氷柱男
「おはよう小雪。準備はできてるか?」
「おはようございます、八重原さん。バッチリです」
「へば、行ってきます。加古川さん」
今昔堂へ小雪を迎えに行き、一緒に学校へ向かう。
彼女が来てからの俺たちの新しい日課だ。
例のストーカー対策として、通学は俺か先輩が一緒に行くことになった。だが、今のところ異変はない。
「氷柱の怪現象は、こっちに来てからだっけか」
「はい。向こうに住んでた頃はただ付きまとわれてただけなんですけど……」
『二度と現れないように念入りに脅したはずなんだがな。まさか追ってくるとは』
小雪の隣に雪女が現れる。
表情はよく見えないが、声色からして機嫌は悪そうだ。
『──でも、ただの人間なんでしょ?やってる事は、完全に怪異のそれよ』
『──もしかしたら、その男じゃないかもしれないわ』
紫蜘蛛が雪女の顔を見上げる。
雪女と紫蜘蛛の身長差はかなりのものだ。背の低い彼女が見上げながら話す姿は、なんだか微笑ましかった。
『……言われてみれば、その可能性もあるか』
「でもそうだとしたら、なんでその怪異は小雪を狙うんだ」
『……確かに。小雪は良い子だ。狙われる理由もない』
「いや、どっちだよ……」
雪女のころころと変わる反応に、思わず突っ込む。初対面は怖い印象だったが、話してみると思ったよりも抜けているというか、面白い姐さんだ。
ふと小雪の方を見ると、どこか不安そうな顔をしていた。
しまった。ただでさえ思い出したくもない話題だろうに、長々と話し込んでしまった。話題を変えよう。
「……そういえば、小雪は前はどこに住んでたんだ?」
「は、はい。前は五所川原ってところに住んでました。立ちねぶたと焼き物が有名で──」
小雪の言葉の途中で、突然気温が下がった。
全身に鳥肌が立ち、口から吐く息が白く染まる。
『──雪女。あなたじゃ……』
『違うに決まっているだろう。それに見てみろ』
雪女が指差した場所に、人の足の形に霜が降りていた。一歩ずつ、着実にこちらに近づいてくる。残った霜は、やがて鋭い氷柱に変化した。
「小雪、下がれ!」
「は、はい!」
紫蜘蛛と一つになり、紫焔を両手に滾らせる。拳を構えると、霜の足跡は立ち止まった。
「わっ……八重原先輩と紫蜘蛛さんが……!」
『──やっぱり、火は苦手みたいだな』
構えを崩さず、少しずつ見えない敵に距離を詰める。一歩近づくと、一歩離れる。
『小雪、今のうちに行くぞ』
「待ってけれ雪女さん!先輩たちを置いてぐわけには……!」
『──俺たちなら平気だ。こういう時のために、一緒にいるんだろ?』
小雪に目線を向けて、微かに笑う。小雪は逡巡した後、力強く頷いた。
「……ありがとうございます、先輩!」
『──おう!』
小雪が雪風を纏いながら、学校の方へ駆けていく。
これで、目の前の見えない影と一対一だ。
『──さて、どこの誰だか知らないが』
『──ストーカーは感心しないな!』
拳を突き出し、紫の火球を撃ち出す。
火球の先に氷柱が現れ、火球を受け止める。砕けた氷が一気に水蒸気に変わり、周囲を白い霧で包み込んだ。
『──ふっ!』
地面に手をつき、蜘蛛の巣を張り巡らせる。
全方位に伸びる巣は、霧に紛れて逃走する見えない影を捕らえた。
『──そこか!』
霧の向こうに跳び、拳を握る。僅かに揺らいだ透明な影に向けて拳を振り抜こうとして──
男が、現れた。
『──なっ!?』
人間だ。怪異じゃない。
怯えた目。震える身体。どう見ても普通の、人間の男だ。
咄嗟に紫焔を鎮め、拳を下ろす。
姿勢を崩したまま片足で着地した直後。
「バカが!」
『──ッ!?』
男の顔が豹変し、顔面に向かって拳が飛んでくる。手には氷でできたメリケンサック。直撃したら、無事では済まない。
『──八重蜘蛛!』
顔の一部に八重蜘蛛の鎧を纏わせる。メリケンサックの一撃を防ぎ、その隙に糸で身体を縛り上げた。
『──大人しくしろ!』
糸を引いて姿勢を乱し、背中を膝で、頭を手で地面に押し付ける。男は手足をバタバタと動かして、俺を引き剥がそうと抵抗する。
『──本当に人間だったとは』
『──まさか、憑き人か?』
考えられるのはそれくらいだが、今まで会ってきた憑き人はみんな良い人だった。こんな奴が──
「どけよ!クソガキ!」
『──うわっ!』
男の身体から無数の氷柱が勢いよく伸びる。咄嗟に飛び退くが、その隙に氷の上を倒れたまま滑って逃げていった。
『──まずい。小雪と、あとは火那森さんにも連絡しないと』
まだ小雪たちはそう遠くには行ってないだろう。あの速さだと、すぐに追いつかれる。
『──小雪ごめん!例の男がそっちに行った!』
《だ、大丈夫です!雪女さんがいるはんで!》
『──一応、火那森さんにも連絡はする!俺も追いかけるから!』
建物の屋根から屋根へと飛び乗っていく。先輩にも連絡を入れて、さっきの氷柱男の行方を追う。
『──どこだ……!』
空から見下ろすと、不自然な氷の道ができていた。目を凝らすと、僅かに引っ掻いたような長い跡がついている。視線を先に移すと、小雪たちが走っていた。
『──させるか!』
糸で空を駆けて、一気に距離を詰めていく。前方からは、連絡を受けた先輩が刀を抜いて走ってきていた。雪女も氷の道を見据え、臨戦態勢に入っている。
『──そこだ!』
一瞬、光の反射で腕が見えた。そこを逃さず糸で捕らえる。雪女の起こした雪風が、男の下半身を凍らせて輪郭を露わにする。
「──やあっ!」
先輩が刀を振り下ろす直前、刃を逆に持ち替えた。峰が影に直撃する。およそ人間から鳴ったとは思えない、甲高い音が響いた。
「……んだよ。三対一は卑怯だろ」
「白けたわ。今日はやめだ」
白い冷気と共に、氷像が姿を現した。先輩の刀が当たった箇所からひびが広がり、粉々に砕け散った。
『──なんなんだ、こいつは』
『だが、これで一つ確定したな』
『あの氷柱は、奴が起こしたものだ』
氷の道も、氷像の破片も跡形もなく消えていく。後に残ったのは、いつもと変わらない日常。
だが、あの氷柱男という異常だけが、日常にこびりついていた。




