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特定非営利活動法人 アマツキツネ 「ルナティックハウンド」  作者: 涼城 鈴那
肥前化け猫騒動

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鍋島化け猫騒動


二人が乗ったレンタカーはこの町に最初に来た時に訪れた公園に再び到着し、前回と同じ駐車スペースへ車を停めた。


目的の大学付属図書館はこのすぐ横にあり、図書館のすぐ隣には小学校があり、北側に高校、さらに通りを挟んで中学校、と学校が固まっている。また市立図書館もここから数分の場所にあり、この町の未成年が人生の大部分を過ごす地域でもある。


元々この周辺は佐賀藩の支藩の中心地であり、図書館横には藩邸、陣屋跡地まである場所であり、当時のこの辺りは武家屋敷が並ぶ城下町だったのだ。


江戸時代から藩主の館である陣屋を見下ろす位置にある烏森からすもり稲荷神社は藩政の時代から現在に至るまで人々に依って特別に敬われてきた歴史が在るのだ。

義経と政光は車を降りると神社に向かって黙礼してから図書館へ向かった。


大学付属図書館は学外者利用申込書に必要事項を記入すれば部外者でも利用が出来る。義経と政光は手続きを済ませ、「鍋島騒動」「鍋島化け猫騒動」の関連資料を手分けして調べる事にした。


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2代藩主鍋島光茂(1657〜1700)の時代、囲碁の名人と名高い盲目の龍造寺又七郎は藩主光茂に城中に招かれ囲碁の相手をしていた。元々龍造寺氏は鍋島氏の主家にあたるが、戦国末期に龍造寺隆信が討ち死にした事で実権が隆信の義弟、鍋島直茂へと移り龍造寺氏は没落してしまっていた。


又七郎も家臣として光茂に仕えていたが、又七郎に連敗を続ける光茂が激高した事で斬り殺されてしまう。又七郎の年老いた母は息子の死を知り、飼い猫に恨みを聞かせたのちに自殺し、老母の流した血を舐めとった猫が化け猫と化す。


化け猫は場内に忍び込み、光茂の愛妾お豊の方を喰い殺し、お豊の方に化けて夜な夜な光茂を苦しめた。主君の危機に、伊藤惣太・小森半左衛門はお豊の方が化け猫である事を見破り退治して化け猫騒動は幕を引いた。


・・・以上が良く知られる「鍋島化け猫騒動」の話の筋だ。これはもちろん創作であるが、化け猫騒動の元となった史実の出来事がある。


────────────────────


沖田畷の戦いで討ち死にした龍造寺隆信の後を継いだ嫡男、龍造寺政家が病弱だった事で、龍造寺家の存続を図る為、実権は義弟の鍋島直茂へと移る。

九州を平定した豊臣秀吉により政家は隠居させられ、息子の幼い高房へ所領安堵の朱印状が与えられたが、同時に鍋島直茂にも所領安堵の朱印状が与えられた為、高房は名目上の国主となってしまう。


秀吉の死後に天下を取った徳川家康も鍋島直茂の肥前支配を追認していた為、成人して鍋島直茂の孫娘を妻として娶っていた高房は絶望し、妻を道連れに自殺を図るが失敗し一人生き残る。


孫娘を理不尽に殺された直茂は不快感を示し、高房の父政家に書状をしたため糾弾すると、高房はそのまま精神を病み再度自殺を図り、その時の傷が原因で死去する。

元来病弱だった父の政家は息子の死と直茂からの糾弾が堪えたのか、後を追うように病死して龍造寺の嫡流は途絶える事となった。


その後、無念の死を迎えた高房の霊が白装束で馬に乗り、佐賀城下を駆け回る姿が目撃されたと伝えられ、高房の怨念に依り鍋島家が祟られているのだと噂された。


元和4年(1618年)6月3日に81歳の鍋島直茂は耳に腫瘍ができ、激痛に苦しみ抜いて亡くなった為、これは高房の亡霊の仕業に依るものであると噂された。


・・・高房の亡霊の行は事実ではないだろうが、龍造寺の末裔の恨みによって鍋島に因果応報があったとされたのが、化け猫騒動の元となったようだ。


ここまでは地元民以外にもよく知られた話でもあるので、義経は他に何か今回の騒動と結び付くような事実が無いかを調べていた。そして資料を読み漁っていくと、とある人物に行きついた。


「龍造寺伯庵」・・・龍造寺高房の実子であるとする人物が、高房の死後に佐賀藩に名乗り出ていたのであった。


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高房が亡くなったのが21歳の頃であり、高房自身が実子の存在を認知していなかったが、生前に身分の低い家の女に手を付けた結果の実子で未だ幼い幼児であった。


母親の身分の低さからその存在は極一部の側近の間で隠された事実であったが、嫡男である事は間違いがない為、龍造寺の嫡流が途絶えてしまう事を危惧した側近たちに担がれ、訴え出てきたと言う事らしかった。


永い月日を掛けて龍造寺から鍋島へと権力の移行が済み、肥前がようやく安定してきていた所での龍造寺の嫡流の復活に、鍋島直茂は頭を痛めた。名目上は肥前の国主の嫡流であるため粗略に扱うことが出来ず、父の墓前を弔う為として男子を出家させて

「伯庵」を名乗らせた。


藩の監視下に置かれていた伯庵は成長すると、龍造寺の復権を目指し出奔して還俗し、龍造寺伯庵を名乗り時の将軍徳川家光に対し再三訴え出るのだった。

幕府が伯庵の訴えを聞き入れる事は無かったが、復興を訴え続ける伯庵に対し鍋島家から説得の為に家臣が使者として遣わされる事となった。


その使者は多久安順たく やすとし、龍造寺隆信の甥であり、鍋島直茂の次女を妻として娶っており鍋島家の親族として扱われている重臣でもあった。


『庶子である伯庵に龍造寺を継ぐ資格は無い、在るならば自分の方が正統である。』と、母親の身分の低さを理由に説得に当たる安順は更に続ける。

『その自分が鍋島の支配の正統性を認めているのだ。龍造寺の復権など訴えるな。』

との、安順の言葉に更に頑なになった伯庵は訴えを諦める事は無かった。


この結果、訴えを続ける伯庵の処置に困った幕府は、伯庵の身柄を会津藩に預ける事とし、伯庵の子孫は会津龍造寺家として会津藩士として幕末まで続く事となった。


────────────────────


「龍造寺・・・伯庵・・・か。」


母親の身分の低さから嫡流と認められなかった龍造寺隆信の末裔。母親は自分の身分の低さを悲しく思い、我が身を呪ったのではないか。其の所為で我が子が嫡流と認められず苦しみ続けているのだ。その無念さは又七郎の老母にも繋がるだろう。


「・・・うん、ここら辺りに手掛かりが在りそうだな。」

義経は開いていた資料を閉じ前かがみになっていた姿勢を正し、大きく伸びをした。

それを見ていた政光が義経の表情に気付き問いかけた。


「なにか良い材用が見つかったみたいだね?」

「ええ。これで猫の幽霊の説明も上手く行きそうです。」

義経は机の上に並べた資料を書架に戻すために立ち上がる。


「これで準備は整いました、あとは化け猫をどうやって倒すかですね。」

『明日、全てを終わらせます。』義経はそう言うとスマホを取り出し隆興に連絡しようとしたが、図書館内だった事に気付きスマホをポケットに戻した。



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