ターボロリババア
前半分がぐしゃぐしゃになった車から幼女がひょいと降りる。
彼女が地面に降り立った瞬間、赤い車は錆と傷にまみれた白いボロ車に変わった。
『やれやれ、これでは廃車じゃの……』
『どうしてくれるんじゃ!お前たちのおかげでこの車もお釈迦だしアイツも取り逃がしてしまったではないか!』
『えっ!?あ、ああ……ごめんなさい?』
《──あなたが暴走しなければ、壊さなくても済んだのだけど》
プリプリと怒る幼女に、反射的に謝る。
小学生くらいの背丈で、紺色の着物の上から真っ赤なジャケットを着ていて、足元はブラウンのブーツを履いている。
子供らしいハーフツインテールの黒髪は、先端に向かうにつれ炎のように橙に染まっていた。
見た目は確かに子供だが、着こなしは大人のそれだった。
《──そもそも、あなたは誰なの?怪異なのは分かるけど、あなたみたいなのは初めて見るわ》
『む?ワシを知らんのか。まあ、これでも生まれて間もないから無理もないか』
幼女が壊れた車の上に飛び乗り、大きく胸を張る。
『ワシの名は華輪!巷ではターボばあさんと呼ばれておる!』
『──ばあさん……?』
紫蜘蛛が信じられないことを聞いたと言わんばかりに聞き返し、俺から離れて実体化する。
首を傾げながら華輪を見つめてから、俺の方へ振り向いた。
『──ねえ暁人。この子、おばあちゃんに見える?』
『まあ、どう見ても子供だな』
『ええい!そんな目をするな!ワシだって好き好んでこの見た目になったわけじゃないんじゃ!』
華輪が地団駄を踏みながらまた怒る。
見た目だけじゃなく、振る舞いもどう見ても老婆のそれではない。
地団駄が思いの外痛かったのか、華輪が軽く足を撫でながら車の上から降りた。
『さあ、ワシも名乗ったんじゃからお前たちも名乗れ!どこの誰兵衛なんじゃ!』
『あ、あー……八重原暁人だ』
『──紫蜘蛛よ』
華輪が俺と紫蜘蛛の顔を交互に見てから、俺の方に近寄ってきた。
『お前さん、何者じゃ?人間のような怪異のような……どっちとも取れる気配をしておる。どうなっているんじゃ?』
(……やっぱり、普通の人間ではなくなってるのか)
自分の身体に起き始めた変化を指摘され、少しショックを受ける。
まだ自分が人間であることを確かめるように、鎧を解いた。
「……一応、人間だよ。色々事情があってな」
『お?人間の気配に戻った。不思議な男じゃのう』
『それより、お前たちもこれを移動するのを手伝え。壊したのじゃから、それくらいはやってもらうぞ』
華輪が車を手で叩く。
紫蜘蛛が少し嫌そうな顔をしながら、車の側面に手を添えて力を込める。
『──?動かない……』
「待った。俺も手伝う」
紫蜘蛛の隣で一緒に車を押す。
紫蜘蛛一人ではびくともしなかった車は、あっという間に路肩へ押し込められた。
「……車ってこんな簡単に動いたか?」
『──私、何もしてない……』
そんなに力を込めたつもりはない。なのに、車は玩具のように簡単に動いた。
紫蜘蛛が目に疑問の色を浮かべながら俺を見る。
正確には、俺の腕を。
『さて、それじゃあ次の足を探して──』
『おお?この音は……』
華輪が首を傾げて耳を澄ます。
つられて俺と紫蜘蛛も耳を澄ますと、微かだが排気音とスキール音が聞こえてきた。
『──何も聞こえないけど』
「いや、車が近づいてきてる。ドリフトしてないか?これ」
『おおー!このご時世に走り屋とは!しかもこの音はロータリーか!』
華輪が目を輝かせて音の方向を見る。
音はどんどん近づいて来る。何故か異様に大きく聞こえる気がして、思わず耳を塞いだ。
『──暁人、大丈夫?』
「……なんだ?なんでこんなに音が聞こえる……」
筋力だけじゃなく、聴覚も強くなっている。この分では、視覚も嗅覚も、意識すればするほど鋭くなってしまうだろう。
『お前たち!ひとまずその車の脇に隠れておれ!ワシがアレを捕まえる!』
「は……?捕まえる?」
『──人が乗ってるのよ?どうする気?』
『いいから隠れろ!事故らないとも限らん!』
華輪に二人まとめて路肩の方へ押し込まれた。
ガードレールと車の間に押し込まれ、その場に座り込む。
隣に座った紫蜘蛛が心配そうに俺の顔を覗き込んだ。
『──暁人、どうしたの?まるで本当に怪異になったみたい……』
「……俺にも分からない。でも、心当たりはある」
「記憶を取り戻した時に、八重蜘蛛と一つになった」
「多分、それが原因で人でも怪異でもない──“怪人”になってるんだと思う」
『──怪人。筆鬼が、そんなことを言ってたわね』
紫蜘蛛がそっと俺の手を握った。
不安と恐怖で小さく震えていた身体が、ぴたりと止まる。
『──暁人。私を見て』
『──私だけを意識して。それ以外は見ない、聞かない』
『──そうすれば、少しはマシになるはず』
言われるままに、紫蜘蛛を見る。紫蜘蛛の言葉だけを聞く。
不快な雑音が消えていき、視界も今まで通りの色や視野に戻っていった。
「……紫蜘蛛」
『──私なりの、感覚の制御の仕方よ。暁人にも通じるみたいで良かった』
『──私は、どうしちゃったのかしら』
紫蜘蛛が俺の手を握ったまま、自分の手を見る。
『──なぜか、力が入らない。感覚も鈍ってる。まるで人間みたいに』
『──どうして……?』
紫蜘蛛の顔が、少し曇った。
「……お互い、何かが起きてるってことか」
二人で顔を見合っていると、車の向こうから急ブレーキのけたたましいスキール音が轟いた。
『よっし止まった!すまんなお主!この車借りるぞ!』
「なっ、おい待て!何した!?」
バタバタと騒がしくなった道路側に飛び出すと、運転手が車の外に引きずり出されていた。
『心配するな、借り物なのは分かっておる。後ろに寝かせるだけじゃ』
華輪が慣れた手つきでシートを倒して、後部座席──というより、荷物置き程度しかないスペースに運転手を押し込む。シートベルトで座席から落ちないようにはしているが、いささか心許ない留め方だった。
運転席に乗り込むと、黄色い車は新品のような真紅に変わり、エアロパーツが装着された。
『よし、それじゃ行くかの。走り回っていればそのうち彼奴もまた見つかるじゃろ』
「待て待て待て!置いていくな!」
『──私たち、移動手段がないの。乗せてくれないかしら?』
運転席に座り、意気揚々と走り出そうとする華輪を、紫蜘蛛と共に止める。
『なんじゃ、人の車壊した上に乗せてくれとは、図々しいのう』
「うっ……それは……」
『それに、まだバスはあるじゃろ?そっちで帰れば良いじゃろ』
『──乗せてくれたら、あなたの目的に協力するとしたら?』
紫蜘蛛がドアに糸を張り、閉まらないように固定する。
『……あまり迂闊なことは言わない方が良いぞ?ワシの目的が人類の鏖殺だとしたらどうするんじゃ?』
『──だとしたら、私たちも運転手も生きてはいないわ』
「それに、脅し文句でそれが出るって時点で殺す気はないだろ」
紫蜘蛛と二人で華輪の顔を見ると、彼女はふいっと目を逸らした。
『……ワシの運転はちと“すりりんぐ”じゃぞ?それでも良いなら、助手席に座れ』
「ありがとな。それと、車の件はごめん」
紫蜘蛛を纏って、助手席に乗り込む。
シートベルトを締めた途端、車は爆音を鳴らしながら走り始めた。
『さあ、飛ばしていくぞ!しっかり掴まれ!口は開けてはならぬぞ!舌を噛むからの!』
「うおおおっ!?」
シートに押し付けられるようなGと、横から押しつぶされるようなG。ジェットコースターのような揺れ。思わず窓の上の取手を全力で握る。
《──暁人……気持ち悪い……》
「が、がんばれ、紫蜘蛛……!俺も頑張るから……!」
無垢な子供のようにはしゃぎながら運転する華輪とは対照的に、俺と紫蜘蛛は終始真っ青なままだった。




