夏
一週間後。
沖田は桜羅との約束の場所にいた。
「ここか……」
見上げたのは、立派な店構えの茶屋だった。
普段なら、こんなところへ立ち入らない。
「ごめんください」
という前に、店のものが顔を出した。
「沖田様ですね。お連れ様、きてはりますえ」
女中の後に続き、廊下を縫って部屋へ向かう。
個室がいくつもあり、まるで料亭だ。
女中はひとつの部屋の前で立ち止まり膝を折る。
「香里様、お連れ様がいらっしゃいました」
「どうぞ」
柔らかな声が聞こえ、襖が開かれる。
桜羅は手前に凛と背筋を伸ばして正座をしている。沖田が入ると、小さく会釈をした。
「良かった、いらっしゃらないかと思いましたわ」
「あれだけ強引に決められてはね。来ないわけには行きませんよ」
笑いながら向かい同士で腰を下ろした。
「に、しても立派な店ですね」
視線をぐるりと巡らせる。
床の間もあり、掛け軸や季節の花、高そうな壺も飾ってある。
桜羅は首をかしげる。
「新選組の皆さまはいつもどのようなところへ?」
「決起や祝宴はそれなりの場所でしますがね。甘味を食べるだけでこんなところへは来ませんよ。何があるんですか?」
「お抹茶と、お団子もありますわ」
「では、それを」
沖田と逢うのも三度目ともなると慣れてきたのか、
はたまた太助と同じ病ということで沖田へ親近感を持ったのか、
今日の桜羅は表情がくつろいでいる。
「ところで香里さん、今日は付き添いの方はいらっしゃらないんですね」
桜羅は品書きをぱたんと閉じた。
「近くで待たせています。ここは馴染みの店ですし、もう逃げたりしないという約束で」
そして片手を口元へ持っていき"ここだけの話"という仕草をした。
「彼女は、私に付いて歩くのにうんざりしているんです」
それを聞いて沖田はくくっと喉が鳴った。
桜羅の「奥ゆかしいお嬢様」の顔は本物だが、一方で「お転婆」であることも疑いようがなかった。
先日女中を巻くために走ったが、
肺を病んで衰えたとはいえ、沖田の脚力にに桜羅は付いてきたのだから。
「悪いお嬢様ですね」
からかうように言えば、
「まあ……そんなことは……」
桜羅は顔を伏せてしまった。
唇を結び、心なし目尻が赤い。
「冗談ですよ」
どうもこの顔に弱い。
すこしくらいムキになってくれたほうがからかいがいがあるのだが、素直な反応をされると悪いことをしたなという気になる。
「お待たせいたしました」
間もなく届いた団子は、沖田が思っていたのと様子が違った。
まず、串が通っていない。
真っ白なつるつるの姿で、三つ離れて並んでいて、
つぶのないこしたあんこがちょっぴりだけ隅に添えられている。
そしてそれだけなのに、随分大げさな皿に余白を持って乗せられていた。
しげしげと団子を見つめる沖田。
桜羅は心配そうな顔をした。
「すみません、お口に合わないかも……」
沖田は一つ口に入れた。
「うん、美味い」
「よかった……! こちらもいかがですか?」
彼女は嬉しそうに、新緑を模した鮮やかな練り切りを促した。
「もう甘味は結構です……香里さんを見ていると、なんだか胸がいっぱいで」
実を言えばこれは、沖田にとっては精一杯のこまし文句だった。
しかし桜羅は、途端に表情を曇らせた。
「食欲がありませんか? お身体の具合が?」
沖田は苦笑する。
「医者へは行きましたよ。薬を飲んで養生しろと言われました」
桜羅はこくこくと頷く。
「新選組のお仕事はお忙しいのでしょう?」
「まあね。怖い鬼がいますから」
「上役の方ですか?」
「ええ、それはそれは……」
と、言いかけてやめた。
怖がらせることはないと。
なんだか彼女には、このまま世間から離れたままでいてほしかった。
最後に桜の塩漬けが出た。
沖田は外の桜の木を見遣った。
「桜の花ももう終わりですね」
花は散り、枝は若葉に入れ替わっている。
「来年もまた咲きますわ」
「来年か……ぜひ見たいものです」
本心だった。
来年も桜は咲く。
そして、それを自分も見る。
その時隣にいるのは――
「沖田さん、またお逢いできますか?」
「え?」
頭の中の桜吹雪の情景から引き戻された沖田は、目を丸くして桜羅を見た。
「っ……お身体の状況を、続けて聞かせていただきたいですし、
それに、滅多に私を外へ出さない父が、沖田さんと一緒だと言うと許可を出すのです」
桜羅は矢継ぎ早に言い切った。
沖田は片眉を上げる。
「ほう、沖田総司を用心棒にしようと言うのですか? 性悪お嬢様どころか、名うての悪代官ですね」
彼女の反応を見て、また言い過ぎたなと茶をすすった。
「いいでしょう引き受けますよ。どこへ行きたいのですか?」
彼女の顔は桜色を通り越してりんご飴のようになっていた。
まつ毛を踊らせ、
「……沖田さんと一緒でしたらどこでも」
小さな声でそう言った。
不覚にも、沖田の胸に熱いものが込み上げる。
「では、何処か考えておきます」
桜の塩気が喉に染みた。
◇
町の診療所にて。
「どうした風の吹き回しです」
医者は、また約束を破るとばかり思っていた沖田の来訪に驚いていた。
「これからは、病に向き合ってみようかなと思いまして」
沖田は真向かいの小さな椅子に腰掛けそう言った。
医者は、肋が浮き始めた胸に当てていた手を下げ、何度も深く頷く。
「いいことです。労咳には、なによりも気持ちが大切なのですよ」
「他に打つ手はありませんしねえ」
医者は閉口した。
沖田の言う通りだ。
労咳は安静にして、気休め程度の煎じ薬を飲むくらいしかやることはない。
しわがれた手が沖田の胸に再び触れる。
「熱がありますか。夏は暑さで体力が奪われる。汗をかくようなことは控えて、くれぐれも無理をしないよう」
無理をしないというのが無理に思えたが、沖田は特段言い返すでもなく医者の顔を見た。
この医者はこんな顔をしていただろうか。
数回は通ったくせに今更思った。
医者の長く生きた目には、上からたるんだ皮膚が被さっている。笑うと皺が目尻に刻まれる。
病で落ちくぼんだまぶたを隠すように手を遣って「また来ます」と立ち上がる。
待っていますよ、という声を、少し薄くなった背に受けた。
◇
今は慶応三年の夏。
じりじりと肌が焦げそうな盛夏の中、京都の町を歩いて帰る。
医者の言う通り、夏は労咳病みには辛いものがあった。
歩いてすぐの西本願寺の屯所に戻るだけで息が切れる。
たびたび足を止め、肩を上下させた。
京都へ来た頃はこんなふうではなかった。
町を飛び回り、駆けても跳ねても問題なかった。
誰よりも先に起き、日が沈むまで剣をとることに没頭し、疲れを感じたとして、眠ればすぐ元通りだった。
そのことを疑いもしなかった。ただの一欠片も。
そのとき、地べたにいた蝉が突然飛び上がり、近くの木にぶつかり跳ね返った。
日を跳ね返す白い砂池に吸い込まれるように落ちた蝉は、今度こそぴくりとも動かなくなった。
沖田は先程まで蝉であったものを足元に見下げた。
「暑いな」
太鼓楼の門をくぐると、広大な阿弥陀堂を背負った土方が、仁王のごとく睨みを効かせていた。
「なんだって帰るなりそんな顔をされるんです」
「とぼけるな。どこへ行ってた」
「医者ですよ」
「へ?」
土方は拍子抜けした声を出す。
沖田は肩をすくめた。
「みんな揃ってなんですか。医者へ行けというから行けば『どうしたことだ』と言うんですから」
「それは、無理もないだろう。今までてこでも動かねえって顔してたんだからな。なにかあったのか?」
うーん、と唸って沖田は俯く。
「少しばかり、欲が出たんですよ」
「ほう?」
「来年の春までは生きていたいなと」
土方はぎょっとした。
「……ちゃんと医者へ通え。無理をしなければ、それくらいの欲は通るもんだ」
「そうですか?」
「ああ、違いねぇ。姉貴だって何回も年を越した。気力が大事だ」
土方の目は沖田を静かに映している。
かつての頼り甲斐ある一番組頭の姿を、今の沖田に重ねているのだろうか。
「それに――この先、どう転ぶか分からねぇ時勢だ。倒れてる暇はねえ」
沖田は頷いた。
京の町には、行き場のない噂がゆらゆらと漂っていた。
幕府方の威も、いつまで持つか分からぬ――そんな声さえ、ひそやかに混じっている。
いつまで生きられるか。
それとは別に、この京の町で護りたいものを護れるのか。
護りたいものは歳を重ねるごとに増えるはずが、沖田の場合は減っていく。
最期を思えば、余計な荷物を増やしたとてあの世へ持っていくことはできないからだ。
新選組の誠、近藤への忠義。
そこまで絞って、後は引っ剥がして道々へ放ってきた。
なのに――
あの蝉の声がどこかでした。
それは、沖田の言い知れぬ焦燥感を猛烈に煽った。




