初めて会った場所
猪狩を連れて地上に降りると、すでに救急車が待機していた。どうやらいぶきさんが先回りして手配してくれていたらしい。
痩せ細り生気を失った表情の猪狩を救急隊員に預け、病院に運んでもらった。
怪異の存在を話すわけにもいかないので、俺たちは飛び降りようとしていた猪狩を止めた通行人ということにして、その場を後にした。
『……すまない。皆には大変な迷惑をかけた』
「それと、猪狩さんを殺さないでくれて、ありがとうございます」
今昔堂に戻った直後、雪女と小雪が深々と頭を下げる。
紫蜘蛛が不思議そうな顔で小雪を見た。
『──あなたも、暁人と同じことを言うのね』
『──自分を傷つけようとしてきた相手に、そんなに生きてほしいの?』
「……どんな悪人でも、死んでいい人なんていませんから」
『──そう。そういうものなのね』
小雪の言葉を、紫蜘蛛はひとまず飲み込んだようだ。
『とにかく、ストーカーは撃退したし怪異も退治した。これで一件落着だ』
「……いや、いやいや!そういえば雨宮さん、その格好どうしたんですか!」
話を締めようと軽く羽を震わせながら小雪の肩に手を置く雨宮さんに、思い出したように疑問をぶつける。
今の彼女の姿は、以前見た時とはまるで違っていた。
修行僧が着るような法衣を今風にアレンジしたような服装に、濡羽色の翼とカラスの脚のような手足。
その姿はまるで──
「……天狗?」
『ん?ああ、そう言えばお前さんは先に行っていたから知らなんだか』
雨宮さんがクルリと翼を見せるようにその場で一回転する。
『お前さんの言うとおり、私は天狗と人の子でな。小雪と似たようなものだ』
『これも何かの縁だ。これからは私も顔を出して、お前さんたちに協力する。何か知りたいことがあれば調べてきてやるぞ』
そう言うと、雨宮さんは以前見たスーツ姿に変化した。
「小雪ちゃんは、これからどうするの?」
「そうですね。しばらくは加古川さんのところでバイトしようと思ってます」
火那森先輩の質問に、小雪が胸の前で小さく拳を作る。
加古川さんが予想外といった具合に目を丸くした。
「……ホントかい?ウチ、本買いにくるお客さんほとんどいないよ?」
「大丈夫です!お客さんがいない時は助手としてけっぱりますから!」
小雪の元気な声を聞いた雪女は、僅かに口元を緩めていた。
「では、そろそろ祝勝会としましょう。紅茶とコーヒー、皆さまどちらにしますか?」
『あーしの選んだスイーツはどっちにも合う超美味しいやつだからね!ちなみにあーしは紅茶で!』
いぶきさんと白來の声で、場に温かく和やかな空気が流れる。
墨香はいつの間にか茶会の準備にとりかかり、紫蜘蛛は椅子に座ってスイーツを待っていた。
加古川さんは少し顎を撫でてから、目を細めて穏やかに笑った。
「──そうだね。まずは祝おう。怪異の討伐と、新しい仲間の加入をね」
「それじゃ、コーヒーを飲みたい子はいるかな?」
『──やっぱり、白來の買ってくれるカステラは美味しいわ』
「持ち帰りの分まで用意してくれてたなんてな。今度何かお返ししないと」
今昔堂での祝勝会は、夜まで続いた。
雪女の過去を聞いて、小雪の地元の話を聞いて、俺たちの今までの戦いを話した。
今は祝勝会の帰り道。俺は紫蜘蛛と二人で夜道に白い息を吐いていた。
『──ねえ暁人』
「ん、どうした?」
紫蜘蛛の目を見た瞬間、また“アレ”が脳裏によぎった。
見覚えのある山、寂れた社、紫蜘蛛によく似た女の子。
そして今回は、もう一つ新しい景色がよぎった。
蜘蛛だ。
紫蜘蛛じゃない。
黒と黄色の縞模様の巨大な蜘蛛が、俺を見ている。
知らないはずなのに、知っている。身体だけが、その蜘蛛を恐れていた。心の奥底から恐怖が込み上げ、冷や汗が噴き出してくる。
『──暁人。大丈夫?』
「……ああ。大丈夫だ……」
『──暁人が大丈夫って言う時は、大体大丈夫じゃないわ』
『──なにか、隠し事してるでしょ』
紫蜘蛛がジトっとした目で俺の顔を覗き込む。
どう誤魔化すかを考えたが、今の紫蜘蛛との関係を思えば、もう隠す必要もないだろう。
「……やっぱり紫蜘蛛には敵わないな」
「最近、変な記憶がよぎるんだ。知らないというか、忘れてたというか……言葉にするのが難しいな」
『──例えば、どんな?』
「見覚えがあるようなないような山、寂れた社、デカい蜘蛛──」
「──それと、紫蜘蛛だ」
俺が見た記憶の断片を伝えると、紫蜘蛛は少し目を丸くした。
「なあ、紫蜘蛛」
『──なに?暁人』
紫蜘蛛の目を正面から見据える。
お互い、いつになく真剣な顔をしていた。
「初めて会った時、紫蜘蛛は俺のことを知っていたよな」
「俺はこの記憶がなんなのか知りたい。だから、もしも紫蜘蛛が何か知ってるなら教えてほしい」
「俺と紫蜘蛛は、以前会ったことがあるはずだから」
紫蜘蛛は、目を伏せた。
そして何か考えるように少し俯いて、再び俺の顔を見る。
『──分かった』
『──なら、一緒に来てほしい』
『──私と暁人が初めて会った、私の家に』




