迫りくる、凍る熱気
「す、すげえ……本物だ……」
『これは……!期待以上じゃ……!』
目の前の光景に、華輪と共に息を呑む。
外に跳ねた虎のような金と黒の短髪。
整った顔立ちに、細身ながらもしっかりした身体。
鹿角鈴音。
十九歳でプロデビューして、広報の一環で配信活動などもしているレーサーだ。
よくSNSで話題になるから、俺も見たことはある。
隣にあるのは、彼女が実際に乗っているレーシングカーと同じ車種だ。
カラーリングは違うが、ぱっと見は本物と全く同じカスタムが施されている。
「八重原暁人です。よろしくお願いします」
『──紫蜘蛛よ』
「いぶちゃんから話は聞いてます。よろしくね!」
一人ずつ、鹿角さんに挨拶をしていく。
彼女は笑顔で全員と握手をしていった。人慣れしているというか、自然と相手を安心させる笑顔だった。
「まずは、協力してくれてありがとう。鈴音」
「いぶちゃんの頼みだもん、やるやる!」
いぶきさんが鹿角さんと握手を交わす。
「酒街さん、どんな人脈してるんですか……?」
「偶然ですよ。鈴音は中高と一緒の学校でしたから」
火那森先輩が呆然とした様子で呟いたが、いぶきさんは相変わらずのマイペースだった。
『──その変な模様はなに?見てると目が回りそう』
「ああ、これ?これはカモフラージュだよ。シルエットがボヤけるから、ある程度車種とか誤魔化せるの」
「協力するとは言ったけど、見つかったら免許取消しどころか逮捕されるから、保険としてね」
鹿角さんの車には、モザイクのような複雑な模様がびっしりと描かれていた。
ガラスにも薄くスモークが張られていて、中が見えにくくなっている。
いぶきさんが興味津々に車を眺める俺と華輪の肩を軽く叩き、口を開いた。
「では、作戦をお話しますわ。といっても、かなり大雑把なものにはなりますが」
「まず、氷焃が現れるまで鈴音にはこの辺りを走ってもらいます。私、八重原さま、火那森さまのチームで、華輪さまが憑依したワンボックスで後ろから鈴音を追います」
『えー!ワシもあっち乗りたいー!』
『アンタが憑かないと追いつけないでしょ!』
「あはは。無事に終わったら乗せてあげるから、少しだけ我慢してくれる?」
駄々をこねる華輪を白來が抱き上げた。
鹿角さんも頭を軽く撫でて宥めていた。
「氷焃が現れたら競争開始です。氷焃の速度が落ちるまで、ここと先のジャンクションを往復してもらいます」
『随分長い距離走るねぇ。しかも一般車もいる中でやるなんて、かなりの集中力が必要じゃない?』
「そこは心配なく。これでもプロですから。速度差と車間距離さえ読み間違えなければ問題ありません」
狐火の懸念にも、鹿角さんは力こぶを作って自信たっぷりに答えた。頼もしいことこの上ない。
「氷焃の速度が落ちたところで、八重原さまと紫蜘蛛さまの糸で拘束して、私と火那森さまで凍った炎の処理をします」
「耐久レースかぁ。なるべく早めに負けを認めてくれると、こっちとしても助かるんだけどなぁ」
「……というか、鹿角さん」
ごく自然に馴染んでいるが、一つ違和感を覚えた。
「鹿角さんは、怪異の存在を信じてるんですか?今さらですけど」
「え?信じるも何も、墨香ちゃんと白來ちゃんとも友達だし、正体も知ってるもの」
「今日競う相手が馬骨っていう怪異なのも、事前にいぶちゃんから聞いてるよ。その上で私は請けたの」
「馬骨の詳しい動機は分からないけど、速さを求めて走るのは私と同じ。だから、競ってみたい。それだけ」
ヘルメットのバイザーに映る自分の顔を見ながら、独り言のように鹿角さんが呟くと、意を決したようにヘルメットを被った。
「それじゃ、始めよっか!日が昇る前に決着つけないと、色々まずいでしょ!」
『うむ!善は急げじゃ!早いとこ奴を解放してやらんとな!』
華輪がワンボックスに憑依すると、先日見た真っ赤な魔改造車に変身した。同じ車から発せられているとは思えない爆音が、駐車場に鳴り響く。
「俺と紫蜘蛛は屋根に乗ります。屋根に張り付いてれば振り落とされないし、何かあればすぐ助けに行ける」
「では、私と火那森さまはいつでも外に出られるように扉の近くに。加古川さまは──」
いぶきさんが加古川さんに目線を向けると、視線を逸らして頭を軽く掻いた。
「僕はここで待っているよ。何かあった時の連絡係も必要だろう?車内に札を貼っておいたから、それが反応を示したら僕が電話して文奈に飛んできてもらうよ」
『あ、その感じは半分ウソっしょ。ホントは華輪の運転で酔うからじゃない?』
『白來。そう言わないの。それに、加古川様の言うことも一理あります。全滅は避けないと』
苦笑いする加古川さんを尻目に、いぶきさんと火那森先輩が相棒を纏って車に乗り込む。
俺も紫蜘蛛を纏おうとして──
「……っ」
『──また……』
纏うのに、ほんの少し時間がかかった。
まるで反発する磁石のように、身体が紫蜘蛛を拒む。それでも、意識すればすぐに馴染むが。
「二人とも、大丈夫?」
「はい。問題ないです」
《──戦闘に影響はないわ。安心して》
嘘ではない。
戦える。動ける。
だが──やはり、以前とは何かが変わっていた。
真紅のワンボックスの屋根に飛び乗り、手足で張り付く。
いぶきさんと火那森先輩も乗り込むと、獣の咆哮のような排気音が鳴り響いた。
「鈴音、聞こえる?出るわよ」
《オッケー!じゃ、先行くね!》
ゆっくりと鹿角さんの車が駐車場を出る。
その後ろを、俺たちが乗るワンボックスが追いかける。
合流車線に入った途端、前を走る鹿角さんの車が一気に加速した。
《それじゃ、ついてきて!》
《おお!流石の加速じゃ!燃えてきたぞ!》
「うおお!?待て待て安全運転で頼む!」
追って加速したワンボックスが大きく揺れて、危うく振り落とされそうになった。
手足に力を込めて、身体を車体に押し付ける。
強烈な風圧が何度も身体を叩いてきた。
《──すごい速さね》
「向こうはともかく、こっちも負けず劣らずだな。どう見てもこんな速度出なさそうなのに」
いぶきさんの言っていたジャンクションまでは、思いの外早く着いた。
Uターンしてパーキングの近くまで戻り、再びジャンクションに向けて走り始めた頃、身体を打ちつける風に変化が起きた。
「……っ!風が熱くなってきた!」
《──いえ、冷たくもなってる》
軽く屋根を叩いて、車内の皆に警戒を促した直後。
背後から嘶きが轟いた。
視界が熱気で歪む。
次の瞬間には、真っ白な冷気で覆われていく。
反射的に音の方向を振り向くと。
「……こいつが」
《──氷焃》
馬の骨格を覆うように広がる、氷に閉じ込められた炎。
額には、揺らめく凍った炎が一本のツノのように聳えている。
踏みしめた道路には、燃える霜の足跡。
瞬きの間に俺たちのワンボックスを追い抜き、そのまま鹿角さんの車に並びかける。
「いぶきさん!鹿角さん!」
「鈴音、氷焃が出たわ。行ける?」
《まっかせて!》
鹿角さんの車と氷焃が、隣り合う車線に並んだ。
氷焃の嘶きと鹿角さんの車の咆哮は、ほぼ同時だった。
《さあ、行くよ!》
白い冷気はさらなる熱気でかき消され、最速を求める怪異と人が、さらに加速していった。




