悪夢の着信
猪狩の襲撃から三日。小雪が今昔堂に来てから初めての週末だ。
今日は休日ということで、いぶきさんたちも顔を出しに来た。彼女の放つセレブの気配に、小雪はずっと押され気味だった。
『うーーーん可愛い!たまに出る方言もイイ!今の服装も似合ってるけど、もうちょい大人っぽさを出すのも良さそう!めっちゃコーデのしがいがある!』
「あ、あはは……ありがとうございます……」
『白來。距離感』
小雪の周りを子犬のようにぐるぐる回る白來を、墨香が手を掴んで引き剥がす。白來もハッとして謝ってはいたが、名残惜しそうな顔をしていた。
「それで、今日はご家族に会う予定なんですね?」
「は、はい。毎週末は無事を確認するために、一緒にご飯を食べに行こうって約束してて……」
いぶきさんは特に気にすることもなく、普段通りに小雪に接する。小雪の方は相変わらずぎこちない標準語で話していた。
「でしたら、私の行きつけのお店はどうでしょう?完全個室で部外者は入れませんから、その猪狩というストーカーも来れないはずですわ」
「か、完全個室……!?さ、さすがセレブ……!」
ニコニコのいぶきさんと唖然とする小雪。特に小雪の反応は見ていてとても面白い。
『いいじゃないの。いざとなれば僕たちがなんとかするし、美味しいもの食べてきなよ』
「ええ。ストレス発散にもなるし、ご両親も喜ぶと思うわ」
火那森先輩と狐火も頷く。紫蜘蛛も頷いているが、その瞳には羨望の色が滲んでいた。
「……紫蜘蛛。俺たちはまたの機会な」
『──ええ。そうね』
『そうと決まれば、早速お母さんたちに連絡しよ!善は急げだし!』
白來に促され、小雪がスマホを取り出す。少し緊張した面持ちで、スマホを耳に当てる。
「あ、もしもし?かっちゃ?」
《──久しぶりだな、小雪》
「ひっ……!?」
小雪の顔から一気に血の気が引き、スマホが手から滑り落ちた。雪女がすかさずスマホを空中で受け止める。
『小雪、まさか……』
「……い、猪狩さん……?」
場の空気が一瞬で凍りつく。
白來がすかさずスマホを取り出し、“スピーカーに変えて”とメモを出す。
小雪は震える指で指示に従った。
「ど、どうしてお母さんのスマホを……?」
《あー。たまたまお会いしたから挨拶してたんだ。ちょうど小雪から電話がきたから話をさせてくれって言って、スマホ借りたんだよ》
そんな訳があるか、と暴れ出しそうな雪女を、墨香が必死に抑える。俺たちも口を挟むことはせず、小雪だけがその場にいるように振る舞った。
《そんなことより、また二人で話をしよう。俺もこっちにきたんだ》
「……し、知ってます……」
《そっか、なら話は早い。今から送る場所に来てくれ。一人でな》
《じゃあ、楽しみに待ってるよ、小雪》
無機質な通話終了の音が鳴ると同時に、今昔堂の事務所に吹雪が吹き荒れた。
『あの男……!やはり殺しておくべきだった……!』
『落ち着いてください雪女さま!猪狩涼亮の前に私たちが凍えてしまいます!』
墨香が必死に雪女を宥める。小雪はその場で硬直したまま、小さく震えていた。
ピロン、と小雪のスマホが鳴る。その音でようやく我に帰った。
「あっ……メール……」
『ちょい待ち小雪ちゃん!それ開かないで!こっちの居場所がバレるかもしれないから!』
白來がスルリと小雪のスマホを手から剥がし、慣れた手つきで操作する。
『よし、これで大丈夫。それじゃ開くけど、いい?小雪ちゃん』
「は、はい……お願いします……」
白來がメッセージを開くと、眉をひそめて首を傾げた。
『なにここ?港の廃倉庫じゃん。』
『……どう考えても、“たまたま会った”は嘘ですね』
『──攫ったのね。卑怯な奴』
墨香と紫蜘蛛が不快感を露わにする。紫蜘蛛がここまで感情を表に出すのは珍しい。かくいう俺も腑が煮え繰り返りそうだが。
「行かない選択肢はないだろうけど、どうする?全員で行くのは得策じゃないが……」
加古川さんが顎に手を添え静かに考え込む。俺と紫蜘蛛が手を挙げるのは、ほぼ同時だった。
「俺たちが行きます」
『──私たちなら、天井でもどこでも身を隠せる。奇襲は得意よ』
「私たちも行くわ。小雪ちゃんのご両親を助けるには、八重原くんたちだけじゃ手が足りないでしょう?」
『それと、いざとなったら“始末”できる人が要る。その役目は僕が負う』
先輩と狐火も手を上げた。二人とも怒りで険しい顔つきだ。
「……私たちは、事が済んだ後の段取りをしておきますわ」
『ラクちゃん、アキっち!絶っっ対にぶっ倒してきてね!手加減なんてしなくていいし!』
「ああ。流石にこれは許せないからな」
いぶきさんたちが見送られながら、加古川さんの車に皆で乗り込み、猪狩の指定した倉庫へと向かった。
「──小雪!会いたかったよ!」
目の前に現れた最愛の女を前に、猪狩が歓喜に震え両手を広げる。
小雪は、自分の身体を抱きしめるように自分の腕を抱いていた。
「約束通り一人で来てくれたんだな!俺は嬉しいよ!」
「……お父さんとお母さんは、どこですか」
震える声で、小雪が猪狩に問いかける。猪狩は少し困ったような顔をした。
「せっかく二人きりで話しているのに、いきなり家族の話か?もっと小雪のことを聞かせてくれよ」
「……猪狩さんに話せるようなことは、ありません……」
猪狩が一歩近づくごとに、小雪の肩が跳ねる。
恐怖心に押し潰されそうになっている彼女は、見ているこちらの心も痛む。
「そんなことないだろう?俺が病院と留置所にいる間に引っ越して、新たな土地で友達作って」
「随分と仲が良さそうだったなぁ。俺にも紹介してくれよ。特にあの男を!」
「俺はお前に俺以外の男が近づくのが許せないんだ!アイツは誰なんだ!小雪とは、どういう関係なんだ!」
急に猪狩が声を荒げてさらに近づき、小雪の肩を掴む。
小雪は完全に硬直し、目に涙を溜めて過呼吸になっていた。
「いや……いや……!やめて、ください……!」
「また何も話してくれないのか。小雪……!」
「……良いさ、それなら身体に聞くだけだ!」
猪狩が一際力を込めて、小雪を押し倒そうとする。
だが、二人は倒れることはなかった。
猪狩の足元には、動きを阻害するように張られた蜘蛛の巣が一つ。
「……あ?」
猪狩が振り向く。
天井から逆さに吊り下がる、白い羽織の蜘蛛男が睨みつけていた。
『──よう、三日ぶりだな。クソ野郎』




