過去を断つ
「──雪女さん、雪女さん。どうしたんですか?」
『──力を使い過ぎたか?少し休んだほうが……』
凍子を押し潰した雪の塊を前に動かない雪女に、小雪と二人で声をかける。
少し遅れて、雪女は静かに首を振った。
『……いや、大丈夫だ。少し、昔のことを思い出していた』
『──そうか。とにかく、これで全部終わり──』
『いいや……!まだ、終わっちゃいないよ……!』
雪の塊の方から、声がした。
咄嗟に紫焔を滾らせ、声の方へ拳を構える。
『アタシは、まだ死ねない……!アンタを道連れにしてでも殺さないと、この世に留まった意味がない……!』
雪の塊にヒビが入る。
真っ二つに割れると、中から身を守るように氷柱を展開した凍子が倒れていた。
身体の大部分が潰れていて、立つことすらもままならない有様だった。
『──マジかよ……しぶとすぎるぞ、流石に』
『凍子……』
『千人の生気を吸ってきたのは、伊達じゃないよ……』
小さく身を捩らせながら凍子が近づいてくる。
手足も折れているのに執念だけで動くその様に、思わず喉が鳴った。
『──どうする』
『……これは私の戦いだ。私が終わらせる』
雪女が再び雪の薙刀を作り出す。
ゆっくりと凍子の元へ近づき、眼前に刃を構える。
『……あの頃と同じだねぇ、雪女』
『……ああ。まさか二度目があるとは思わなかった』
『でも、全く同じとはいかないよ……!』
『──っ!?』
「っ!雪女さん──!」
『──まずい!』
雪女の周囲に、氷柱の矢が構えられる。
逃げ場はない。紫焔を撃ち放てば、雪女にも当たる。
『言ったろう?道連れにしてでも、アンタを殺すって──!』
『……っ!凍子、お前……!』
小雪と二人で雪女の元へ走り出す。
だが、氷柱が雪女を貫く方が確実に早い。
──間に合わない。
「──そうはいかないよ、氷柱女」
空から巨大な札が降りてくる。
札は氷柱を次々と絡め取り、強引に捩じ伏せて砕き尽くした。
『なっ……』
『──加古川さんに、雨宮さん……!?』
ドームに空いた穴から、加古川さんが降りてくる。
彼を連れているのは、雨宮さんだった。
背中からカラスのような翼を生やし、手足は鳥の足のような鱗に覆われている。
両隣には火那森先輩といぶきさんもいる。
二人とも、狐火と墨香、白來を纏っていた。
「全く、報告がてら小雪の様子を見に来ただけなのに、まさかこんな事になっているとはな」
「済まないね、文奈。でも助かったよ」
ゆっくりと屋上に降り立つと、加古川さんが札を投げる。札は瞬時に巨大化して、凍子を拘束した。
『ぐっ……何する気だい……!』
「どうもしないよ。ただ君に質問があってね」
加古川さんが余裕のある足取りで凍子へ近づき、目の前で屈む。
「“神野悪五郎”。この名前に聞き覚えはあるかな?」
『……はあ?何かと思ったら、人探しかい?』
『……悪いね、知らないよ。少なくとも、アタシが関わった奴の中に、そんな名前は覚えがない』
「……そうか。アテが外れたなぁ」
『まあ、そんなものだろう。筆鬼の件でようやく実在が確認できたんだ。知る者の方が少ないはずだ』
肩を落とす加古川さんの背中を、雨宮さんが翼で軽くつついた。
「凍子さんは、千人の命を吸い取っていたらしいですから……それだけの力を、蓄えていたんです」
「──なるほどね。てっきり悪五郎からもたらされた力だと思っていたが、それだけのことをしでかしているなら納得だ」
小雪の言葉に頷きながら、加古川さんが立ち上がる。
『……殺さないのかい?』
「それを決めるのは僕じゃないよ」
「そうだろう?雪女くん」
加古川さんが雪女の方に目を向ける。
雪女はバツが悪そうに視線を逸らした。
「その札は解くよ。それで本当の意味で、君たち次第ということになるからね」
加古川さんが凍子を縛る札に向けて印を結ぶと、水に溶けるように消えていった。
雪女は、薙刀を手放した。
落ちた薙刀は柔らかな雪へと変わり、そして消えていった。
『……もういい。機を逸した』
『私にだって情はある。かつての隣人を、何度もこの手で殺すような真似はしたくない。だから、生きたいなら生きろ』
雪女の言葉に、凍子は意地の悪い笑みを浮かべた。
『……アタシはまたアンタを殺しに行くよ』
『アンタだけじゃない。そこの小娘も、アンタの友人もね』
『その時が来たら、また止めるだけだ』
雪女の強い意思の籠った言葉に、凍子の顔が少し緩んだ。
『……ところで、なんでアンタたちは、その悪五郎とかいう奴を調べてるんだい』
「ああ、それは──」
加古川さんが口を開いた直後。
周囲の気温が一気に下がった。
大気が青く染まり、白く輝く霧が視界を支配する。
『──っ!?なんだ!?』
「火那森くん!八重原くん!すぐに火を!」
「はい!」
紫焔を全力で燃やして、先輩と共に炎の膜で仲間を包んでいく。
だが。
『──嘘だろ……!?』
「炎が、凍っていく……!?」
炎が、時が止まったように揺らめきを止めた。
本来発するはずの熱が、消えた。
『な、なんだいこれは……!アタシや雪女以上の冷気を操れる奴が……!』
『──見所はあったが、惜しかったな』
『がっ──!?』
低い男の声の直後、凍子の心臓に刀が突き立てられた。
氷の礫を孕んだ風が、刀を掴んだ男の姿に変わる。
宝石のように深い蒼色と、鈍く輝く銀色の具足。肩には大きな赤と黒のマントを羽織っている。
兜には黄金の三日月の飾り。顔は面頬で隠れていて見えないが、飾りと同じ黄金に輝く瞳が覗く。
まるで戦国時代の将軍のような威容に、無意識に半歩後ろに下がった。
『お前の死は無駄にはしない。その力、我の糧にしてやる』
『なに、勝手なこと、言ってるんだい……!』
『誰だか、知らないけど……アタシの力は、アタシだけのものだよ……!』
凍子が必死に抵抗しようとするが、僅かに身じろぐだけだった。
やがて身体から色が消えて、人型の氷に変わっていく。
『……っ!こんなところで、アタシが──』
『雪女……!雪女……!』
恐怖と悔恨が混ざったような瞳で、凍子が雪女を睨みつける。
雪女は、ただ無言で手を差し伸べようとしていた。
氷塊となった凍子は小さな礫に砕け散り、将軍の纏う寒風の一部となった。
『ふむ。それにしても、他者を食い物にしていた女の最期が我の糧とは、皮肉だな』
『──何者だ、お前は』
静かに刀を鞘に収めた将軍に問う。
向こうは、こちらをしっかりと見据えて名乗りを上げた。
『我が名は冬将軍、凍景』
『悪五郎殿の友であり、従者であり──』
『いずれ貴様らを討つ者だ』
一際強い寒風が吹き荒ぶと、凍景の姿は消えていた。
気温が元に戻る。先ほどまでの極寒との落差で、真夏のように感じられる。遅れて全身から汗が噴き出した。
緊張の糸が切れたように、紫蜘蛛と分離する。
「はあっ……はあっ……!」
「なんだったんだ、アイツ……!」
「や、八重原先輩!猪狩さんがいません!」
小雪の切羽詰まった声を受けて、慌てて猪狩を探す。
猪狩は、屋上の梁に身体を乗せていた。
目を離した隙に、這いずって逃げようとしていた。
「は……はは……」
「もう、終わりだ……全部、取り戻せると思ったのに、結局、また失った……」
猪狩が梁の向こうへ身を乗り出す。
「もう、いいか。どうでも──」
「なっ……!?」
ズルリと、猪狩が梁から落ちた。
「あの野郎──!」
咄嗟に猪狩を追って駆け出す。
紫蜘蛛も俺の意志を察したのか、何も言わずに黒衣へと変わり、俺を包んだ。
梁から飛び出し、猪狩を追う。
落ちる猪狩を糸で捕らえ、空いた手から放った糸でビルの壁を掴む。
「はあっ──!」
猪狩を引っ張り上げ、蜘蛛の巣で壁に張り付ける。
彼は呆然とした顔で俺を見た。
「なんで、助けたんだ……」
「俺、人を殺しちまったんだぞ……」
「モノも、カネも盗んできたが……命だけは取らないって、決めてたのに……!」
猪狩の告白に、怒りで眉間に大きく皺が寄った。
彼の目の前に張り付き、顔を掠めるように思い切り拳を振り抜いて壁を殴りつける。
「だったら、なおさら逃げんじゃねえ!」
「死ねば許されると思ってんなら大間違いだ!」
「悪いことした自覚があるんなら──!」
「ちゃんと生きて、罪と向き合え!」




