折り返し
氷焃と鹿角さんの車が、工業地帯に続く道を進む。
氷焃との距離を大きく離されたまま、鹿角さんの車は往路の終点へと近づいていた。
「ここっ!」
下道と合流する十字路の手前で、ブレーキを踏み込む。
一気に減速させながらハンドルを切り、車体を鋭く滑らせる。
けたたましいスキール音と共に、滑らかなドリフトでUターンを決めて反対車線へと移動した。
《おお!見事なドリフト!ワシも負けておられんな!》
「うわっ!」
華輪も遅れて同じ地点に差し掛かり、同じタイミングでブレーキを踏み込んで後輪を大きく振り出して無理やり滑らせた。
片側のサスペンションが沈み込み、反対側が伸びる。それでも車体は傾き続け──ついに車輪が浮いた。
「まずい──!」
《──横転する……!》
慌てて屋根の上から飛び降りて、横転しかける車体を支えに入る。
身体の内側に糸を張り巡らせ、筋力を高めて浮き上がった車体を両手で押し返す。どうにか四輪を叩きつけるように車体を路面に戻すことができた。
姿勢を立て直したワンボックスは、再び景気良く唸り声を上げて鈴音さんの車を追いかけ始めた。
「あっぶな……」
『アキっち、今のファインプレーだし……!』
《いや、すまんすまん。ついはしゃぎすぎてしまった》
後部座席の窓が開き、白來が顔を出した。
咄嗟にいぶきさんを庇っていたようだ。
白來の労いに小さくサムズアップをして屋根に再び飛び乗ると、華輪の申し訳なさそうな声が屋根を震わせた。
《中に人が乗っていること、お忘れなきよう》
《──それと、借り物の車だってことも》
《む、むう……すまんかったって》
墨香と紫蜘蛛の冷ややかな声が車に向けられた直後、背後から冷たい熱気が近づいてきた。
次にインカムから火那森先輩の声が鼓膜を震わせる。
〈氷焃がUターンに気付いた!すぐそこまで迫ってる!〉
「了解!視認しました!」
振り向くと、想定よりもずっと近い場所まで氷焃が迫っていた。
背筋は震えるのに、額からは汗が噴き出してくる。
「だいぶ先を走ってたよな!?いつの間にここまで追いついてきたんだ!?」
車が緩いカーブに差し掛かり、少しずつ速度を落としていく。
車体の後部を軽く振ると、スキール音を響かせながら大きく滑らせて曲がっていった。
《──多分、あれよ》
氷焃は速度を落とすことなくカーブに差し掛かる。
壁に激突する直前、足元から氷の足場が音を立てて発生した。
足場は続けて壁となり、氷焃は速度を殺すことなく、壁を走って真横を通り抜けていった。
蹄が氷の表面を砕き、細かな粒子が街灯に照らされ尾を描いた。
「なんでもありかよ……!」
《自らバンクを作るか!やはり賢いのう!》
〈言ってる場合じゃないわ!氷が溶ける──!〉
冷たい熱気が過ぎ去ると、氷は瞬く間に溶けていった。
路面が水浸しになり、タイヤが滑って一気に制御を失わせる。
《しまっ──!》
ハンドルが取られ、車体が勢いよく横滑りする。
そのままスピンし、何度も壁にぶつかり、ようやく止まった。
「うっ……吐きそう……」
《──煙、上がってる……》
口元を押さえながら屋根から降りて、車を確認する。
フロントからは白い煙が立ち上り、あちこちには擦り傷と凹みが出来ていた。
「鈴音、加古川さま。すみません、事故を起こしてしまいました」
『エンジンまでダメージが入ってますし、走行は難しいですね……』
いぶきさんたちもワンボックスから降りてきた。
幸い全員怪我は負っていない。墨香も白來も降りて車の状態を確認していた。
〈大丈夫!?怪我はない!?〉
「ええ、墨香と白來が庇ってくれたおかげで無傷です。車はかなりのダメージを負ってしまいましたが……」
〈まあ、壊れるだろうとは思ってたから車は心配しなくても良いよ。それよりも、このままじゃ鹿角くんと氷焃の一騎打ちになってしまう。それは避けたい〉
『ええい、どうにかして動くように……!』
華輪が車から離れてボンネットを開けると、さらに多くの白煙が上がった。
「ひとまず路側帯に避けよう!後続車が来たらまずい!」
〈先に追った方が良い?トンネルはすぐそこだし、万が一を考えたら──〉
『……すまぬ、頼めるか?』
墨香と白來の手を借りて、壊れた車を路側帯へ押し除ける。ふと空を見ると、二筋の光が尾を引いていた。
「どうする……流石に走るわけにもいかないし、ここじゃ糸で移動も厳しい」
『アキっち、空飛べるんじゃないの?ほら、あーしたちみたいに一つになったら、紫色の炎出せるじゃん』
白來が両手で燃えるようなジェスチャーをしながらこちらを見る。
確かに、筆鬼との戦いで得た紫焔を使えば、火那森先輩ほどではないが空を飛べる。
だが、彼女の疑問には、首を横に振るしかなかった。
「……それが、どうも最近調子が悪いんだ」
《──纏うまでならできるけど、その先が出来ない》
《──水と油みたいに、混ざり合わない》
意識を集中させて紫蜘蛛に合わせにいくが、上手くいかない。
身に纏う衣の色が黒と白を交互に行き交うが、それだけだった。
《そういえば、氷焃との競争前に紫蜘蛛様を纏う時も、少し手間取っていましたね》
「何か、お二人の間に変化があったのでしょうか?」
「変化……」
思い当たることなんて、一つしかない。
俺が怪異に近づいて、紫蜘蛛が人間に近づいてる。
──もしこの変化が原因だとすれば、これまで俺たちが築いてきた繋がりすらも、失われているのだろうか。
『ええい!今はそんな事を考えている場合ではなかろう!こうしている間にも、奴らは先に行っているぞ!』
『診てみたがやはりもうあの車は動かん!何か別の移動手段を用意しなければ、あの狐だけに負担を背負わせるつもりか!』
華輪が勢いよくボンネットを閉じた。
大きな物音に思考が止まり、今自分たちが置かれている状況を思い出す。
「ああ、そうだ!火那森さんだけじゃ氷焃の氷は溶かせても炎は消せない!」
「……あまり目立つような真似は鈴音のためにも避けたかったのですが、そうも言っていられませんね」
「墨香、白來。こちらへ」
『はい』
『りょーかい!』
いぶきさんが墨香と白來を纏い、海に飛び込む。
直後、大量の水飛沫と共に、巨大な水の蛇が顔を出した。
『さあ、乗ってください。レーシングカーほど速くはありませんが、走るよりは遥かにマシですわ』
『お、おお……お主ら、そんな力を隠していたのか』
「驚いてる場合じゃないだろ。ほら行くぞ」
華輪を脇に抱えて、水の蛇の頭上に飛び乗る。
蛇は波のように身体をよじらせ、海面を揺らしながら前進した。確かに鹿角さんの車や氷焃ほど速くはないが、引き離されてしまう心配もなさそうだった。
月はレースを開始した時と比べて、だいぶ西に寄っている。時刻は午前三時を過ぎた。
夜明けまであと三時間。
それまでに氷焃を止める。
勝負は続くが、終わりもまた近づいていた。




