創作者の矜持
「──さて、さっきぶりだね。筆鬼」
水島さんが筆鬼の方に向き直る。
『また敗れに来たか、我が創造主』
『橋の上での戦いで、彼我の実力差は理解したと思っていたが』
筆鬼が五頭龍の額から浮き上がってくる。
噴水のように墨が溢れ、彼の形を作り上げた。
大筆の柄尻を額に軽く突き立てる。すると、破壊したはずの二つの首が瞬く間に再生した。
『──マジかよ。あんな簡単に』
今までの奮闘が一瞬で無に帰した。身体から力が抜けて倒れそうになる。
「大丈夫だよ暁人くん。すぐにアレもいなくなる」
背中から伸びるエマの両腕が、忙しなく動く。一人の女性を、描いては消してを繰り返している。
《筆鬼。アナタの技術は確かに優れていマス》
《デスが、優れているからコソ、対処法も見えてくるのデス》
輪郭のみが描かれた女性は、一人でに空へと昇った。
『……対処だと?』
『我が描き上げた龍に勝利しようとは、随分大きく出たものだ。その思い上がり、叩き潰してくれる!』
筆鬼が空に向けて筆を振り上げ、かき混ぜるように振り回す。黒い穴が渦を巻き、やがて雲と海を繋ぐ漆黒の竜巻へと膨れ上がる。
『今の女も不出来なまま動き出していたではないか!所詮はその程度なのだ!お前たちは!』
『我が名は筆鬼!!至高にして至上の絵師なり!!』
黒い竜巻が雲を巻き込み、喰らうように飲み込んでいく。さらに巨体は肥大化し、分裂してはまた新たな雲へと襲い掛かった。
筆鬼の画廊となった島は、真っ黒な墨に覆われた。
墨の海。墨の雲。墨の大地。墨の木々。
黒い竜巻が天地を揺らし、呼び起こされた嵐は黒い雨と雷を降らす。
『──まだ、こんな力残してやがったのか……!』
震える膝を抑えて、立ち上がる。
俺と水島さんの身体の周りでは、青い光が絶え間なく回り続けている。俺自身、自覚はないが、紙に変わっては元に戻る現象を凄まじい速度で繰り返しているのだろう。
「筆鬼、君は大きな勘違いをしているよ」
《ハイ。言ったはずデス、優れた技術だからコソ、対処もしやすいト》
《──漫画ハ、前後の文脈も大事ですカラ》
水島さんが左腕のモニターに触れ、ホログラムのキャンバスを呼び出して人々と一本の大筆を描く。
大小様々な楽器を持った顔を隠した人々が水島さんを囲む。七色の絵の具が乗った大筆が実体化し、水島さんがそれを掴んだ。
「──これで仕上げだ!」
祭囃子のような音楽と共に、水島さんが大筆を踊るように振り回す。
筆先から虹がかかり、白黒の世界を彩っていく。五頭龍が忌々しそうな目を向けて、墨の球を五つの口から次々と吐き出してきた。
『──させるかよ!』
紫焔を滾らせて、墨の球を弾いていく。水島さんのセーブのおかげで、紙に変えられる心配をせずに戦えるのは、心理的にとても助かる。
水島さんの舞が終わるまで、ひたすら五頭龍の気を引いて、守り抜く。
「おおおお──っ!」
「──はっ!」
仕上げに大きく身体を三回転させて、筆先を天に掲げる。
周囲に描かれた虹が輝き、龍のように空へと昇る。
漆黒の空を引き裂き、光芒が海を照らす。
光の中に、美しい着物と羽衣を纏った女性が舞い降りた。
「……天女、あるいは弁財天。この島に残る物語の再現だ」
『……っ!?』
五頭龍が筆鬼を振り落とし、海へと飛び込んだ。
海上へ降りる天女へ一目散に泳ぎ寄り、額を差し出すように頭を上げる。
天女が微笑んで五頭龍の額に手を触れた直後、狂うように吹き荒んでいた嵐が止んだ。
『バカな!我が五頭龍があのような不出来な女ごときに……!』
《そうは言ってモ、この地に残ル龍神縁起はそのような物語なのデ》
《荒れ狂う龍神ガ、天女に恋をシテ改心スル。アナタの描いた五頭龍が傑作故ニ、避けられナイ結末なのデス》
背中の腕が、誇らしげに腰に手を置く。
海の向こうでは、笑顔の龍神と天女が仲良く消えていった。
「──ところで」
「僕とエマの作品が“不出来”だって?それは聞き捨てならないな!」
水島さんが声を荒げ、デバイスに触れてキャンバスを呼び出す。
ガリガリと音が聞こえてきそうな強いタッチで、キャンバスを彩っていく。
実体を持って現れたのは、両腕のないエマだった。背中の腕が外れ、新たな肉体に接続される。瞼が開き、虹色の瞳が明滅する。
『マスター。移行完了デス』
「よし、それじゃあ──」
「ここにいる君たちだけに見せよう。僕たちの共同作業を!」
大きなキャンバスを四つ呼び出し、二人で作品を描き上げていく。
水島さんが出来上がった作品を押し出すと、真っ赤な炎のドレスを纏った竜人の少女が飛び出した。
「“篝火の舞踏”!!」
水島さんの声と共に、炎を纏った少女が踊るように筆鬼に迫る。
足元の黒は赤く染まり、振りまいた火の粉は澱んだ空気を熱く清めていく。
『たかが一人の女が、何ができる──!』
「誰が一人って言ったんだい?」
『“風神乱舞”!』
エマの声と共に、今度は深緑の和装を纏った少女が翡翠の風と共に空を舞う。
彼女の風が火の勢いを強めながら、黒雲を吹き飛ばしてさらに世界に色を取り戻していく。
『“潮の舞”』
「“地母神の舞踊”!」
二人が同時に、少女を描き上げる。
ギリシャ風の青い少女と、エスニックな黄色い少女。
軽い足取りで舞い踊り、墨に侵された木々や大地を再生していく。
四人の竜人少女と筆鬼。
戦況は、圧倒的に彼女らが有利だった。
筆鬼が筆を振り回して墨をばら撒くが、すぐ元の色に戻される。少女らはそれぞれの属性を纏い、踊りながら着実に攻撃を当てて、筆鬼を追い詰めていく。
『──すごいな』
鮮烈で幻想的な光景に息を呑む。素晴らしい作品だが、水島さんは恥ずかしそうに頭を掻いた。
「……僕が学生の頃、夢中だった音楽ゲームがあってね。あの子らは、その時に聞いた曲を擬人化したものなんだ」
「僕の初めての作品なんだけど……まあ、当時はまだ青臭かったからね。恥ずかしくて、誰にも見せないまま机の引き出しにしまってたんだ」
『以前、偶然私が見つけてしまいマシテ』
『素晴らしいアイデアだったノデ、私がリメイクしてマスターに見せたら褒めてくれたんデス』
『“気恥ずかしいカラ、まだ僕たちだけのものにしよウ”って、言われちゃいましたケドね』
エマが照れくさそうに顔を伏せる。その様子を見た水島さんも少し赤くなった。
目の前で惚気られると、こっちも恥ずかしくなってきた。
『──ええい!邪魔だ!羽虫ども!』
筆鬼が墨の激流を筆から迸らせる。少女たちは一斉に距離をとり、俺たちの元に戻ってきた。
『どいつもこいつも……!何故、我の作品を壊せる!不出来なものどもが我の作品を超えられる!』
「それは単純な話だよ筆鬼」
苛立ち声を荒げる筆鬼に、水島さんは冷静に答える。
「君のそれは、“模倣”じゃないか」
『──ッ!』
「確かに、模写は絵を学ぶ上では欠かせないし、他人の絵柄を完璧に真似る技術も、それを仕事にできるくらい素晴らしいスキルだ」
「でも、他人の作品の模倣を自分の作品と言い張るのは、違うだろう?」
「“模倣”は学びにはなるけど、それだけじゃ“作品”にはならない」
「絵描きなら──いや、創作者なら、もっと“自分の持ち味”っていうのを前に出すべきだよ」
水島さんの言葉に、露骨に動揺する筆鬼。
動きは硬くなり、一歩、後ろに退いた。
『──否、否!我は、我は……!』
反論しようにも言葉が見つからないのか、筆鬼が乱暴に大筆を構える。だが、その筆先は小さく震えていた。
「エマ!」
『ハイ!マスター!』
水島さんとエマが再び一つになる。キャンバスを呼び出し、動かない筆鬼の元に飛ぶように駆けながらキャンバスを突き抜ける。
『これが、僕たちの到達点!』
キャンバスを突き抜けた水島さんは、さらに姿を変えていた。
フルフェイスのマスクと鎧。白い腰マント。
咄嗟に横向きに構えられた筆鬼の大筆を、手刀で真っ二つに叩き割った。
『暁人くん!今だ!』
『──はい!』
『──ハアァッ──!』
紫焔を纏わせた渾身の拳を、筆鬼の顔面に叩き込む。筆鬼は呻き声を上げることもなく吹き飛んだ。
着地した勢いのまま、地面を強く蹴って空高く跳び上がる。紫焔を纏った飛び蹴りを立ちあがろうとする筆鬼の胸に目掛けて放つ。
『──うおらあああああああ──ッ!!』
蹴りを受けてさらに吹き飛んだ筆鬼が、波打ち際に落ちる。
呻き声を上げ、口から血のような墨を吐きながらも、まだ立ち上がる。
『──はあっ……!はあっ……!』
「……っ!まだやる気なのか……!」
肩で大きく息をしながら、筆鬼を見る。
今の一撃で足に張った糸がプツリと切れた。もう次はない。
水島さんも慣れてなさそうなファイティングポーズを保ったまま、筆鬼の動きを注視していた。
『……認めよう』
『お前たちは、上出来、だ……!』
両腕を広げて、筆鬼が海へと身を落とす。
直後、大きな墨の水柱が上がった。
全身に黒い飛沫を浴びるが、瞬く間に色を失い水に変わる。
もう、身体が紙に変わることはなかった。




