肥前化け猫騒動・2
互いに養生テープで作られた円の中に在りながら相対する猫又と一同。
そして猫が低く喉を鳴らす声が聞こえたかと思うと、辺りの風景が一変する。
互いに円の中に囲われた畳の上に乗ったまま、壁も襖も天井すら消えてしまった。
現在の時刻は夜8時を回っていたはずだが、周囲は明るい午後の光に包まれ、大勢の具足姿の男達が刀槍を手に戦う只中へと放り出されていた。
「なんだ!?これは!?一体どういう事だ!?」
「何この人達!?刀振り回してる!?危ない!」
「これが幻なんですか!?あなた!美緒!」
山鼡家の人々は周囲にいきなり現れた戦闘中の集団に驚愕し混乱する。
「皆さん!これは幻です!信じてはいけません!猫の見せる幻想です!!」
「合戦の最中の光景を見せつけられているようだね、一体何故?」
義経の叫びに政光の冷静な疑問が重なる、この二人はこの光景を全く現実のものだとは信じてはいなかった。今、対峙している『猫』が見せている幻想なのだと。
二人の冷静さに落ち着きを取り戻しつつある山鼡家一行は、義経に言われた通りに
『これは幻なんだ、4DXの映画みたいなものなのだ。』とわが身に言い聞かせる。
やがて周囲に異変が生じ始める。前方から雄叫びと共にこちらへ突き進んでくる集団が見えたかと思うや、周りの兵士たちが一人また一人と後方へ逃げ出したのだ。
残された兵が山鼡家一行を守るように敵集団と戦っていたが、次々に討たれていき遂には敵兵に囲まれてしまった。敵集団の将と思しき身なりの男が叫ぶ
『龍造寺隆信殿とお見受けいたす、いざお覚悟を!』
そう言い放つや手に持った槍を円の内側の隆興へと一気に突き出した。
「!?」「パパ!?」「あなた!?」
隆興は思わず槍に貫かれた自分の胸を押さえた、しかし痛みは感じず自分のモノではない鮮血が槍を繰り出した男へと飛び散り、周囲を赤く染めた。
「ま・・・幻だ!幻想なんだ!その証拠に痛みは・・・無い!」
自分に言い聞かせるように隆興は痛みを感じない事を宣言する。確かに槍で貫かれたと見えた隆興が何ともないと言い切る姿に、妻と娘は安堵する。
「龍造寺隆信・・・ってことは『沖田畷の戦い』の記憶か?」
「その様ですね、大軍の将が戦場で打ち取られた極めて珍しい戦いです。」
「沖田畷の戦い」、戦国時代の末期に肥前の覇者「龍造寺隆信」が率いる3万の兵が、島津、有馬の8千の兵に敗れて龍造寺家衰退の原因となった戦いの事である。
五州二島の主と呼ばれた龍造寺隆信が討ち死にした結果、それまで龍造寺に従っていた国人衆たちが次々と島津に寝返り、隆信の跡を継いだ嫡男政家は島津の圧に耐えきれず、遂に島津に下ってしまう。しかし龍造寺隆信の義弟でもあった鍋島直茂は政家を後見しつつ豊臣秀吉に誼を通じ、秀吉の九州平定に協力し龍造寺家を守った。
秀吉は龍造寺に肥前7郡30万9902石を安堵したが、国政は龍造寺政家に代わり鍋島直茂に任せる事とし、以降鍋島と龍造寺の力関係が逆転して行く事になる。
その後も猫の見せる幻影は時と場所を変え、龍造寺の関係した戦場へと送り込まれ、隆興はその戦場で槍に貫かれ、または太刀で切り伏せられ多くの討ち死にの追体験を強制的にさせられる事となった。その度に隆興は『幻想なのだ!』と己に言い聞かせていたが、幾度も殺される体験を重ね精神力と体力も限界を迎えつつあった。
「パパ!大丈夫!?」
「あなた!お気を確かに!?」
見る見るすり減る神経を痛感しつつも、この仕打ちが我が身のみに留まっている事実が隆興にとっての唯一の救いであった。この幻が眼前で我が愛娘に対して行われていたらと思うだけで心が張り裂けそうになっただろう。
「・・・大丈夫だ・・・幻なんだ、疲れは感じるが痛みは無い・・・。」
かなり消耗してはいるが、愛する家族、我が娘の為だと思えば何という事は無い。
『どうだ、化け猫め・・・私は決して屈しないぞ・・・。』
その想いが伝わったのか、それまで戦場が主だった幻の雰囲気と場所が変化した。
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場面が切り替わるとそこは戦いや死とは無縁の小さな家の中だった。
「なんだ・・・ここは?」
「今度は家の中?」
「何が始まるの?」
場所の変化に山鼡一家が戸惑っているなか、義経が気づいた。
「・・・誰か来ますね。」
「殺気はないようだね?誰だろう?」
政光が言い終わらぬうちに粗末な引き戸が開いて一人の少女が現れた。
小袖を纏った身形からすると農民ではない、身分は低いながらも武士の娘の様だ。
年のころは14~5歳か、誰もがはっとするほど美しい容姿の持ち主だった。
手にした桶から鉄瓶に水を汲み、囲炉裏に掛けて湯を沸かす準備をしているようだ。囲炉裏の横には子猫と思しき小さな三毛猫が丸くなって寝ていた。
やがて湯が沸く頃に引き戸が開き、元服するかしないか位の一人の少年が現れた。
「藤八郎様、ようこそいらせられませ。」
「お絹、息災であったか。」
藤八郎と呼ばれた少年はこの小さな小屋に不釣り合いなほどの身なりをしていた。
かなり身分の高い武士の家の子の様に見える、彼は囲炉裏の傍の敷物の上に座ると、お絹と呼ばれた少女は鉄瓶に沸いた湯を冷まし、その白湯を湯呑に注ぎ、少年へと差し出した。
「申し訳ありません、このような物しかお出しできずに・・・。」
「よい、私はお絹に会えればそれだけで十分なのだから・」
少年は湯呑を受け取るとその温かさを確かめる様に掌で包み、白湯を一口飲んで満足そうに頷いた。二人の身分は天と地の程の差があっても恋仲の様であった。
「・・・藤八郎・・・?龍造寺高房の通称か?」
義経は大学付属図書館で調べた内容を思い出し、眼前の少年の名を口にした。
肥前の熊『龍造寺隆信』の直系の孫であり、病弱の父政家に代わってわずか5歳で家督を継いだ「龍造寺高房」その人であった。
その時、囲炉裏の傍で丸くなっていた三毛猫が目を開け、義経を見つめた。




