉唾美容外科』……SNSですごく人気だけど、詐欺まがいの商法をしているって噂もあるの。それに……私の中にいた阿月は、ずっと自分を否定していて、苦しそうだった。大切な人に振り向いてもらえずに、ありのままの自分を認めてあげられないその苦しみ……私、すごく理解できたの」
「桜井さん……」
「あの美容外科は、美しくなりたいって悩む女の子たちを食い物にしているのかもしれない。私の中にいた阿月はいなくなったけど……阿月の怨念を完全に消すために、私、助けになれると思う。ずっと阿月の霊の声を近くで聞いていたから……」
「町全体が歪んで、何かに憑かれたみたいに皆がおかしくなっている今の状況は、阿月の心を助けてあげなければ解決しない……。そんな気がするの!」
桜井さんの瞳には、まっすぐで強い光が宿っていた。
その真剣なまなざしに押された俺は、ゴクリと息を呑んだ。
(……分かった。いざとなったら、俺が絶対に桜井さんを守る……!)
「……乗ってください、桜井さん!」
―――
タクシーが新宿駅前に近づくにつれ、俺の感覚がバチバチと嫌な音を立て始めた。
(な、なんだこのどす黒い歪みは……!? 空気が重い……!)
「お客さん、着きましたよ」
タクシーの運転手がぶっきらぼうに告げる。
「……はい、ありがとうございました」
動揺する心を抑えて、桜井さんと一緒にタクシーを降りる俺。
「ここか……」
目の前のビルを見上げた。見るからに築年数が浅い、オシャレな雰囲気のビルだ。
ここから、こんなにどす黒い歪みを感じるなんて、なんて皮肉だろう。
(まあ、社会なんてそんなもんかもな……)
なんて思いつつ、俺は桜井さんと一緒にそのビルの入り口に近づいた。
「『眉唾美容外科』は……、と。ここの八階みたいだな」
俺が案内板を確認したその時――再びスマホが鳴った。
画面には、またしても「寿々木整体院」と表示されていた。
「寿々木先生! 今どこですか!?」
『……もう、『眉唾美容外科』に着いたようだね……』
「はい、着きました……!! (え……、てか、なんで着いたって分かったんだ……?)」
俺が首をかしげると、電話の向こうから寿々木先生の淡々とした声が聞こえる。
『今、私たちは渋滞に遭ってしまい、そちらに着くにはしばらくかかる。坂口くんだけでなんとかしてほしい。……まあ、せいぜい頑張ってくれ。ふふふ……!!』
「え……? 先生……? 今、笑い……」
ツー……、ツー……。
一方的に電話は切れた。しばらく呆然と画面を見つめる俺。
「坂口さん……、今の寿々木先生からですか? 何て言っていました?」
桜井さんが不安そうに俺の顔を覗き込んでくる。
「え……、あ、なんでもないよ。着くまでもうちょっとかかるって言ってたかな……」
俺は、冷静を装って桜井さんと一緒にビルの中に入った。
エントランスを抜けてエレベーターに乗り、八階を押す。
八階について再びエレベーターの扉が開いた時、俺はぎょっとした。
『眉唾美容外科』の入り口前は、如何にも成金が好きそうな豪華絢爛な作りになっていた。
照明は、ヨーロッパの貴族の邸宅を思わせるようなステンドグラスで、床は全て大理石を使っているようだ。よく分からない動物の彫像の口からは、噴水が流れている。
「相当儲かっているみたいですね……」
桜井さんがポツリと呟いたその時、
『ギィィィ……』
真正面の重厚なガラス扉が、まるで手招きするように勝手に開いた。
「坂口様と、お連れ様ですね。……お待ちしておりましたわ」
奥から姿を現したのは、スリットの入った黒いドレスに身を包んだ、とんでもないスタイル抜群の超絶美女店員だった。
艶やかな黒髪をかき揚げ、妖艶な微笑みを俺に向ける。
「えっ!? お、お待ちしていた……!? ……どういうこと……??」
俺の頭はパニックを起こしかけた――が。
(う、うおぉぉぉ……!! めちゃくちゃ美人……!! スタイルやば……!!)
目の前の美人のインパクトと鼻腔をくすぐる甘い香りに、俺の脳内に満ちていた「腰が痛い」とか、「どす黒い歪みの嫌な予感」は、きれいさっぱり空の彼方へ消し飛んでしまうのだった。
「ふふふ……、どうぞこちらへ」




