秋
屯所を出て少し行った通りに桜羅がいた。
声をかけようとしたとき、刺すような日差しに目が灼かれ、蹌踉く足がたたらを踏む。
桜羅が悲鳴を飲み込んで素早く差し出した手を、沖田は思いの外強く払っていた。
「失礼、ただの目眩です」
身体は弱っていくのに、自尊心だけは夏の入道雲のように肥大化する。
桜羅は吹き飛ばすように笑ってくれた。
「暑いですものね。私も先ほどからふらつきます」
言いながら彼女は、沖田の座る分を空けて自ら近くの木台ヘ腰掛けた。
沖田は躊躇したが、じきに拳二個分を空けて腰を下ろした。
「……桜羅さんは、変わりない?」
「ええ、総司さんは?」
二人の関係は、名前で呼び合うくらいには進展していた。
――桜羅の父親が、娘の縁談を進めている
そんな話を噂好きの京雀たちから聞いた。
娘の幸せを思えば当然だ。
あの父親が権力に弱い男だとしても、彼は大店の主人だ。
冷静になれば、いつ死ぬかもわからない資産も身分も持たない男と、一人娘を深い仲にするはずもない。
桜羅はそれについて何も言ってこない。
恐らく今日も話しには上らないだろう。
そして、沖田も問い詰めるようなことはしない。その権利もない。
こうしているだけで、十分すぎるほどだ――
「――総司さん? そろそろお戻りになりますか?」
「ああ、もうそんなに経ったのか」
ぼんやりしていた沖田の顔を、桜羅は眉を寄せて覗き込む。
「夏は、身体に熱がこもるそうですが、冷やし過ぎもいけないと聞きました……」
紫の風呂敷が解ける。
彼女は、竹筒を沖田へ手渡した。
「西瓜を潰しています。ぬるいかもしれませんが……喉が潤えばと思いまして。それから……」
彼女は煎じ茶や生姜の皮を乾燥させて粉にしたものなどを次々取り出す。
中には町では滅多にお目にかからないような貴重な品もある。
彼女は一通り使い方や効能を説明して、そっと大事にふろしきに包み直した。
「お口に合わなければ捨ててくださってかまいませんから」
「桜羅さんが心を砕いて用意してくれたものなんですから、すべてありがたくいただきますよ」
こんなに良くしてくれるのは、単なる親切心でないことはもうわかっている。
なのに「桜羅は労咳で死んだ想い人を自分に重ねているだけ」、「彼女には自分より相応しい人がいる」と尤もらしい言い訳を隠れ蓑に、彼女へなんの真心も尽くしていない。
受け取ったふろしきの結び目をぐっと固く直した。
「桜羅さん、夏が終わる前にまた川へでも行きましょう。祇園で祭もある」
彼女は目をきらきらさせた。
「まあ、祇園のお祭なんて、子どものとき以来です!」
その瞳には既に屋台の数々や揺れる提灯が映っているのだろう。
指を胸の前で組み合わせる姿は、まるで夢心地の乙女だ。
沖田の耳にも、囃子が届いた気がした。
散々刀を振るってきた自分が、柄にもなく祭を楽しみにしているのだと気づく。
「桜羅さんに、救われていますよ」
沖田の穏やかな微笑みに、桜羅は「私もです」と返して口を閉じた。
しばらくして、
「そのときに、お話したいことがあります」
「ええ、では祭りのときに――」
何の話かは見当がついたから、頷いて立ち上がった。
――しかし、約束は叶わなかった
夏祭りの時期はとうに過ぎた。
桜羅へは、文で約束を反故にしたことを詫びた。
「忙しいのでしばらく逢えない」と理由付けしたのに、彼女の丁寧な返事の最後には「お大事になさってください」とあった。
「総司、もう巡邏も稽古も出なくていい……」
枕元に座る土方は、もう沖田を直視しなくなっていた。
浮き出た鎖骨に痩けた頬は、旧知の土方でなくても、気まずそうに顔を見合わせるほど人相が変わった。
「とうとうお払い箱という訳ですか」
「なにも戦力外に扱ってるわけじゃねえ。
京で一戦あるかもしれない。
そうなりゃお前なしで乗り切れないだろう?だから今のうち、気を蓄えておけというだけだ」
「ふふ、随分喋るんですね。今日の土方さんは」
土方はぐっと詰まったように喉を鳴らし、ただ顔を背けた。
沖田は小さく息を吸った。
縁側では、一枚また一枚と染まり葉が落ちていく。
あの葉は自分の意思で枝から離れているのだろうか。
それとも樹本体の生存本能に依って切り離されているのか。
どちらにせよ、葉が落ちるのは木に体力を蓄え厳しい冬を越すためだ。
続く春を、夏を――そして巡る季節をまた生きていくために。
「もう、隠しきれないな……」
弱々しい声は、乾いた空に吸い込まれていった。




