その縁、焼き切る
『──っ!はぁっ!はぁっ──!』
身体を覆っていた氷が消えて、止まっていた身体の機能が一斉に動き出す。
肺と心臓が、遅れを取り戻そうとするように激しく動く。
全身に血が巡ると共に、痛覚が蘇ってくる。どれほど凍らされていたのか分からないが、少なくとも全身に凍傷を負っているのは確かだ。
息を整えると、紫蜘蛛が分かれて外に出た。
『──どうして、氷が溶けたのかしら……』
『ああ、良かった。まだ死んではいなかったのね』
『それにしても、変な氷ね。炎にも負けないのに、毒にはあっさり溶けるなんて』
「っ!?」
声の方を見る。
なぜか、そこには海月がいた。
触手の髪は先端から毒液が滴り、足元の氷を溶かしている。
『──あなた、どうしてここにいるの』
紫蜘蛛が臨戦態勢に入り、海月を睨みつける。
俺も倣って構えを取った。
『もちろん、あなたに会うためよ』
『あの氷柱女を追えば会えるかもと思ったのだけど、随分派手に暴れてくれちゃって』
海月は紫蜘蛛の敵意をものともしない。
俺だけを見ていて、どこか機嫌が良さそうにすら見える。
『でも不思議ねぇ。あなたを氷から解放した時、あのひどい頭痛が治まったの』
『あなたとの間に何があったのか聞きたいのだけど……』
海月の視線が紫蜘蛛に向く。
紫蜘蛛は今にも火を吹きそうな形相をしていた。
『まあ、今はやめておこうかしら』
『それにほら、氷柱女もやる気出してるみたいだし。止めに行きたいんでしょう?』
「……俺たちを、止めないのか?」
俺の疑問に、海月は肩をすくめた。
『止める理由もないもの。それとも、ここで私と語らいたいのかしら?』
『──そんな時間ないわ。行きましょう、暁人』
「待ってくれ紫蜘蛛。その前に火那森さんたちを助けないと」
手を引っ張る紫蜘蛛を引き止めようとするが、海月に首筋を指で軽くつつかれた。
『こっちの人間たちの氷も溶かせばいいのね。特別に手を貸してあげる』
海月が触手を火那森先輩たちを覆う氷へと伸ばす。先端から毒液を垂らして、氷を溶かし始めた。
「……ありがとな。海月」
『──』
海月に礼を言うと、表情が少し明るくなった。
だが、またすぐに元の妖艶な顔に戻る。
『……良いのよ。早く行きなさい』
「ああ。行こう、紫蜘蛛」
紫蜘蛛を纏い、今昔堂から飛び出す。
『……なんなのかしら、この気持ちは』
そんな海月の呟きが、聞こえた気がした。
《──それで、どうするの》
《──猪狩は氷柱女の中にいる。氷柱女を殺せば、猪狩も死ぬわ》
「……ああ。どうにか猪狩を引き剥がさないとな」
空を駆けながら、紫蜘蛛と話し合う。
目的地は、氷のドームがある高層ビル。
猪狩を死なさず、凍子を倒す。今までとは違う立ち回りを求められている。
『──どうして、彼を生かそうとするの』
『──彼は悪人よ。悪は排除されるものでしょう?』
「確かに猪狩はどうしようもない奴だ。でも、それは死んでも良い理由にも、殺して良い理由にもならない」
紫蜘蛛の疑問に、はっきりとした口調で答える。
これだけは、譲れない。
『──そう。暁人がそうしたいなら、私もそうする』
『──それで、どうするの?』
話が振り出しに戻ってしまった。
何か策がないか、考える。自分にできることは──
「──そうだ!」
「紫蜘蛛、学校での戦いで人体模型を縛った時のこと、覚えてるか!」
『──ええ。それが?』
「あの人体模型は実体がなかった。でも紫蜘蛛は縛ることができた」
「あれを紫焔でもやれないか?つまり──」
『──見えないものを、燃やす?』
紫蜘蛛はまだピンと来ていないようだ。
俺も上手く説明できるか分からないが。
「そう。例えば、猪狩と凍子の縁とか」
『──ああ。そういうこと……!』
紫蜘蛛も、俺が言わんとすることを理解できたようだ。
「やれるか、紫蜘蛛」
『──分からない。でも、やってみる。いえ──』
『──やりましょう。私たちで』
決意を固め、紫蜘蛛と一つになる。
黒い和装は白い羽織に変わり、八重蜘蛛の鎧を纏う。
ビルの壁に張り付き、一気に駆け上がる。
最後の一歩で飛び上がり、糸を使ってさらに空へと舞い上がる。
ドームの中に雪女と小雪、凍子が見えた。
『──あれは、小雪か!?』
よく見えないが、小雪の見た目が変わっている。まるで雪女のような姿だ。
凍子に両手を操られ、手に持たされた氷の剣は、凍子の首に添えられていた。
『──とにかく、止めないと!』
『──待ちやがれ!!』
紫焔を纏い、氷のドームを蹴破る。
ドームの中は、信じられないほど冷え切っていた。
『──小雪から離れろ!』
右手から紫焔を放ち、左手から糸を放つ。
凍子が炎に怯んで離れた隙に、小雪を糸で引き戻す。
「や、八重原先輩……!」
『──無事か、小雪』
見たところ、外傷はない。姿は雪女そっくりだが。
『……お前、その傷』
『──ん、ああ。雪女には分かるか』
雪女に小雪を預けるついでに、身体に触れられる。
鎧越しだが、少し痛みが走った。
『全身に凍傷を負っているじゃないか。その身体では──』
『──大丈夫、とは言いにくいな。正直キツい。アイツを倒すのは難しいな』
『──だから、凍子の方は頼む。俺は猪狩をなんとかする』
凍子の方へ向き直り、拳を構える。
『アンタの炎じゃアタシの氷は止められない。それは理解したんじゃないのかい?』
『──ああ。だから、凍る前になんとかする!』
氷柱の矢を紫焔を纏った拳で弾きながら接近する。
懐まで迫ったところで、凍子も氷の鎧を纏って応戦した。
『アンタ震えてるじゃないか!ここの寒さはその傷に堪えるだろう!』
『──うるせえ!』
身体の奥から凍えていくのを感じる。
動きが少しずつ鈍り、凍子の攻撃を受けられなくなっていく。
『そら!今度こそ凍え死にな!』
胸元に凍子の手が迫る。
身体の感覚はほぼ消えた。手も足も動かない。
──紫蜘蛛と意識を入れ替えて、受け止めてもらう。
『──捉えた』
糸で両足を縫い止め、握った拳を開く。
『なっ……!?』
『──その縁、焼き切る──!』
貫手で凍子の胸元を貫く。
彼女の身体の奥に潜む、“彼”を捕らえた。
人体とは思えないほど冷たく、硬い感覚。
僅かに感じる、彼を縛る糸のような何かを紫焔を滾らせ焼き切っていく。
『──出てこい!猪狩!!』
思い切り腕を引っ張り、猪狩を凍子の中から引きずり出す。完全に引き抜いてから、渾身の力を込めて凍子を蹴り飛ばす。
『──今だ!』
『ああ!』
「は、はい!」
空間中の冷気が雪女と小雪の周りに集う。
冷気は雪に変わり、巨大な雪の槌に変わる。
「──吹雪鬼!」
『雪槌!!』
小雪の起こした吹雪が、凍子をその場に封じ込める。
『……っ!雪女えええええ!』
雪女の純白の巨槌が、凍子を呑み込んだ。




