常識破りの馬の骨
「そろそろ、いきますか……!」
少しずつアクセルを踏んでいく。
既に百キロ前後で飛ばしていたが、そこからさらに加速する。
メーターはすぐに百二十キロを超え、日常からかけ離れていく。
並走する氷焃は、ピッタリと横に並び続けていた。その走りは、まるでこちらを値踏みするかのようにも感じられた。
「まだまだ余裕ってことね……!」
前を走る一般車を縫うように躱して、先へ先へと進んでいく。
氷焃との距離を少しずつ離していき、長い橋を渡り切る。
「よし、ひとまず前には出た──」
「っ!?」
トラックを躱した直後、氷焃が空から降りてきた。
五メートルほどは突き放したはずだったのだが。
「うそ、まさか一跳びで詰めてきた……!?」
氷焃は振り返ることなく突き放していく。
時にこちらの進路を妨害するように車を躱して立ち塞がり、時に一般車を飛び越えてさらに距離を離す。
小手先の技術では引き離せない、追いつけない。
「なるほど。これは確かに焦るかも」
「でもこの先なら、そこまでの無茶はできないはず……!」
長い直線の先にはトンネルがある。
横移動はともかく、跳び越えるなんて真似ができるほど広くはない。
ジャンクションまで直線続きな以上、ここが距離を詰めるチャンスなのだが──
「……うそ」
氷焃は、予想外の動きに出た。
トンネルに入らず、そのまま地上を走ることを選んだ。
「いぶちゃん聞こえる!?ていうか見た!?」
〈ええ。確認しました〉
〈火那森さまが氷焃を追います。鈴音はそのまま進んで〉
いぶきとの無線を手短に済ませて、再び前方に集中する。
一般車が少なくて助かった。もう少し車が多ければ、さっきのジャンプに呆気を取られた瞬間クラッシュしていた。
「……この一回で勝負を決める必要はない」
「普通のことを普通にこなす。それが、勝利への近道」
胸に刻んでいる言葉を口に出して、アクセルを踏み込む。
トンネルを抜ければ勝負再開。それまでは、落ち着くためのリラックスタイムと割り切ることにした。
「──氷焃は何を考えてるのかしら。この先は海よ」
《さあねぇ。何も考えてないのかもしれないよ?》
《相手は凍った炎なんて異常を纏った馬骨だし、何をしでかしても不思議じゃない》
ワンボックスから飛び出し、狐火の炎の尻尾を二本、ロケットのノズルのように生やして空から氷焃を追う。
氷焃は速度を落とすことなく、むしろ加速していく。
《……まさか、空を走る気か?》
「それが出来るなら地上を走る理由がないわ。海を走るとか……?」
勢いを増した氷焃が、一層強く踏み込んで跳び上がった。
キラキラとした橙色の粒子が尾を引きながら宙を往く姿は、美しさすら感じた。
「……っ。なんて脚力……!」
《なるほど、跳躍。その手があったか》
やがて高度が落ち、海面が近づく。
氷焃が海面に着地するような姿勢をとると、たちまち海が凍りつき足場を作った。
一度の跳躍で、海の約半分を進んだ。もうひと跳びで海を越える。
「あの跳躍力なら向こう岸まであっという間よ」
「酒街さん、どうしますか?止めますか?」
インカム越しに酒街さんに確認を取る。
この一周で勝負が決まるわけではないが、離され過ぎれば勝ちの目はなくなる。
個人的には足止めしたいが、酒街さんからの返事は違うものだった。
〈もう少し待ってください。下手に手を出したらどうなるか分かりませんから〉
〈ただ、もしあらぬ方向に向かうようなら進路を誘導してください。工業地帯の方へお願いします〉
《誘導ねぇ。獣の怪異相手にどこまでやれるかな》
酒街さんの指示に、狐火が苦笑いするように呟いた。
「やれるだけやってみます。手を出さずに済むのが一番ですが」
インカムを切り、再び跳び上がった氷焃に目をやる。
着地点の岸を見据え、一切の迷いもなく風を切っていた。
「工業地帯は向こうね。他に車は……」
《いなくはないが、流石に競争相手と見間違えたりはしないだろう。別方向に向かったら、目を引く何かで視線を向けてやるだけで十分だと思うよ》
工業地帯の方向を確認して、刀を握る手に力を込める。
刀は仄かに熱を帯び、橙の光を宿した。
つかず離れずの距離を維持して氷焃の後ろを追いながら、様子を窺う。
着地した氷焃は、軽く周囲を見渡してから空港方面へと続く道へと駆け始めた。
「そっちじゃない──!」
刀を構えて、突きを繰り出す。
放たれた炎は狐の姿をとり、氷焃の視界を横切るように駆けていく。
氷焃は狐を一瞥したが、無視してまっすぐ突き進み続けた。
《おや、一匹じゃ足りなかったかな》
「なら、群れで追い立てる!」
刀を三度振り抜き、炎の斬撃を飛ばす。
斬撃は小さく分裂し、さらに多くの狐となって氷焃へと襲いかかる。
逃げ道を塞ぎ、目の前と背後から煽るように吠え立てる。
氷焃は暴れながらも、ようやく工業地帯へと進路を変えた。
「氷焃の誘導に成功しました。そっちはどうですか?」
〈こっちはそろそろトンネルを抜けるよ!この感じだと、向こうの方が早く着きそうだね!〉
〈でも折り返すタイミングは鹿角さんが握ってる!氷焃が前を走る限り、復路はこっちが有利になるはず!〉
インカムの向こうから、鹿角さんと八重原くんの声が届く。
怪異とのレースなんて突飛な勝負にも関わらず真剣に挑む皆に、笑みが溢れた。
「私たちは引き続き、空から動向を追います。八重原くん、何かあったらよろしくね」
《……さて。この勝負、どう転ぶかな?》
「──紫蜘蛛、どう思う!?」
《──どうって、何が?》
「氷焃がわざわざトンネルを避けた理由だ!訳もなくあんなことすると思うか!?」
身体に打ちつける強風に声をかき消されそうになりながら、紫蜘蛛と話す。
今まで感じたことのないスピードは、少しでも口を開けばそのまま顎が持っていかれそうな錯覚すら覚えた。首のスカーフで口を覆うことで、なんとか話せるような状態だった。
《──動物の考えていることは、よく分からない。ただの気まぐれで、理由なんてないのかもしれない》
「そういうもんか……?いや、だとしても……」
どうしても引っかかる。後ろから見ている限りでは、トンネルに入ること自体を嫌がっているように感じた。暗所が嫌いなのか、それとも狭所が嫌いなのか。
様々な仮説が頭の中を駆け巡る中、一つ思い出した。
「……そういえば、馬骨は火事で死んだ馬が元って加古川さんが言ってたな」
「華輪、氷焃の生前のこととか知らないか!?どこで何があったかとか!」
《悪いがそこまでは知らぬ。そも、アイツが元は競走馬かもというのもワシの推察じゃ。奴の生前を知る者はおらん。奴自身以外はな》
《それと、今はあまり話しかけてくれるな。ワシが運転に集中しないと皆死ぬぞ》
車がわずかに左右に揺れた。背が高く足回りの柔らかいワンボックスの屋根の上では、その僅かな揺れでも恐怖を煽るには十分だった。
「うおお!?わ、悪かったよ!なるべく安全運転で頼む……!」
《──加古川と雨宮に聞いてみるのがいいんじゃないかしら?何か掴んでるかもしれないわ》
紫蜘蛛の言葉を受けて、インカムをオンにする。
「加古川さん!過去に火事で死んだ馬の情報とかってありますか!?雨宮さんにも聞いてほしいんですけど!」
〈ああ、その辺りは既に調べてもらってるよ。ただ、今のところそんな死に方をした馬はいないみたいだね〉
〈かと言って火葬まで範囲を広げると、今度はほぼ全ての馬が当てはまる。複数の無念の集合体って線もありえるけど……〉
加古川さんの声が小さくなると、ノイズが走った。次に聞こえてきたのは、雨宮さんの声だった。
〈その件だがな、一つ有力なものが出てきた〉
〈数十年前、ある高速道路で事故があった。十台近くが巻き込まれた大きな事故でな。その被害車両の一つに馬運車があった〉
「馬運車……競走馬を運ぶ、アレですか!?」
画像で見たことがある。競走馬を運ぶための、バスのような大型車。
〈そう。そして不幸なことに、事故はトンネルの中で起きた。車は爆発炎上して、構内は炎と黒煙に包まれた〉
〈結局、その場にいた人も馬も助からなかったそうだ。車と競う炎を纏った馬骨、という怪異が生まれるには正にといった経歴だと思うが?〉
「……そういうことか!」
「トンネルを避けたのは、自分が死んだ場所だったからか!」
氷焃の正体も、トンネルを避けた理由も繋がった。
となれば、あとはどうやって止めるかだが。
「どうにかして、氷焃をトンネルに誘い込めないか……?本人には可哀想だが、トラウマで動けなくなったりは……」
《──むしろ、死の恐怖を思い出して暴れるかもしれない。そうなれば、私たちも周りもただではすまないわ》
〈その時は、私たちも氷焃の制止に協力しますわ。そのために一緒にいるんですもの〉
いぶきさんの声が聞こえた。
〈今のうちに策を練りましょう。復路でも氷焃がトンネルを避けるようなら、八重原さまのトンネル誘導を実行します〉
〈鈴音と火那森さまも、どうか力を貸してください〉
〈もちろん〉
〈任せて!〉
やるべきことは決まった。
あとは機を待つだけだ。
──できることなら、戦わずに済ませたい。




