雪纏いし少女
「……なあ小雪。俺は一人で来いって言ったよな」
『──お前みたいな奴相手に、一人で行かせると本気で思ったか?』
固まる小雪の代わりに猪狩の疑問に侮蔑を込めて返す。同時に両手から糸を放ち、猪狩の腕を小雪から引き剥がした。
「テメェには聞いてねんだよ!クソガキ!」
猪狩の額に、鬼のような氷の角が生える。眼前に氷柱が生み出され、弾丸のように射出された。
『──おっと!』
身を翻して氷柱を躱す。天井に張った細い糸に乗り、逆さまに立つ。羽織は異なる重力に従うように、天井に向かって垂れていた。
猪狩を留めていた糸が凍り、腕の一振りで砕け散る。足元の巣も同じように砕かれた。
「邪魔するんなら、ぶっ殺す!」
『──なら、その前にお前を止めるだけだ!』
猪狩が全身に氷を纏う。彼の心を映したような刺々しい鎧が、空気を冷やし白い冷気を巻き起こす。
一歩前に踏み出した瞬間。
猪狩の身体が、無数の糸で雁字搦めにされた。
「なっ……!?んだこりゃあ!?」
『言ったろ?お前を止めるって』
糸から糸に飛び移り、さらに猪狩を糸で絡めとっていく。
倉庫の床に一つの繭が作られ、猪狩の動きはピタリと止まった。
『──小雪、雪女。今のうちに外へ』
「は、はい!でも、いつの間にこんなに糸を……?」
『──意識されてなければ簡単さ。あいつがベラベラ話してる間に仕込んでおいた』
小雪の背中を軽く叩いて、外に行くように促す。小雪は雪女の起こす雪風に包まれながら、倉庫の外へと走っていった。
『──さて。聞くまでもないと思うが』
『──まだ降参とは行かないだろ?ストーカー』
返事は、行動で返ってきた。
猪狩を覆った分厚い繭は瞬く間に凍りつき、内側から氷柱によって破壊される。
中から現れた猪狩は、ハリネズミのように氷柱で全身を覆っていた。
「……よし決めた。お前殺すわ」
猪狩が全身の氷柱を俺に向けて撃ち放つ。こちらに向けて的確に飛んでくるそれは、まるでミサイルのようだった。
『──紫焔!』
片足で地面を踏みつけ、紫焔の壁を立ち上げる。無数の氷柱は炎に飲まれ、音を立てて溶けていった。
『──はあっ!』
紫焔の壁を飛び越え、猪狩に向けて糸を放つ。猪狩は飛び退き糸を躱し、生み出した氷柱を殴りつけて撃ち出す。
氷柱を紫焔で防ぎ、猪狩の懐に飛び込む。腕の内側に糸を張り巡らせ、拳を放つ。猪狩も同時に拳を振るい、拳と拳が激突した。
「なんだよ、俺にはあの炎使わねえのか!?」
「殺す手段なんざいくらでもあるのに、なんでお前はそれを使わねえ!」
『──それはお前も同じだろ!』
拳と蹴りの応酬。お互いに一歩も引かず、殴り、受け止め、蹴りつけ、受け流す。
『──お前も、人殺しだけは超えちゃいけない一線だって分かってる!』
『──だからこうして殴り合いになってるんだろ!』
「知ったような口聞くんじゃねえ!」
猪狩の感情に任せた大振りの拳をいなし、カウンターを叩き込む。
俺の拳は猪狩の顔に直撃し、そのまま吹き飛ばした。すかさず猪狩の背後の壁に巣を張り、彼を捕らえる。
「がっ……!」
『──どうする。二度と小雪に関わらないか、それともここで俺に倒されるか』
身体の内側に糸を張り、身体を補強する。右足に力を込めて、次の一撃の準備を整えた。
「ふざけんな!テメェが小雪に関わんな、羽虫!お前らさえいなきゃ、俺は小雪と一緒にいられたんだよ!」
『──どこまでも自分勝手だな。小雪の気持ちは無視か』
床を蹴りつけ、猪狩との距離を詰めていく。一歩踏み込むごとに右足に込める力は増していく。
最後の一歩を踏み込み、蹴りを叩き込もうとした直前。
『──水薙』
『──っ!?』
聞き慣れた声に、思わず動きを止める。足元から突き出してきた水の薙刀を、身を翻して回避した。
『随分楽しそうじゃない』
『私も混ぜてくれないかしら?』
黒い泡が床から湧き立ち、人の形を成す。薙刀を掴み取った泡は、見慣れた姿に変わった。
『──海月……っ!』
『ふふ。良いわぁ、その敵とも味方とも割り切れてない顔。心の渇きが満たされる気分よ』
『なんでかは知らないけれど、よほど私と深い縁があるのね』
クルクルと薙刀を回しながら、海月が楽しそうに笑う。先ほど巣に捕らえ、彼女の背後にいたはずの猪狩が、いつの間にか姿を消していた。
『──っ!しまった!猪狩は……!』
『よそ見しちゃダメよ、蜘蛛男さん』
薙刀が目の前を掠める。僅かに上体を逸らして躱し、さらに後ろに飛び退いて海月との距離を取る。
『──待ってくれ海月!今はお前に構ってる暇はない!』
『あなたはそうでも、あなたの中にいる蜘蛛女はどうかしら?』
『私に覚えはないのだけど、その蜘蛛女はとても私を警戒してる』
『いえ、殺意に近い敵意かしら?』
『叶うなら、今すぐにでも私を消したいんじゃない?』
紫蜘蛛の意識が表出してくる。黒い八重蜘蛛の鎧が少しずつ色が変わり、白、黒、灰のまだら模様へと染まっていく。
『──落ち着け、紫蜘蛛!今は猪狩が最優先だ!』
《──でも、海月も放置はできない……!》
『揺らいでるわねぇ。面白いわぁ』
『でも、それじゃあ誰も救えないわ?』
『──がっ……!?』
反応する暇もなく、海月の蹴りが腹に直撃した。
何メートルも吹き飛び、倉庫の壁を突き破り、外に飛び出してようやく止まった。
地面を転がる最中、紫蜘蛛との融合が解けて二人に分かれる。
「げほっげほっ……!」
『──暁人!』
紫蜘蛛の肩を借りて立ち上がる。僅かに聞こえた物音の方を見ると、霜の足跡が続いていた。
「猪狩は、あっちか……!」
『──暁人、海月が来る!』
こちらに飛んでくる薙刀を、紫蜘蛛が糸で絡め取って海へと投げ捨てる。そのまま紫蜘蛛を纏い、追って飛んできた海月の蹴りを受け止める。
『あら。さっきので肋骨を何本か折ったと思ったのだけど?』
「おかげさまで、頑丈になったのかもな!」
海月を弾き、距離を取る。足元に複数の蜘蛛の巣を撃ち込み、海月を縫い止める。
「そこで大人しくしててくれ!」
《──後で、ちゃんと倒すから》
霜の足跡を追おうと駆け出した、その瞬間。
積み上げられたコンテナの向こうから、爆発が起きた。
「うわっ!?なんだ!?」
《──もしかして、狐火が?》
土煙の中から、二つの影が飛び出してくる。
氷の鎧を纏った猪狩と、三本の尻尾を生やした火那森先輩。二人は激しくぶつかり合っていて、先輩は苦戦しているようだった。
「あいつ、強くなってる!?」
《──急ぎましょう、雪女たちの方も心配だわ!》
糸の反発を使って、猪狩の元へ飛んでいく。空中で姿勢を変えて、横腹に蹴りを叩き込んだ。吹き飛ぶ暇も与えず、そのまま糸と足で猪狩を捕らえる。
「小雪たちはどこだ!」
「痛ってえな!失せろ!」
飛んでくる氷柱を糸で絡めとって投げ捨てる。大人しくさせようとさらに蹴りを加えようとした直前。
「良いのかよ!このままじゃ小雪の親が死ぬぜ!?」
「なにっ……!」
クククと含み笑いをしながら、猪狩が視線を移す。
視線の先には、コンテナ用のクレーンに氷で吊るされた、一台の車だった。
「まさか、あの中に……!」
「ああそうさ!そして今、俺は機嫌が悪い!」
「あいつらが死ぬのは、お前らのせいだ!」
猪狩が歯を食いしばる。その口から、何かが砕ける音がした。直後、車を掴んでいた氷が砕け、車体が落下する。
「マジかよ……!」
《──この距離じゃ、間に合わない……!》
分かっていても、猪狩から離れて車の方へ飛んでいく。先輩と狐火も後に続いた。
《せめてクッションになるものを!紫蜘蛛ちゃん!》
《──ダメ!この距離じゃ届かない!》
無慈悲に落ちていく車を、俺たちはただ見ていることしかできなかった。
無駄と知りながらも手を伸ばした直後。
車の真下から雪混じりの竜巻が湧き上がった。
《……本当は、こんなことしたくはなかったのだがな》
竜巻がゆっくりと車を地面に下ろす。俺と先輩も同じ場所に降り立った。
──そこには、雪女の着物を纏った小雪が立っていた。




