雪女の憑き人
今昔堂の奥の事務所に入り、二人の客人にコーヒーとお茶請けを出す。
切れ長の瞳。整った顔立ち。濡羽色の美しい長髪を背に流し、身体に馴染んだ黒いスーツを着こなした雨宮さん。
加古川さんの元恋人ということは歳も近いはずだが、ぱっと見の外見年齢は二十代後半くらいに見えた。
隣に座っているのは、俺と同じくらいの年齢の少女。
童顔に丸メガネ。白と黒の混ざったような不思議な色の髪色をした大きな三つ編みを、肩に垂らしている。文学少女を絵に描いたような子だ。
雨宮さんは落ち着き払った様子で一口コーヒーを飲み、隣の少女は緊張で俯いたまま、キョロキョロと目だけを動かしてあちこちを見ている。
「それで、そちらのお嬢さんは?」
「ああ。なんだか困ってそうだったからな。お前さんに預けようと思って連れてきた」
「さ、自己紹介を」
雨宮さんに促され、ようやく少女は顔を上げた。
「は、はい。淡谷小雪っていいます。よ、よろしくお願いします……」
聞き慣れない独特なイントネーションだ。地方から来たのだろうか。
「あ、訛りは気にしないでください。最近、青森から引っ越したばっかりなはんで……」
もじもじとしながら再び俯いてしまった。
やれやれといった具合に、雨宮さんが話を続けた。
「ここに来た理由は二つだ。一つは響吾郎、お前さんの依頼の中間報告。もう一つはこの子のことだ」
雨宮さんが小雪の肩を軽く叩く。
「どうする?話しづらいなら、私が代わりに説明するが」
「……いえ、自分で話します」
小雪が顔をあげて、おずおずと口を開いた。
「えっと……実は私、以前からストーカーに付きまとわれてて……助けて欲しいんです」
「ストーカー……?それは警察の仕事ではないのかい?」
加古川さんが首を小さく捻るが、雨宮さんは彼の目を見て続く。
「それが、そうもいかないようでな」
「……はい。事あるごとに氷柱が襲ってくるんです。そして、氷柱のあるところには、必ず彼がいて……」
「初めは軒先の氷柱が落ちてきたり、足元が不自然に凍って滑りそうになったくらいだったんです」
「でも、最近は部屋の窓が凍ったり氷柱が刺さりそうになったりして……」
「それで、怖くなってこっちに引っ越してきたんです……」
小雪の顔が青ざめていく。雨宮さんが軽く抱き寄せ、頭を撫でて落ち着かせる。俺も思わず立ち上がり、彼女に寄り添うように側に座った。
「ごめん。嫌な事思い出させた」
『──暁人。怖がる子を放っておくなんて、できないものね』
紫蜘蛛も俺の真似をするように、小雪の隣に座った。
『──その男、怪異に堕ちたのかしら』
「その辺りはまだ分からん。だが、関係しているのは間違いない」
「だから、専門家の響吾郎に任せようと思ってな」
雨宮さんが視線を移す。加古川さんはその言葉と視線に頷いて答えた。
「分かった。調査と護衛は請け負おう」
「ウチには同年代の八重原くんや火那森くんたちもいるからね。頼めるかい?」
「もちろんです」
『──よろしく』
俺たちの言葉に、小雪は小さく頷いて、消えそうな声でお礼を言った。
「さて、次はお前さんの方だ。怪異の親玉についてだが」
「もう調べがついたのかい?流石はベテランのジャーナリストだ」
加古川さんが感心したように背もたれに身体を預ける。雨宮さんは普通のことのように、お菓子を一口食べた。
「加古川さん、何か調べ物でも?」
「ああ。実は、以前から気になっていた怪異について調べてもらっていたんだ。手がかりがほとんどなかったから、彼女の手を借りたんだ」
「……お前さんが分からないものを、私が調べきれるわけがないだろう。悪いが、大した収穫は無しだ」
雨宮さんがカバンからタブレットを取り出す。
まとめたデータを軽く流していくが、白い部分が目立った。
「響吾郎の言う“全ての怪異の親玉”だが、それらしいものは見つからなかった」
「各種族の……例えば酒呑童子なんかは記録が残っていたが、それ以外だとせいぜいぬらりひょんくらいだ」
ぬらりひょん。以前、水島さんの家に入り込み、筆鬼を生み出した怪異の親玉。
「だが、お前さんの見立てではぬらりひょんではないのだろう?」
「……そう。ぬらりひょんよりさらに上位の存在がいるとは思ってるんだけどね」
「でも文奈の情報網でも分からないとなると、やっぱり思い違いなのかねぇ」
加古川さんが静かに顎を撫でる。
「加古川さん。その怪異の親玉の話なんですけど」
『──悪五郎って名前に、覚えはある?』
紫蜘蛛の言葉に、加古川さんが目を見開いた。
「……悪五郎」
加古川さんから普段の余裕が消えた。
「まさか、神野悪五郎のことかい?」
「その名前、一体どこで?」
『──さっき、以前話した磯姫に会ったの』
「海月が俺たちに“私は悪五郎のために生きている”って言ってたんです」
「……盲点だった。文奈、追加の依頼だ。神野悪五郎について調べてくれないかい?」
「ああ、請け負った。あとでちゃんとした契約書を送る」
雨宮さんがタブレットをしまい、ゆっくりと立ち上がる。
「小雪、何かあれば私に言えよ?出来ることはする」
「はい。ありがとうございます、雨宮さん」
「じゃあ、私はこれで失礼する」
雨宮さんは事務所の扉を開けてから、振り向いて加古川さんの方を見た。
「響吾郎、お前さんのコーヒー、相変わらず美味かったぞ」
「そりゃどうも。いつでも飲みに来ていいからね」
軽く微笑みあうと、今度こそ雨宮さんは扉の奥に消えていった。
まるで洋画に出てくる別れた夫婦のような空気だ。
「さて、それじゃあ淡谷くん。これからよろしくね?」
「は、はい!よろしくお願いします!お店のお手伝いとか、頑張りますんで!」
胸の前でガッツポーズを作って、小雪が鼻を鳴らした。
「……ここに住むのか?」
『──手伝うこと、あるのかしら?』
「……え?ここ、本屋さんじゃないんですか?」
顔を見合わせる俺と紫蜘蛛を見て、目をぱちぱちとさせる小雪。加古川さんは額に手をやり、首を振っていた。
「んー……忘れてるかもだけど、一応書店だからね?ここ。人はあまり来ないけど……」
「それに、もしも淡谷くんのストーカーが筋金入りなら、彼女の新しい住所も必死になって調べてるはずだ」
「それなら、縁もゆかりもないここにいた方がいくらかは安全だろう」
俺も紫蜘蛛も、納得したように首を縦に振った。
「あっ、それと……もう一人、紹介したい人がいるんです」
「雪女さん、出はってけれ」
小雪の言葉の直後、部屋全体の温度が下がった。彼女の後ろに、雪混じりのつむじ風が立ち上がる。
『どうした小雪。またあの男か?』
「いえいえ。これからお世話になる人たちに、ご挨拶をと思って」
つむじ風が、人の形をとる。
真っ白な髪の毛。真っ白な肌。雪の結晶が描かれた、質のいい生地の着物。
目は細やかな氷のベールで隠されている。
『……雪女だ』
『小雪に傷をつけた時は、敵とみなして凍死させる。そのつもりでな』
突き刺すような見えない視線に、背中がゾクリと震えた。
「もう!雪女さん、これから一緒に暮らすのにそんなんじゃダメだびょん!」
『なんだ小雪。少しは雪女らしい威厳を見せておかないと……!』
「すす、すいません皆さん!雪女さん、本当はとっても優しいお姉ちゃんだはんで……!」
しきりに頭を下げる小雪と、オロオロとする雪女。
賑やかな仲間が、また増えた。




