死んだはずの氷柱女
放課後、急遽加古川さんに車で迎えに来てもらった。
今朝、少なくとも通っている学校と通学路はあの氷柱男に知られた。この上、今昔堂の場所まで知られるのはまずい。
遠回りを繰り返して、時間をかけて帰る。到着後は小雪のケアと休養を取らせ、作戦会議を行うことにした。会議には休んでいる彼女の代わりに、雪女に参加してもらった。
「さて、それじゃあ聞かせてもらおうかな。今朝、襲ってきた氷柱男について」
加古川さんが全員分のコーヒーを淹れて席につく。
最初に口を開いたのは雪女だった。
『あれは、例のストーカーだ』
『名前は確か……猪狩涼亮、だったか』
「ほとんど顔も見えなかったのに、分かるのか?」
俺の疑問に、雪女はカップの中のコーヒーを揺らしながら答える。
『まあな。以前脅した時と同じ臭いがした。煙草の臭いだ』
続いて火那森先輩が顎に手を当てながら口を開く。
「煙草……その猪狩という人は、成人しているの?」
『まさか。だが今は学生でもないんだろう。ある頃を境に学校で見なくなったからな』
雪女が小さく鼻を鳴らして、カップに口をつける。僅かに顔をしかめてから、ガムシロップを二つコーヒーに入れた。
『暴力に躊躇がなく、法を守る意識も希薄とは。中々の問題児だねぇ』
『というより、既に立派な犯罪者だ。警察の世話になったという話は、小雪と私の耳に何度も入っていた』
『……周囲の人々の助言を受けて、奴が動けない間にここまで引っ越したのだがな』
狐火の言葉を受けて、雪女が辟易としたようにため息をついた。そんな危険人物に付き纏われながら暮らしていた小雪たちの心労は、察するに余りある。
「それじゃあ今度は、その猪狩という男が怪現象を起こせるようになった理由についてだけど」
「雪女くん、その辺りに思い当たる節はあるかな?」
加古川さんの質問に、雪女は考え込む様子を見せた。
『……なくはない。だが、あり得ない話だ』
曖昧な表現に、俺は首を傾げた。
「どういうことだ?」
『昔、あんな風に冷気を操る知り合いがいた。だが、既に死んでいるはずだ』
何か暗い理由があるのか、雪女が僅かに俯く。深掘りしようか少し悩んでいると、続けて言葉を紡ぎ出した。
『凍子。それが彼女の名だ』
『冷気を操り、氷を生み出す氷柱女。軒先に氷柱を垂らして、家人の頭に落とす悪戯が趣味の女だった』
「……趣味悪いな」
やんちゃというには、流石に危なすぎる。今まで出会ってきた怪異と比べればまだ可愛いものではあるが。
『私を含め、多くの者に迷惑をかけていたんだが、ある名家に手を出したのがまずかった』
『そこの子に怪我をさせて、当主を怒らせた。それで地域総出で探し出されて、討たれたんだ』
俺たちは黙って話を聞いていた。経緯だけを聞くと、雪女が負い目を感じる話でもなさそうだった。ただ、今そこは重要でもないのかもしれないと思い、指摘しないことにした。
『──死んだと思ったら、生きていた?』
「あるいは、最初から死んでいなかったとか」
紫蜘蛛と先輩も思考を巡らせるが、答えは出なかった。
狐火の言葉が沈黙を破った。
『それで、これからどうする?あの子の安全を考えるなら、ここから出さないのが一番だと思うけど?』
「確かに身体は安全かもしれないけど、心がすり減るだろ。ただでさえ襲われるかもしれない恐怖もある中で、行動の自由まで制限されたら」
狐火は「分かってるよ」といった具合に手をヒラヒラさせた。常に最悪の場合を考慮するのが彼のやり方だが、たまにはもう少し気を利かせてくれてもいいんじゃないか。
『……小雪には、できれば普通の暮らしをさせてあげたい』
『普通に学校に行って、勉強をして、友達と遊んでほしいんだ』
『そのためなら、私は全霊をもってあの子を守り抜く覚悟だ』
雪女が顔を上げて、俺たちの方を見る。その言葉には、強い決意と重みがあった。
「なら、今までと基本は変わらないわね」
「ああ。俺たちで小雪を守りながら、猪狩を退ける。問題は……」
『──氷柱女の憑き人になった彼を、どうするか』
『──私だったら、躊躇も情けもかけないけど』
紫蜘蛛が目の前に置かれている三角形のチョコをつまむ。
「いや、相手は人間だ。氷柱女はともかく、猪狩は警察に突き出すくらいにしておきたい」
『でももし、そうも言ってられないくらいの強敵だったら?』
狐火が意地悪な質問をしてくる。今朝戦った感じでは、見えなくなったり厄介ではあっても、なんとかなりそうではあったが。
「……その時考える。でも、命を奪うのはナシだ」
今夜の会議は、そこで解散となった。
「──クソ!せっかく小雪を見つけたのに、なんなんだアイツら!」
夜の高架下。ダンボールを敷いた仮初の寝床の上であぐらをかいて、猪狩が愚痴る。
『雪女の他にも変なのがいたねぇ。蜘蛛女に狐男。しかもどっちも人間に憑いてる』
「あのガキは俺たちのことを“憑き人”って言ってたな。アイツらも俺たちみたいな関係を結んでるのか?」
凍子が放り投げてきた紙パックの酒を受け取り、猪狩が勢いよく飲み干した。
『まあ、そんなところだろうね。両方ともかなりの手練れさ。命の張り合いを何度もやってるよ、あれ』
「あんなガキがねえ。喧嘩なんかしなさそうに見えるが」
猪狩が自分を取り押さえた男の顔を思い出す。自分のように悪との繋がりなんてなさそうな、なんてことのない普通としか言いようのない奴だ。
ただ、確かに動きのキレは良かった。咄嗟の判断力も優れている。今までやり合ってきたチンピラとは明らかに違う。
『でも、アレならアタシたちでも勝てる。少なくとも、リョースケに危害を加えるつもりはなさそうだったからね』
『何かあってもアンタが表に出ていれば、命までは取られないはずさ』
凍子が煙草に火をつけて一服する。猪狩はライターを寄越せと手で示し、受け取ったそれで自分の煙草に火をつけた。
『それにしても、アンタ本当にワルだねぇ。当世じゃ元服済ませるまでは酒も煙草もダメなんだろう?』
「バレなきゃいいんだよ。見つけられない方が悪いし、捕まえられない方が悪いんだ」
猪狩が煙草を口から離し、菓子パンに食らいつく。逃げる途中で立ち寄ったスーパーで盗んだものだ。
凍子の能力は彼の生き方に実にマッチしていた。全身に無数の氷粒を纏えば、光の反射で姿を隠せる。いざとなれば氷柱や氷の刃物で武装できる。証拠が残らない完璧な武器だ。
ここに来るのも、姿を消して新幹線に乗るだけで良かった。今なら金すらほとんど必要ない。
「それに、俺はまだ殺しはしてない。今までの罪が全部明るみに出たとしても、せいぜい五年かそこらムショに行けば終わりさ」
『ふーん。意外だね。こんなに好き放題やってるのに、殺しはダメって理性は働くんだ』
いいけどさ、と一言呟き、凍子が煙草の火を消す。妖艶な足取りで俺に近づき、氷でできた左手で俺の胸に触れた。
『じゃ、アタシはそろそろ寝るよ。アンタも早めに寝なよ』
「……ああ」
少しだけ間の空いた返事に、凍子が視線を落としてにんまりと口角を上げた。
『なんだい、まだ眠るつもりないのかい?元気だねえ、ホント』
「なんだよ」
『別に?仕方ないから眠れるまで付き合ってあげるさね』
──夜の高架下。静まり返った闇の中に、獣のような声だけが長く溶けていった。




