小さな『ありがとう』
一旦囚人の方は、ほっといてもいいだろう。
問題なのは、被害者の方だ。
心に負った大きな傷、少し回復をしていたかもしれない。
だが、否が応でも思い出さないといけない。傷口に塩を塗る行為だ。
コンコン
医務室の扉をノックする音が聞こえた。
「失礼します。応接室でレオン辺境伯がお待ちしております」
「わかった。向かうよ」
イツキはノアと2人で向かう。
イツキは、応接室の扉の前で止まり、心を落ち着かせるように大きく深呼吸をしてから入った。
「失礼します」
入ると、中では3人の10代前半くらいの少女達とその保護者が座っていた。
誰一人として、こちらに目を向けようとしなかった。
1人の母親がイツキの前にでて手を大きく振り顔を叩いた
バチン
という痛々しい音が応接室に鳴り響く。
ノアが思わず1歩前に出る。
だがイツキは手で制した。
「なんで……なんで、あんなクズを助けたのですか」
イツキは、反論しなかった。
反論できなかった。
あそこまで、クズという言葉が当てはまる男はいない。
「この子がどれだけ辛い思いをしたのか分かってるの」
イツキは視線を落とした。
「夜になるたびにうなされて、男の人を見るだけで震えるようになったのよ」
ずっと何も言わずに座っていた2人の母親の1人が
「マリアさん、もういいでしょう。この人は、何も悪くない」
「悪いわよ。あんな男を生かしたんだから。エレナだって許せないでしょう」
「当たり前じゃない!でも、今は子供に移ったかもしれない病気について聞きましょう」
「た...確かにそうね」
イツキは少し時間を空けてから話す。
「まず、安心してください。感染していても僕が必ず治します」
イツキは強く言い切った。
「皆さん自分の娘の腕やお腹の辺りを見てくれませんか」
母親達は、不安そうな表情で娘の腕や腹部を確認し始めた。
「もし、そこに赤い花のような発疹があったら教えてください」
「あ……ある。あ……赤い発疹が……」
マリアは言う。その声は震えていた。
だが、これは怒りの震えではなく我が子を愛するからこその心配の震えだ。
「わ...私の子にもあ……あるわ」
娘を抱きしめながら言うのはエレナだ。
ドタ
膝から崩れる音がした。
「……アンナさん」
エマが駆け寄る。
「わ……私の子にも……」
これで、3人全員が梅毒に感染していることになる。
だが、ここでひとつ問題がある。
男性不信症になっている子供たちの治療は僕とノアは、できない。
「エマ、この子達3人の治療を任せてもいいか」
エマ1人に治療を任せるのは、初めてだ。
「わかった」
たかが1単語だ。でも、その中に詰まっている重みは、大きい。
イツキは親たちに薬の説明をした。
「今から投薬するのは、ペニシリンと言う薬です」
母親達は互いに聞いたことがないと言わんばかりに顔を見合わせる。
「これには、副作用があります。副作用と言っても治る過程で必要なプロセスですが」
梅毒に打った時だけこの反応は強く出る。
「投与した後、数時間以内に急な発熱、頭痛、寒気などを起こします」
つまり、インフルエンザみたいな症状が出ると言うことだ。
エマは、深呼吸をしてから
1人診察室に呼んだ。
エマにとってはこれが1人で行う初めての治療だ。
まず、初めに入ってきたのは、マリアとその娘のリリアだ。
リリアは、昔は元気いっぱいでクラスの中心にいるような子だったらしい。
でも、今はその面影すら感じることの出来ない。
魂の抜け落ちた抜け殻のようだった。
体は痩せており、異性が少し横を通るだけでも拒絶反応が起こる。
心の底から男に恐怖している。
「リリアちゃん腕を見せて貰ってもいい?」
優しくエマは聞く。
「うん」と小さく頷く。
エマが手を触れようとすると、リリアはビクッと触れられるのを恐怖するような動きをした。
「大丈夫、お姉さんはリリアちゃんの味方だから」
怖がらせないように優しく。
だが、眼はリリアをまっすぐ見つめていた。信じてとリリアに言うように
腕をめくりエマは確認する。
そこには、しっかりと赤い花のような発疹があった。
「マリアさんしっかりとリリアちゃんの手を握っていて下さいね」
エマはリリアを怖がらせないように、ゆっくりと注射を打った。
「よく頑張ったね」
エマは優しく微笑む。
「……ありがとう」
かすれるような小さな声だった。
「マリアさん、隣の部屋にベットがあるのでそこで今日1日は安静に寝させてあげてください」
マリアに手を引かれながら部屋を出て行く。
小さな「ありがとう」は、エマが初めて行った治療の何よりの報酬だった。




