色づく記憶
猪狩と氷柱女の騒動から一週間。
俺と紫蜘蛛は地元から離れた山間の街に来ていた。
「……確かに、俺が見た山だ」
電車から降りて早々、見覚えのある景色が飛び込んでくる。
記憶の断片で見た、あの山が目の前にあった。
『──何か、他に思い出した?』
「ああ。俺、確かにここに来たことがある」
紫蜘蛛が隣に並び立つ。手には歯ブラシなどの最低限の衛生用品の入った小さなカバンを抱えている。
俺も少し大きめのリュックを軽く背負い直す。
今回はせっかくなので一泊二日の旅行を組んだだ。
紫蜘蛛は心なしかそわそわしていた。
「とりあえず、荷物を旅館に置こう。山に行くのはその後にしよう」
『──ええ、そうね。せっかくの旅行ですもの。ゆっくりしましょう』
二人並んで、旅館への道を歩く。
この辺りはそれなりに有名な温泉街だが、観光客の姿はまばらだった。
『──あ。暁人、あれ』
紫蜘蛛が雑貨屋の前で足を止めた。
視線の先には、熊を咥えた鮭の木彫りが置いてあった。
「……っふふ……!なんだその置き物……!」
『──センスあるわね。あれを作った人』
思わず吹き出してしまった俺を見て、紫蜘蛛も楽しそうに笑う。
木彫りに釣られて二人で雑貨屋に入る。
店内にあったのは、土産用の精緻な木工細工や食器、有名なキャラクターのご当地キーホルダー。
ぐるりと一周して、お揃いのキーホルダーを買った。デフォルメされた蜘蛛と蜘蛛の巣が象られたものだ。
『──お揃いって、なんか良いわね』
「こういうのも思い出として残るからな。そうだ、写真撮るか?」
『──そうね。お願いするわ』
店を出てから、二人でキーホルダーをかざした写真を撮る。
『──暁人、幸せそう』
「そりゃあな。そういう紫蜘蛛も良い顔してる」
二人で惚気あい、気の抜けた笑みを浮かべる。
旅館までの道のりは、寄り道の連続だった。
『──広い部屋ね』
「まあ、せっかくだからな。ちょっと良い部屋を選んだんだ」
俺たちの泊まる部屋は、他よりも一回り大きかった。
見晴らしも良く、浴室の他に露天風呂もある。
『──お風呂、広いわね』
「……なんで俺を見たんだ?」
『──いえ、別に?』
紫蜘蛛は少し期待を込めた視線を俺に向け、すぐに露天風呂の方に目を向け直した。
「入るなら山から帰ってからな」
『──それは、そのつもりだけど』
軽く部屋を見回すと、2人分の布団が畳まれて部屋の隅に置いてあるのが見えた。瞬間、少し心臓の鼓動が速くなる。
『──普段は同じベッドで寝てるのに』
「……それとこれは別だよ」
リュックを下ろして、窓の外を眺める。
眼下には先ほど歩いてきた温泉街があった。
『──どうする?このまま行く?』
「そうだな。ついでに昼飯も食べていこう」
スマホを見ると、時間は午後一時。
少し食べてから山登りに行ってもいいだろう。
旅館を出て、目に入った和食屋に入る。
俺は鍋焼きうどんを、紫蜘蛛は意外にも猪肉の生姜焼き定食を頼んだ。
「……随分ガッツリしたの行ったな。というか、猪とか食べるのか、紫蜘蛛」
『──蜘蛛は肉食よ。それに、猪のお肉は意外と美味しいから。暁人も食べる?』
少し悩んだが、俺は首を縦に振った。
「まあ、食わず嫌いも良くないしな。それに、紫蜘蛛が好きなら美味いはずだ」
『──ありがと。私も、暁人のうどん食べてみたい』
「ああ。あったまるぞ」
二人で頼んだランチをシェアしながら食べる。
普段もこんな感じでお互いの食べ物を渡し合っているが、旅行先でやるだけでなんだか妙に特別なことをしている気分になった。
ふと、紫蜘蛛の手が止まった。
目を閉じて小さく口を開けている。
『──ん』
「……ん?」
少しの間、時が止まった。
薄く目を開けた紫蜘蛛が、頬を膨らませて不満そうな顔をした。
『──もう、察しが悪いわね』
『──こういう時食べさせあうのが、恋人同士がやることなんでしょ?』
「……ああ!そういうこと!」
紫蜘蛛の言葉にようやく合点がいった。
今まで気づかなかったのかと紫蜘蛛が口を尖らせてプリプリと怒った。
「ごめんって。ほら、こっちの鶏天食べさせてやるから」
『──ん』
半分に切った鶏天を、紫蜘蛛の口元に運んでやる。紫蜘蛛は微かに頬を赤く染めながら鶏天を食べた。
『──美味しい。けど、ちょっと恥ずかしいわ……』
「まあ、側から見たら完全にバカップルだな」
『──でも、こういうのも悪くないわ』
『──はい、暁人。あーん』
「えっ」
目の前に差し出された生姜焼きに面食らっていると、紫蜘蛛がまたムスッとした。
彼女の意図を察して、おずおずの口を開く。
「あ、あーん……」
『──はい。よくできました』
ゆっくりと口の中に生姜焼きが運ばれる。
箸が口から離れたタイミングで、味わうように咀嚼する。
「……なるほど、ちょっと癖はあるけど美味い」
『──でしょう?』
「ただ、食べさせ合いはやるなら家でだな。外でやるのは……」
『──そうね』
お互い顔を赤くしながら、その後も昼食に舌鼓を打った。
「ここは……見覚えあるな」
『──普通の登山道だもの。余程の事がなければ、ここから登り始めるわ』
昼食を終えた俺たちは、いよいよ登山道の入り口に来ていた。
時刻は午後二時過ぎ。冬の太陽は、既にほんの少し傾き始めていた。
『──じゃあ、行きましょうか。あまりのんびりしていると、降りる時大変だから』
「なあ、今さらだけどこの時間から登って平気なのか?」
あの社がどこにあるかは、紫蜘蛛にしか分からない。
もしも降りる頃には夜、なんてことになれば、紫蜘蛛がいても正直不安が残る。
『──大丈夫よ。そんなに山深いところじゃないから』
『──それに、何があっても私が暁人を守るわ』
紫蜘蛛が一歩先に進んで山道に足を踏み入れる。
直後、彼女が気に入っていた白い服が以前の黒い着物に変化した。
「その格好、久しぶりだな」
『──こっちの方が、雰囲気出るでしょう?』
『──それに、この着物の方が色々都合が良いから』
「都合……?」
俺の疑問に、紫蜘蛛は答えなかった。
彼女の手を握り、半歩後ろをついていく。
ある程度山を登ると、紫蜘蛛は登山道から逸れ始めた。
「紫蜘蛛、そっちは……」
『──合ってるわ。この先よ』
紫蜘蛛に手を引かれ、道なき道を進み続ける。
流石にこの道は歩いた覚えがない。
陽光は木々に遮られ、どんどん道は暗くなっていく。まるでこの森の中だけが、先に夜へと時が進んでいるようだった。
微かだが、怪異の気配を複数感じる。
こちらを見ているようだが、襲いかかってくる様子もない。紫蜘蛛は変わらず涼しい顔で進み続けていた。
そうしてしばらく茂みをかき分けていくと、少し開けた土地に出た。
『──着いたわ』
「……ここが」
目の前に現れたのは、何度か脳裏によぎった寂れた社。
暗く冷たい森の空気と暖かな橙色の木漏れ日が同居した、おどろおどろしくも神秘的な雰囲気だった。
社は記憶よりもさらに朽ちていて、至る所に蔦や苔、蜘蛛の巣が絡みついている。
今まで色褪せていてノイズがかっていた記憶が、鮮明になっていく。
紫蜘蛛はどこか懐かしそうに目を細め、数歩先に進んでから俺の方へ振り返った。
『──そう』
『──ここが、私の家だった場所よ』




