第13話「【死闘】ぎっくり腰課長(強敵)と、バッティングセンターの罠」
「ハァァァァッ!!」
シュババババババッッッ!!!!
夜の大通り。黒のタイトスーツを躍動させた森田先生の指先が、流れるような美しさで空間を切り裂く。
一撃ごとに艶やかな残像が走り、襲いかかってきたキョンシー社畜たちが「ふあぁぁ……ん」と恍惚の表情を浮かべてバタバタと路上に沈んでいく。
「ふッ……! 『一子相伝・片手骨格アライメント』!!」
それに負けじと、寿々木先生も負傷していない左手一本でキョンシーたちの首骨を完璧に矯正し、次々と無力化していった。
(す……すげぇ……!!)
自分に襲いかかってくる数体を施術して身を守るのが精一杯だった俺は、あらかたの大群をなぎ倒し、静かに立ち尽くす二人の姿を見て息をのんだ。
(特に森田先生の動き……! 骨格の捉え方、筋膜へのアプローチの軌道にまったくズレがない……! 完璧すぎるシステム構築を見せられているみたいだ……!)
「さすがは森田先生だ。腕を上げられたな」
「いいえ、まだまだ未熟者ですわ、寿々木先生。……こうしてYouTubeで筋膜整体の認知を広めつつ、協会の仕事をする日々ですもの」
「協会……?」
俺がポカンとしていると、先生が少し誇らしげに教えてくれた。
「坂口くん、森田先生はただの人気動画配信者ではないぞ。若干三十歳の若さにして、全国数万人の整体師を束ねる『日本整体師協会』の理事を務める、業界の頂点に立つお方だ」
(三十歳で日本整体師協会の理事!!?? 凄すぎるだろゴッドハンド!! スペックの渋滞かよ!!)
俺が内心で激しくツッコミを入れていると、森田先生はふっと表情を曇らせ、艶やかな唇をキュッと結んだ。
「お褒めいただくのは光栄ですが……まだ終わっていませんわ」
「……あぁ」
「あちらの方角から、極めて強い呪力を感じます。ここで静めた者たちとは比べ物にならないほどの……」
森田先生が視線を向けたのは、タワービルから少し離れた雑居ビル街だった。
「……あぁ、一筋縄ではいかないようだな。坂口くん、ついてこれるか?」
(いや……この無敵のゴッドハンド二人組が揃ってる流れで『俺はここで待ってます』なんて言えるわけないでしょ……!?)
「い、行きます……っ!!」
腹を括った俺は、二人の背中を追いかけて走り出した。
「……ここね」
「あぁ……すさまじい呪力を感じる。よほどの歪みが生じたようだな」
二人が足を止めたのは、看板のネオンが一部消えかけた古い雑居ビルの前だった。
視線の先にあったのは――『四谷バッティングセンター』の文字。
「バッティングセンターね……」
森田先生がポツリと声を漏らす。
「呪力の放出形態は、それに捉われた人間の気質や記憶、趣向なんかに左右されるものだけど…。この呪力の持ち主は、野球に対する強い愛着がある可能性があるわね」
俺は、森田先生の解説に「ほえー、そうなんか」と感心する一方で、『野球に対する強い愛着』という言葉にひっかかりを覚えた。
(なんか、身近にそういう人間が居たような……)
ビルに入り、カタカタと不気味な音を立てるエレベーターで四階へ上がる。扉が開くと、そこは薄暗く電気が消されたバッティングセンターだった。人っ子一人おらず、静まり返っている。
「……いるぞ」
「ええ、そうですね……」
「気をつけろ、どこかに潜んでいる……」
(ええー!? 誰もいないように見えるけど!? 暗闇のバッティングセンターとか怖すぎるから勘弁してよ、もう!)
俺は冷や汗を流しながら、周囲に目を凝らした。
……ん?
(あれ……? あの天井の左隅あたり……なんかちょっと空間が歪んでないか……?)
「……!!! 寿々木先生、森田先生! あそこです!!」
「!!!」
俺が指差した瞬間――ビューンッッ!! ガガガガガッ!!
「くっ……! こいつはすさまじい歪みだな……!」
天井の闇から、バッティングマシンから撃ち出されたような硬球の山が、マシンガン並みの速度で俺たちに向かって飛来した!
「あ、あぁぁぁっ!?」
物陰に飛び込み、球をやり過ごす。
天井の配管にしがみつくように潜んでいたその影の顔が見えた瞬間、俺は目を剥いた。
(か……課長ぉぉぉぉぉッッッ!?)
そこにいたのは、見事な音を立ててぎっくり腰になり、早退したはずの我が上司だった。
(ぎっくり腰になったのに、無理してバッティングセンターなんかに来るから悪霊に憑依されるんだよ! 野球好きもほどほどにしとけよもう!!)
「腰にすさまじい歪みを抱えているようだ! こいつは手強いぞ!」
「シャアァァァッ!」
課長(憑依バージョン)は、バッティングセンター内の古くなって中心がブレた硬球を次々と掴むと、投球フォームもへったくれもない手振りでマシンガン並みに投げつけてくる!
「くっ……!?」
すさまじい速度で飛来する硬球の山。先生と森田先生は体を捻ってなんとか回避し、そのまま一気に間合いを詰めようと踏み込んだ。
「そこだ!!」
先生の必殺の左手が課長の首骨を捉えかける——が……。
「ヒヒッ……! 根性が足りない!」
見事な音を立ててぎっくり腰になったはずの課長が、人間離れした爆速の動きでバックステップを決め、天井の配管へと軽々と跳び上がった。
「くっ、すばしっこい……!」
配管の上にへばりついた課長は、不気味にニタリと笑うと、再び足元に転がっていた硬球を掴んで猛烈な連投攻撃を繰り出してくる。
ドガガガガガッッ!!
「坂口くん、伏せろ!」
「ひえぇぇぇッ!?」
打席の防球ネットを盾にして球をやり過ごし、隙を見て森田先生がしなやかな跳躍で課長の頭上へと躍り出た。上空からの華麗な筋膜アライメント——!
だが、課長は壁を蹴って空中を三角飛びし、間一髪でその手技を回避。着地すると同時に、すぐさま足元の硬球を掴んで投球姿勢に入る。
課長の圧倒的な機動力と止まらない投球の雨に、先生たちはジリジリと後退を余儀なくされ、気づけばバッティングセンターの壁際へと追い詰められていた。
「く! 強い……!」
冷や汗を流す俺の横で、課長はニヤリと口角を上げた。天井の鉄骨を強く蹴りつけ、壁際に追い詰めた俺たちに向かって、空中で反転しながら鋭い急降球を繰り出そうと跳びかかる。
「……ふふ、かかったわね」
暗闇の中で、森田先生が長い髪を揺らしながら、ふっと美しく立ち止まった。
汗に濡れたうなじに指先を添え、艶やかに口角を上げる。
「——チェックメイトね」
「なに……!?」
空中から猛スピードで急降下し、課長が勢いよく着地したその足元。
そこは、森田先生と寿々木先生が攻撃を躱しながらジリジリと後退するフリをして、ヒールのかかとで密かに転がし、一箇所に集めておいた『大量の歪んだ硬球の山』の上だった。
「ぬがっ!?」
足裏に伝わるゴロゴロとした不規則な球体の感触。
着地の衝撃を逃がす間もなく、課長の両足は見事にボールの山に乗って滑り、豪快にすてーんと宙を舞った。そのままバッティング打席のコンクリート床へと、盛大な音を立てて背中から叩きつけられる。
「ぐわぁぁぁぁッッ!?」
「そこまでだ!」
すかさず寿々木先生が左手を突き出し、課長の腰の激しい歪みを一気に矯正しようと踏み込もうとした、その時――。
「坂口さんっっ!!」
バッティングセンターの入口のドアが開き、悲鳴のような声が響き渡った。
そこに立っていたのは、息を切らせた桜井さんだった!
「な……桜井さん!? なんでここに!?」
先生も俺も、思わず全員の気が逸れた――その一瞬の隙を、憑依された課長は見逃さなかった。
「ヒヒッ……!」
床を蹴って跳ね起きた課長は、入り口にいた桜井さんの背後に一瞬で回り込むと、その豊かな首元にガシッと腕を回し、完全に人質にとる体勢に入ったのだ!
「きゃあぁぁぁぁっ!?」
「桜井さんっ!!」
ぎっくり腰の激痛を呪力で麻痺させた課長は、桜井さんを盾にしながらヒヒヒと不気味に笑っている。
(ど、どうするんだよこれ……!? 相手はぎっくり腰の怪物で、しかも桜井さんが人質だぞ!? 下手に手を出したら桜井さんの首骨が砕けちゃうんじゃ……!?)
冷や汗を滝のように流し、完全にパニックに陥っておろおろと右往左往する俺。
しかし、森田先生は、落ち着き払って人質をとる課長と怯える桜井さんをじっと見つめると、艶やかな髪をふわりとなびかせた。
「……なるほどね」
フッと不敵な笑みを浮かべ、意味深な言葉を小さく漏らした。




